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失くしたもの、それだけですか?

2019年08月25日 | 雑記帳
 昔、所属していた研究団体の代表でもあったF岡先生が「私は『ダ・カーポ』から毎回10個ぐらいのネタを見つけている」と話されていたことを記憶している。私自身、雑誌好きは広言していて、廃刊になったものも含め現役時代はずいぶん購読していた。教育雑誌以外に月に10冊ぐらい読んでいた時期もある。


 今は数えるばかり。それでも出版社PR誌等は、結構読書欲を刺激される。『ちくま』9月号は連載が充実していた。「世の中ラボ」(斎藤美奈子)は、選挙絡みで「れいわ新選組」躍進を取り上げていた。戦略、運営スタイルが多くの共感を呼んだとみられるが、もう一つは政策への期待だ。反緊縮に興味が惹かれる。


 「ワイルドサイドをほっつき歩け」(ブレイディみかこ)は、イギリスの中間層から底辺層を描く。今回初めて知る語があった。「Fatism」(ファティズム)という考え方だ。体型による人種差別主義を表わす。肥満者の飛行機料金アップや肥満させる食品への課税などが動きとしてある。合理性も感じつつ、少し哀しい。


 岸本佐和子の連載「ネにもつタイプ」は妄想エッセイ。今回は特に展開が素晴らしい。映画館での落とし物をなかなか取りにいけずにいたら、ある保安室に移されて、ようやく行ったらまた別の場所に移されていて、やっと返された時こう言われる。「失くしたもの、それだけですか?」そして、階下へ降りていくと…。


 「ここには今までのすべての失くしたものが集まっているんですよ」と言われ、昔を思い出しながら用紙に記入すると、昔失くしたイヤリングの片方やナップザックなどが次々に戻ってくる。階段はさらに下層へ続き、自分の背丈もだんだんと縮んでいく…と、このファンタジーには誰の人生にも重なるような気がした。