すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

不純物から「いのち」を視る

2019年08月16日 | 読書
 数年前から歌がヒットし、次々と人気ドラマに出演した彼、そう言えばそれ以前には開頭出術が必要な病気をしたことを、冒頭の文章で思い出した。外見が滲みだす普通感が印象深く受け止められるのは、見つめる眼差しに虚飾を感じさせないからだ。だからその音楽に、詞に共感できる。それにしても巧いタイトルだ。

2019読了79
 『いのちの車窓から』(星野 源  KADOKAWA)


 雑誌『ダ・ヴィンチ』の連載の単行本化。雑誌はごく稀にしか購読しないので内容は読んだ記憶はなかった。ただ、以前読んだ文庫本はなんとなく肌にしっくりと馴染んだ気がした。その訳がわかった。書下ろしである『文章』に松尾スズキ、宮沢章夫の二人のエッセイへの憧れが書いてあった。ああそうかと思った。


 けして自分を飾らない、それでいて妄想や想像の世界へ迷いなく進んでいく感覚が好きなのだなと納得した。そして星野は「あとがき」でとても印象に残る一節を書きつけている。これは情報という名の洪水に晒されている今、書き言葉に限らず何かを表現しようと考えている者にとって、ずしりと重い一言だと思う。

 「作家のキャリアに関係なく、文章力を自分の欲望の発散に使うのではなく、エゴやナルシズムを削ぎ落とすために使っている人。それが、僕の思う『文章のうまい人』です。」



 著者が書くように「表現や伝えたいという想いには不純物が付きまといます」。承認欲求を普通に持つ凡人であっても、それは気づく。不純物の存在を認め、その処理を日常的にする(仕方はいろいろあろうが、自分の場合は俯瞰構造を三層程度持つことかな)ことを身につけねばと思う。できれば意識しないくらいに。