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「ぎゃふん」はツッパリワードか

2019年08月23日 | 雑記帳
 いつぞや家人がTVで政治ニュースを観ながら「ぎゃふんだな」と口にした。みんな知っているけれど、なかなか直接耳にはしない。先日、「ほぼ日」で糸井重里もこう書いていた。「口に出して『ぎゃふん』と言ったことありますか? ぼくも言ったことないです。」大方の人はそうだろう。しかし、気持ちは伝わる語だ。


 広辞苑には「負かされて抗弁や太刀打ちできないさま」とある。他の辞典も同様で、「劣る」「言い負ける」「負ける」といった分類になるようだ。しかし、個人的な感覚だろうか「ぎゃふん」には少し怒りめいたニュアンスを覚える。「ギャ」と「フン」の音の組み合わせに強さを感じるし、「ぎゃ」が一つのポイントだ。


 「あんまりだ」「ひどい」という意味を持つ方言として「ぎゃ」を使ってきた。「あれなば、ぎゃだな」(あれでは、あんまりだ)というように。ただ『秋田のことば』(無明舎)には見出しとしてなかった。『湯沢・雄勝弁あれこれ』(イズミヤ出版)には、「ぎゃぎゃだ」として取り上げられている。生き残っていたようだ。


 似たような意味合いで使われるのは「おが」である。「ぎゃ」と同様に、これらを使う時は、対象を少し責める印象がある。「そえたごとしたら、おがだべ」(そういうことをするのは、あんまりだ)。そのニュアンスを引き摺った形で「ぎゃふん」を捉えていたのかと思う。「ふん」も不満の意味で使う場合もあることだし…。


 「ぎゃふんと言わせてやる」となれば明らかに攻撃言葉であり、そこでは「負け」を意味するのは確かだ。しかし「ぎゃふんだ」と言った側は、常に完全敗北とは言い難い気がする。「やられた」「負けた」という結果だけれど「呆れた」「つきあっていられない」という気持ちを込める場合もある。ツッパリワードか。