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弁当、普通の独り言

2019年09月04日 | 雑記帳
 弁当~Bentoはもはや世界に通用する語だろうか。NHKお昼の時間帯に、国際色豊かな弁当のあれこれを紹介する番組が毎週放送されている。一つの箱状の入れ物で完結させる料理という発想、その範囲で独自の工夫を凝らすことが日本人の心性にマッチしているし、今さらながら見事な文化だ。Cool Japanの典型か。


 そう言えば、随分前に図画工作の学習として、「弁当」(もちろん、いろいろな素材を使ってそれらしいものを作る活動)を取り上げた同僚がいた。色彩や造形の面からみても価値の高いモデルだろう。日本の隅々まで浸透しているし、みんながよく知っているものから、その土地にしかないローカルなものまで範囲が広い。


 隔月刊の北東北マガジン「ラ・クラ」で「お弁当の時間ですよ」という特集が組まれていた。この雑誌の編集方針からすれば、当然地元にある有名または穴場的な商店の紹介であるが。惜しいのは「家弁」(こんな語はないか)に触れられていない点だ。今は少数かもしれないが、人それぞれに思い出があるのではないか。


 目次におっとさせられた。「ドキュメント 深夜弁当」とある。秋田市にある午前3時開店、7時閉店の一軒の店が取り上げられていた。おそらく、自分はその店を訪れることはないだろうが、そこに足を運ぶ人々の顔が見える気がした。わずか2ページではあるが物語が感じられた。普通ではない普通があるように思えた。


 週3日は昼食持ちの生活だが、残念ながら「弁当」とは呼べない。公私に諸々の理由(笑)があり、基本はおにぎりとインスタント味噌汁。夏場は自家製麺類が多かった。弁当の語源は二つ解釈があり、「面桶」の転「便当」の意となっている。自分にとっては「便利なもの」に成り下がったようだが、結構満足している。