すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

草木が教えてくれるのは…

2019年09月10日 | 雑記帳
 先日、近くのグラウンド周りにある樹木の落葉のことを話題にしたら、その理由を教えてくれる方がいた。「葉っぱが枯れずに落ちるのは、木が自分のからだを守るためにそうするらしいよ。」高温の夏、降雨量も少なかった、土から吸い上げる養分を葉には行き渡らせずに、幹や枝などに使うためということだろうか。


 基礎的な知識かもしれないが、自分にとってはほおうっと受け止めた話だった。植物が生き残るための知恵としては当然かもしれない。ふとおかしな連想が浮かぶ。人間社会であっても、今までとは違う悪条件に晒されたときに、やはり切り捨てられるのは末端か。ただ私たちは、毎年咲き、実をつける葉や実ではない。


 喩えてみれば、末端の枝先。葉や実と直接分かれる当事者でもあるから、辛くなるのだろうか。まあ、それだって早いや遅いかだけのことで、必ずいつかは分かれゆくのだから…と、なんだか妙な展開となった。雨の降らない夏は今年ばかりでなく以前もあった。S先生が教育長をされていた頃だから20年ぐらい前か。


 秋になったばかりの研修会の場だった。その折に印象的な話を伺った記憶がある。「今年の夏は、草むしりが大変だった」と切り出したS先生は、降雨量が少なく土が固くなっただけではないと続け、「草は水分を求めて、地中に深く深く根を伸ばしたから」とおっしゃった。あっと思った。目の前に根が見えだした。


 水を適度に与え続ければ、植物は幹を太くし葉をつけ花を咲かせていくが、根はその先を伸ばして水を求めるようにはならない。逆に足りなければ、根は水分を探しに自ら進むようになる。学校現場に「生きる力」という語が示された頃だ。初等教育では何をどう育てるべきか。深く考えさせられたことを思い出す。