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「三方よし」の矢を放つ

2019年09月07日 | 教育ノート
 先月知り合いの方からいただいた小冊子を、何気なくめくってみた。「道徳ってなんだろう」と表紙にある。現実的にその問いはめったに耳にすることはないだろう。そしてもし仮に訊かれたとしても、辞書に書かれてあるような意味を求めての状況ではない気がする。教え方に悩む場合も含め、それは生き方の問いだ。


 手元の電子辞書で最も簡潔に記されているのは明鏡国語辞典だ。「社会生活の秩序を成り立たせるために、個人が守るべき規範。」前段の目的のために個人が行動できること、それはかなり種類がある。もしかしたら社会と拒絶してしまえばいいと考える人だっているかもしれない。しかし、それを認めたら成立はしない。


 この小冊子には、いいヒント、つまり考え方が書いてあると思った。「三方よし」である。ぱっとその言葉を目にして思い浮かべるのは、あの大岡越前や近江商人か。そういったエピソードと共通している。モラロジーの創建者である廣池千九郎が、随行者を連れて講演先へ向かう時の出来事として紹介されていた。


 列車移動中に不測の事態があり、タクシー利用をする時に同じように困っている人たちがいて随行者は同乗を勧めたが、廣池は料金のことで口を挟んだ。親切心を制した廣池には次のような考えがあった。「同情も親切も必要だが、ただそれだけをよいことだと思ってやっていたのでは、少しもよい結果は得られない」。


 同乗者にも少額の金を求めた。それは自分らの利ではなく、相手の心理的負担を減らし、運転手にも利が廻るよう考えたのである。「三方よし」つまり「自分よし・相手よし・第三者よし」を具体的に表す好例だ。道徳ってなんだろうと尋ねられた時の応答として、この「三方よし」は的の中心を射る矢のように思える。