すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

決断、選択せずに済むように

2019年09月09日 | 読書
 「そのうちなんとかなるだろう」と言えば、私世代以上は植木等を思い浮かべるだろう。「♪カネのない奴は俺んとこへ来い♪」で始まる唄はいくつになっても覚えている。高度成長期の一つの象徴でもあった。あの時代にあった大らかさも感じる。「そのうちどうにもならなくなる」雰囲気の漂う今こそ、思い出したい。


2019読了83
 『そのうちなんとかなるだろう』(内田樹  マガジンハウス)



 ネット上の感想には「内田マニア・内田ファン」のための著と記されているものが多い。興味深く読み進めていけたので、やはりその類と今さら自覚した。知っていた話もいくつかあるが、生誕から始まり幼少期のことなどまさに時代の匂いが感じられ、ドラマになりそうな気配さえする。原風景という言葉が重い。


 「僕たちの『ふるさと』には、守るべき祭りも、古老からの言い伝えも、郷土料理も、方言さえもありませんでした。哀しいほどの文化的貧困のうちに僕たちは育ったのでした。」東京外れの工場街に育った著者が記したこの文章が、ある意味でその後の人生を決定づけたような気がする。その渇望感がエンジンとなった。


 もちろん、そうした環境に置かれた者は数えきれないほどいた。その中で、言うなれば現在、この国における一つの「星」のような存在になり得たのは何故か。結局のところ、人間を信じる気持の大きさではないか。武道や能などへの傾倒もそうだし、何よりこの文がいい。「人間は学ぶことをほんとうは願っている


 信じるとは、身体的な感覚をより重視することだ。学んで本当に修得できたものは必ず身体化されるに違いない。直感となって示されることは多い。だから「決断・選択」流行の世の中に次の言葉が響く。「決断したり、選択したりすることを一生しないで済むように生きる」。そんな場に陥ることがなければいいのだ。