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今、また中華の国を想う

2019年09月05日 | 雑記帳
 昨年の今頃、初めて中国の地を踏んだ。その時見たことや感じたことを「三千年を六日で廻る」と、こじゃれた(笑)題名で書き綴ったことも懐かしい。短い旅でかの国に対する印象が大きく変わったわけではないが、TV等で報道される様々な内容について、時々は実感を持って受け止められるようになった気がする。


 香港をめぐる騒乱一つとっても、どうしたらそんなふうにやり合えるのだろうと思ってしまう。しかし、それはあの大陸にまつわる歴史や民族性が、底にあるからこそと言える。そもそも「中華」という語に込められている自尊心の塊は、善であれ悪であれ周囲との軋轢なしでは済まされないことは分かり切っている。


 改めて「中華」を辞書で引く。「中国で、漢民族が、周囲の文化的におくれた各民族(東夷、西戎、南蛮、北狄)に対して、自らを世界の中央に位置する文化国家であるという意識をもって呼んだ自称」(広辞苑)とある。かつて国境の存在すら認めなかったその思想は、今あからさまに主張しなくとも深く沈殿しているのだろう。


 ツアーの食事とはありきたりの名物。それなりの味ではあったが、一番慣れなかったのは円卓料理の取り皿を一つで済ますことだったと書いた。そこには繊細さはなく、雑駁な感覚が残った。あえて言えば、境界線無き生き方だ。長さや広さ、激しさ、強さ…を求めて、何処までも進む過剰な国とまた思い起こしている。