すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

楽しさと必要感を重ねる

2019年09月12日 | 読書
 あるアクティビティの入門本を読んでいたら、次のような文章が書かれてあった。特に目新しい考えではないけれど、わかってはいるがなかなか実現できない。
 ひょっとしたら今の時代、一番難しいことかなと改めて考えてしまった。


Volume.177
 大人たちの側からの「やらせたい」という思惑が透けて見えるうちは、子どもたちが心の底から「楽しい」という気持ちにはならないのではないでしょうか。子どもたちに「やらせたい」という態度で接するというのは、実は大人の側の勝手な都合でしかありません。


 「教育は強制である」「困難なことに打ち克ってこそ力がつく」という一方の考え方がある。
 それを承知していれば、上掲の論など何ほどのことかと思うのだが、同時に垣間見える真実の存在に多くの人は気づいている。

 若い頃、学びの動機付けは「楽しさ」「必要感」だと考えていた。今もそれは間違いだとは思わないが、二つに分けて組み立てていくことはしないだろう。
 二つはイコールではない。
 しかし重なるように意味づける思考こそが肝要だ。
 授業づくりならそこが鍵となり、教える側の醍醐味ともなる。生徒指導でも同じかもしれない。


 「取り上げるものの楽しさを知っていますか。実感していますか。」
 と問いかけてみて、そうだなあ3割を目指そうかと、現実的な思いも湧いてくる。

 その程度のアバウトさでいないと楽しさも近づいてこない、と勝手な自論を仕立て上げようか。