すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

三度目は、話を迎えにいく

2019年09月03日 | 雑記帳
 トルストイの話なんて何故選んだのか。考えてみれば当のロシアでさえ、土地がどんな価値を持つか分からなくなった時代だ。「農」の大切さはもちろん不滅だが、それより土地に付随する別の価値、つまり資源や軍事等が幅を利かせている。それらも含めて民話を選ぶことの意味を読み手がしっかり持つ必要がある。


 この『人にはどれだけの土地がいるか』には小さい頃に触れているように思う。ただ少なくとも成人してから出合った話ではない。それが今年になり印象深く心に迫った。初めは『人にはどれだけの物が必要か』(鈴木孝夫・中公文庫)のまえがきだった。著者がその著を書くきっかけとなった民話として取り上げていた。


 そして8月。野口芳宏先生の最新刊、宇佐美寛先生との往復書簡『教育と授業』においても、一つの実践例としてこの話を子どもたちに語ったこと、そして発問による児童の変容の様子が記されていた。二つとも要約的な紹介になっていたが、筋として十分魅力的に思えた。そこで岩波文庫版を読んでみることにした。


 読み聞かせができるかと考えたが、文庫版では時間がかかり、小学生相手では語彙も難しく、無理に思えた。そこで別バージョンがないかと調べてみたら「柳川茂・文、小林豊・画」でいのちのことば社から発刊されていたので、注文してみた。30ページ、下読みをしてみたらちょうど15分。これでいこうと決めた。


 絵をあまり見せずに音読中心に子どもたちに対するのは久しぶりだ。おそらく『葉っぱのフレディ』以来だろうか。この民話は、当然社会的時代的背景が強い。ただ、それらを越えて普遍的な要素が詰まっている。自分の読みの実力は心許ないが、誰かたった一人でもいつか何かの機会に思い出してくれたら嬉しい。