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今じゃないと言い続ける訳

2019年09月13日 | 雑記帳
 この頃、少しご無沙汰している武田砂鉄のエッセイを読んだら、林修のことが書いていた。流行語大賞となった「いつやるの?今でしょ!」から10年が経つという。様々な場でスピード化が浸透した時期とも言えるか。以前も書いたが個人的に「スピード感を持って」という言い方が妙に気になり始めた頃でもある。


 根本的に自分が優柔不断であることは承知している。私生活において自己嫌悪に陥る最も典型的な性向だった(と過去形にしようとしている)。ただ、仕事上は、それほど酷くなかったと思うし、早め早めを心がけていた。ある先輩からは「段取り男」と揶揄されたこともある。私的なだらしなさの裏返しでもあったか。


 さて、武田砂鉄は林の思考に対して、こんな言い回しを多用すると書く。「いつやるの?今じゃない!」…そうか。世の中の問題の多くにそんなふうに対してもいい。それは先日書いた「決断、選択をせずに済ます」ことに通ずる。今すぐしなければならないか、どうしても必要か、そう吟味することの大切さが浮かぶ。


 そもそもの問題を置き去りにして提示されることの多さ。具体的な可視的なことだけを重視し、内部に孕んでいるものに目を背けている事象…今就いている仕事にも日常的にそう感じることが多い。齢のせいもあるのだが、チャキチャキと動くことが果たして本当にいいのか、それは何のためと問い返しが多くなった。


 「今じゃない!」という声は、未来だけを指しているわけではない。過去を指す場合もあるはずだ。やるやらないであれば、過ぎ去った時点を問題にするのは無意味のように思えるが、そうだろうか。それは常に目的が問われなければならないという警告だ。今じゃない!と言い続ける訳は模索し直視する姿勢にある。