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「私の主張」を見ての私の主張(笑)

2019年09月06日 | 雑記帳
 中学生だけの弁論をまとまった形で聴くのは十年ぶりぐらいかもしれない。所属する団体が共催なので参加を請われ、大仙市まで関係者と一緒に出向いた。県南予選とはいえ、各々の学校で指導を受けている生徒たちであり、一定のレベルに達している。よく暗記できるものだと今さらながら年寄りっぽい感想を抱く。


 もちろん話す内容や発表の仕方などそれぞれに特徴があった。しかし審査する立場ではないので、また別の興味も湧いてくる。帰宅して夕食時にそんな話をしたら、「目の付け所がねえ」と少し呆れられた。一つは礼(お辞儀)の仕方である。女子生徒が8名いたが、一人だけ手を前に重ねて礼をした子を見つけたのだ。


 しかも原稿を持ったからだろうか、肘が少し上がる形。これは宝塚や都会の有名女子高生あたりがしそうな仕草だ。ビジネスマナーで教える形は少し違うようだ。それにしても、実際にこの辺りで子どもがするのは初めて見たように思う。弁論の良し悪しとは関係ないが、身体から放つ空気が何か違うような気がした。


 ごく普通に語り始めた声が素敵だなと思わせられた子がいた。弁論と言えば、最も「張る声」が必要だろうし、やや演劇的に行うのが普通と言っていい。その子がどう意識したかはわからない。後半になるにつれ声の強さが自然増したことは確かだ。そう考えると、政治家のような職業に向くタイプかもしれない。


 身体の動きにしろ、声の質にしろ、人の心を動かすにはやはり表現する側の独自性がポイントだ。強みが何かを意識して伝える大事さを久々に考えた。その後の某機関による「特別講演」(寸劇つき)があまりに拙かったために、ことさら感じた。全国津々浦々にある取り締まり某巨大組織人ももっと表現を学ぶべきだ。