すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

7万人の百歳の自然を想う

2019年09月15日 | 読書
 百歳以上の方が7万人という報道があった。その数が示すことはたくさんあると思う。身近にはいないのでぴんとこない面もあるが、一人一人の人生は全て違うことだし、改めてなんだか人間って凄いと感じる。ただ、それが自然なのかどうかはわからない。不自然な形だったら嫌だなと、無理を承知で考えたりする。


2019読了84
『百歳日記』(まど・みちお  NHK出版)


 五年前に104歳で亡くなったまどさんの、百歳の頃の文章や詩が載っている。その折のTV番組も見た記憶がある。いかに達人であっても、百歳の「キリ」は考えたようだが、のんびりしつつやはり前向きだなあと思わせる言葉がある。「『年をとったからこそ新しい世界が開けるかもしれない』という気はしています。


 『「?」と「!」』という章があり「世の中に『?』と『!』と両方あれば、ほかにはもう、何もいらんのじゃないでしょうかね」と書いてあり本当に嬉しくなった。あれは何年生担任だったか忘れたが、まさしくその二つの記号だけを、教室正面掲示にしたことがあった。学びとは、生きるとはそういう結論になるか。


 そのために必要なこと。まどさんは老いを自覚しながら、こう書く。「人間は、五感を働かせていることが、生きているということなのでしょう。」それが出来ていることが「自然」と言えるはずだ。おそらく「好きなことをする」のが一番だろうが、あまりに文明が行き過ぎてしまい、意識しないと衰えていく一方だ。


 「生きているということは、結局『生かされている』ということです」意味はわかっても、禅問答みたいなものが役に立つのかと考える人もいるだろう。ただ、もし仮に百歳になったら「生かされている」と真から思うかもしれないな。新聞に載った男性最高齢112歳の田中さんは「死ぬ気はせん」と語ったそうだが(笑)。