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桜と絵本と豆乳と

身近な俳人がここにもいた

2019年09月11日 | 雑記帳
 必要があって町内の短詩形(俳句・短歌)に関する書籍を読み始めた。思い出したように下手な句作をすることもあるが、完全に素人なので改めて勉強するような心持ちだ。書架から取り出して目を通し、個人的に驚かされたことがある。身近な知っている人たちが、俳号を持っていたり、句集を出していたりするのだ。


 『夜香蘭』と題された句集は、布張りの立派なハードカバーである。この著者は実家の筋向いの洋装店のご主人であった。私と同期の息子が家業を継いでいる。句作のきっかけは家族の病気と記されていた。その苦悩を句に詠み始め、幅を拡げて句集を出すまでに到るとは…。人生における自己表現の意味を想う。


 『羽後町吟社の人々』という冊子に、佐藤告天子という雅号で紹介されていたのは、これまた実家の隣家の鮮魚商の主人であった。幼い頃によく声をかけられた記憶がある。豪快なイメージの大人という印象が残る。紹介された句の一つに唸った。「鱈裂けりかじかむ手元狂いなく」。出刃包丁を持つ姿が浮かんできた。


 町の俳人たちを紹介したその『羽後町吟社の人々』という冊子を著した方もまた同級生の父上であった。そういえば、図書館に長く勤められた方で自らも作句していたようである。在職中から始め退職後に集約した労作である。こうした地域資料の貴重さを今さらながら痛感する。読書での出逢いの一つの典型をみた。


 さて、昨日歯科医院で職員の方から声をかけられた。夏休み前に小学校の作句指導に手伝ったことを知り、話をしてくださった。息子さんが休み中にずっと続けて作っていたことを楽しそうに語ってくれる。俳句の楽しみ方が幅を持ってきた昨今なので、自分が作れなくとも何か盛り上げることはできるかなと考えた。