日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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柴又そぞろ散歩 4のB

2014年07月23日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

帝釈人車鉄道・ (2の2)

1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を行っていた。

 

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人車(客車)は6人のりで、長さ6酌幅4酌と長さ4.5酌幅3.8酌の二種類があったらしく、
最盛期には車64両と保線工事用トロッコ4輛を保有していた。 

片道5銭、往復9銭(当時、あんパン1個が1銭、牛乳1本が3銭)で、乗車券は金町行きが白、
柴又行きが赤、往復が青に色分けされていた。
 
この軌道では押し夫の事を「車丁」と呼んでいて、通常は一人(強風時は二人)で人車を押していた。

 


≪父ちゃんは押っぺししていた≫紙芝居

 



帝釈人車鉄道企画展に展示された”人車”

何れも松山人車、 長南茂原間人車の実物写



明治時代の帝釈天参り

 

金町柴又間は帝釈人車軌道人車の様子が分かります

 

引用参考文献  
 葛飾区郷土と天文の博物館編「葛飾柴又展」(1991年)と同館所蔵写真
 「人車鉄道の世界HP」を参考にしました。

 

コメント (8)
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柴又そぞろ歩き 4のA

2014年07月23日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

昔の人車、今の鉄道・(2の1)

明治から大正初めにかけて、
現在の葛飾区内の金町-柴又間に人車鉄道が存在した。
「帝釈人車軌道」である。

 この人車鉄道は金町駅から題経寺(帝釈天)までの参拝客の輸送が目的であった。
1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を終了し、
単線電化で電車の運行を開始した。

   

 金町駅・・・・⇔・・・・・・・現在の京成金町線・・・・・⇔・・・・・柴又駅 

 
京成線路の右は柴又街道、その右は、緑に覆われた都民の水瓶・金町浄水場


柴又駅に向う電車
その昔、電車でなく≪帝釈人車鉄道≫が通っていた。

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昔の人車鉄道  詳細は次回blogにて

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コメ欄はお休みです。

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