早朝散歩で見かけた花
今朝も俳句帳をもって出掛けた。
帰って来たのが6時チョイと前でした。
ベンチに腰を下ろして一句詠みました、川柳マガイ~まあイッカ。
アサガオやお前も咲くか俺も咲く (縄)
アサガオが声かけあって咲くかのように
横一列、縦て一列に咲いていた。
サルスベリほんまに百日咲くのやら (縄)
百日紅(サルスベリ)と書く。今が盛んと咲いています。
百日・・・?
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早朝散歩で見かけた花
今朝も俳句帳をもって出掛けた。
帰って来たのが6時チョイと前でした。
ベンチに腰を下ろして一句詠みました、川柳マガイ~まあイッカ。
アサガオやお前も咲くか俺も咲く (縄)
アサガオが声かけあって咲くかのように
横一列、縦て一列に咲いていた。
サルスベリほんまに百日咲くのやら (縄)
百日紅(サルスベリ)と書く。今が盛んと咲いています。
百日・・・?
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アサガオに小道ふさがれ回り道 (縄)
早朝散歩に出かけた。
新中川に近い、「奥戸交通公園」の中を歩いていた。
新中川土手下に降りた場所ですが、早朝のため誰もいませんでした。
公園から外の通路に出でようとしたときアサガオが目につき、カメラを向けた。
撮り終えて歩道に出ようとしたとき、蔓が伸びて小路をユラユラと塞いでいた。
つるの先端には蕾が出来て、明日にも咲きそうでした。
チョイと回り道をし、脇道から歩道に出た。
奥戸交通公園のアサガオ
職員の方が丹精して蔓をはわせて居るようです。
木に蔓が巻き付いて・・・。
俳句を愛する私たちは、お互いの作品を信頼することを土台としています。
俳句には「類想・類句」という言葉があります。
文字通り、同類の発想・同類の句という意味です。似たような発想の元に、似たような句ができるのは、短詩系文学の
宿命です。ましてや俳句はたった十七音。俳句を作るということは「類想類句」との闘いなのです。
しかし「類想類句」を恐れていては、俳句は作れません。日本中いや世界中で作られている俳句、詩歌すべてを網羅する
データベースを作ることは不可能。そんなことに奔走するのは、本末転倒。
俳句を愛する私たちは、自分の心を表現したくて俳句を作る。
あくまでもそれが第一義です。
「類想類句」は当然生まれます。
だから、俳句を愛する私たちは、他の人とは違った表現、多彩なオリジナリティと究極のリアリティを求めて研鑽し合うのです。
(出典・夏井いっき先生の文)
アサガオにつるべ取られてもらい水 (加賀の千代女)
アサガオに小道ふさがれ回り道 (縄)
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散歩しながら一句捻る
朝の散歩には手帳が必携品です。
手帳ヨシ、鉛筆ヨシ、帽子ヨシ、カメラヨシ
ハイ出発!!
* 5時家出早いじゃないか散歩だよ
朝のさわやか気分そうかい(縄)
* 三和橋三ッの町の通行路
笑顔がはずむ声がはじける(縄)
* 中川のジョギングコースあと千歩
朝の散歩は五千歩前後(縄)
* アスハルト割れ目の筋にみどり萌え
力強さにふと立ち止まり(縄)
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俳句・短歌を詠む
散策の途中~休憩できる場所にて、句を捻る
自然の中を歩くことで、脳がリラックスできます。
太陽の光を浴びると体内物質が脳内神経を刺激し促されると言う。
ストレスに対して効能があり、精神的な落ち着きが得られとのことです。
此れに付加価値を加え、さらに俳句・短歌を詠みメモをする。
ベンチ休憩できるほんの些細な場所に、腰を下ろし思索にふける。
五感と連想力をフルに使う。
視覚・触覚・味覚・聴覚・嗅覚・事象をキャッチする。
デスクワークと違い千変万化、自然あらゆるものが飛び込んできます。
これ等を取捨選択し思索をひねれば5・7・5に結び付きます。
散策にはポケットノート必携
一句捻る
奥戸バラ園の休憩処
(この画像は蔵出し)↑
せせらぎ通り、花壇の休憩所
Blogとは、「ウェブ上の記録」を「Weblog(ウェブログ)」を
略してBlogと呼ぶ。
Blogを綴りて5・7・5を育てよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
散歩する歩幅の長さ二尺ほど
歳を重ねて短くなりぬ(縄)
若き頃の行進の歩幅は60cm位と言われた。
歳重ねると歩くのも間々ならぬ、大分歩く歩幅が縮ったことは否めない。
花咲きし花壇通りの石畳み
車椅子をば通り過ぎ行く(縄)
ベンチに座りヤレヤレとしていると、5人の男の集団が通り過ぎた。
中に車椅子に乗った青年がいた、どんな人の集まりやら・・・?
親子連れバラ園小径花あふれ
自転車幼児すいスイスイと(縄)
バラが小径に覆いかぶさり塞ぐ。その狭い道を曲芸の様に花を避け
通り過ぎて行く自転車スイスイ。
4~5歳、男の幼児にしては速いスピード!
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兼題『三月尽』
皆さんの晴れやかな句を読みて
陰暦三月(弥生)が尽きること。
陰暦では一月から三月が春であるため、三月は春の最後の月。春が終わるという感慨や、
行く春を惜しむ気持ちが込められる。
陽暦では三月は、春の終わりではないので、惜春の思いはない。
右から左へ高➡低得点へ、6・6・5点と下がる・・・
能登半島の大地震を詠まれた句で有ろう・・・!
↑の 震災の句を見て
台湾の地震のその後のTVを見ていて~~。
4月3日には台湾東部沖で震度6強の大規模地震が発生。
4日に放送された『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)では、被害が集中
した花蓮市に避難所が設置された様子が映し出された。
「避難所のなかにテントが用意されていて、それぞれのプライバシーが配慮されている、
それに温かい食事が簡易食器に出されたには驚いた。」
日本の一般的な避難所との違いにテント、食事等の立ち上がりが
早いのに驚いた。
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自選十句集(五)編集
・・・~いにしえを思う
今年も残り少なく十日ばかりを残して押し迫った。
11月句会の例会にて今年も」自選十句選集 を編纂してもらえないかと
主宰から言われた。
そんな事から編集に取り掛かり、表紙の挿絵のことで皆さんの意見を募った。
「A/亀の絵」&「B/C/囲炉裏~2点」の3点を試作として提案したところ、
「C/囲炉裏」に決まりました。
A 「かめの会」なので親亀と子亀
B 囲炉裏の画像
C 「かめの会」は田舎人が多いので囲炉裏(PCから摘出)
「俳句自選十句集」を編集中に私的のことで思わぬことでわき道にそれてしまった。
我が家の親戚で、本年4人の不幸がありあの世へ旅立った。
▲ 私(縄文人)~実の姉、義理の姉(実家)
▲ 家内(妻) ~実の姉二人
この世から旅立って逝った。
かめの会員の十数人の句を詠み編纂していると、やはり兄弟姉妹が
亡くなった句を詠みし人がおりました。
歳重ねると、あれやこれやと不幸が重なるものと、しみじみ師走の押し迫った
時期に入り思いを巡らすことになった。
来年の正月は一切なし、通常の体制にて日々を過す。
◎ 姉逝きし 囲炉裏囲みし 古の
暮らしし家族 独りに為りて (縄)
(当時の家族は母子家庭で、祖母、母、兄、姉、私の5人家族でした。
いろりを囲んで食事したことなど…思い出した。その当時の家族吾一人為りしや)
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11月の句会
兼題 「山茶花」
日本固有のツバキ科の常緑小高木で、枝先に白か淡紅色の
五弁の花を開く。
園芸種として八重咲きや濃紅・絞りなどもある。
句会の様子
13名@4句52句、右から高得点句順に並べました。
俳句は文語体を使いますので赤線が現れます。
△ 山茶花や丸く輪になり五七五 (縄)
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十月兼題・秋の夜
10月は入院/退院等で句会には出席できませんでした。
月報は、すでに届いて居りましたが、雑用等で遅くなりましたが掲載します。
9月句会の風景
金子兜太句碑、 秩父皆野町にて
右から高得点句で配列しました。(15名、@4句→60句)
* 筆者の句ですが病ベットで詠みました。
点滴や病身を預け窓の月 (縄)
秋の夜や一炊の夢病ベット (縄)
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お起し頂き有難うございます。
5・7・5、兼題「猫じゃらし」、雑詠
1年草の雑草、ブラシのように長い穂の形が独特な雑草である。
夏から秋にかけてつける花穂が犬の尾に似ていることから、
「犬っころ草」が転じてエノコログサという呼称になったとされ、
漢字でも「狗(犬)の尾の草」と表記する。
猫じゃらしの俗称は、花穂を猫の視界で振ると猫がじゃれつくことから。
(植物辞典から)
我が家の前の駐車場には、「ねこじゃらし」が一杯はびこっている。
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