日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

電柱がない~拡幅~安全~交差点広く、

2015年04月29日 | 紀  現場にアタック、何でも

大型車もスイスイ・・・右左折
=今はむかし、むかしは今=

 

この地に越してきてから、かれこれ40有余年が経つた。

通勤帰りに田圃から水があふれ、ザリガニも目にした。舗装は愚か用水路にかかる橋も疎かでした。

そんなこととて信号などが有るはずがなく、

この交差点では、毎晩のように大小の交通事故が発生していた。

信号も3基増え、道路拡幅、電線地下埋設、歩道は拡がり

モダンな道路に生まれ変わった。 

やさしさが走るこの街この道路 

道路は立派になってもこれを使う我々のマナーがしっかりしなければ、
交通事故は減らない。

 

  

 

 

立派な道路になり、右左折が容易に出来るようになった。

狭い交差点では、大型車は一旦バックしてハンドルを切りなおして再度発進し右左折をした。

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栃木路の旅(その3) 宇都宮二荒山神社(ふたらやまじんじゃ)

2015年04月29日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

 日光二荒山神社とは関係ない

 

宇都宮二荒山神社は、栃木県宇都宮市にある神社。

神紋は「三つ巴(菊に三つ巴)」。

郷土の祖神、総氏神様として篤い信仰を受けております。

正式名称は二荒山神社であるが、日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために

鎮座地名を冠して「(ふたらやまじんじゃ」と呼ばれる。

早い参拝であった為、巫女さん、神社職員の清掃が行われていた。

落ち葉をきれいに掃き

境内を歩くのは清々しかった。

 

 

デジブック 『宇都宮二荒山神社』

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栃木路の旅(その2)~大谷石採石跡地

2015年04月28日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

巨大・・とてつもない神秘的空間



大谷石という石を知っていますか?

そうなんです。宇都宮周辺で産出され、

石蔵をはじめとした建築物の外壁、プラットホーム、石垣や階段、

門柱に大谷石が盛んに利用されていました。

                       ・耐火性にすぐれている
                       ・石の重量が軽い。
                       ・石質が柔らかいため、加工が容易である。

ということから大変重宝に使われてきました。

その採石跡が巨大空間として残っており、彩色を施し資料館として光と色により

神秘的巨大空間を醸し出していた。
潜入しました。

 


橋を渡ると、巨大な石切り場が・・・・現れて!!


橋を渡る前のあちこちに見られる巨大な石


資料館入り口にて

 

ドでかい地下空間は、暗く、足場が悪く
撮影に苦労しました。
もともとカメラに疎いで、ボケボケの画像が大半です。
異空間での事 ご容赦ください。

 

デジブック
『地下空間の巨大な穴』

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栃木路の旅(その1)~宇都宮城

2015年04月27日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

広い芝生・・富士見櫓・・お堀

 

戦国時代初期には宇都宮城で17代当主宇都宮成綱が実権を掌握するために、

芳賀高 勝を謀殺し、宇都宮錯乱とよばれる大きな内紛が起こりその戦場となったという。

宇都宮城は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。

隣には栃木県庁が有ります。

 
内部は広い芝生です

 

栃木路・宇都宮の旅がしばらく続きます。

くまなくご案内いたします。


大家石砕石跡の幻想的(よく写らなくて幻想的・・・・)な場面も有ります。

子供に返った大人の≪ボケ防止遠足≫です。


隅から隅までズズ・・・ズイと、よろしゅうお願いいたします。

 

デジブック 『宇都宮城址』

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ジャガイモの土寄せ~二本仕立て~追肥

2015年04月25日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

菜園のあちこちに、菜の花が咲く


雑事に追われて畑に行くことが出来なかった。

割いて、やっと数日前やっと出かけて、土寄せが出来た。

追肥をやると共に、『頑張れヨ!大きくなれヨ、大きな芋になれ・・・』と、言い聞かせるように、

背筋を伸ばしながら作業をした。


2本仕立てにして、追肥した。


頑張れ、大きくなれヨと活を入れながら・・・・・・・。

 


名前の知れぬ菜の花が、盛りと咲いていた。

 

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緑り鮮やか、眩しい葉っぱ

2015年04月25日 | 自然  環境・自然・四季

緑は、目の為によい!!

 

市川里見公園にて

春が静かに行き、風が新緑の訪れが近いことを告げる。



江戸川と東京スカイツリー

 

醜いアヒルの子 

小学校国語教科書の中で学んだ

アヒルの群の中で、他アヒルと異なった姿のひなが生まれた。

アヒルの親は、七面鳥のひなかもしれないと思う。

周りのアヒルから、あまりに辛く当たられることに耐えられなくなったひな鳥は

家族の元から逃げ出すが、

他の群れでもやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。

生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む水池に行く。

しかし、いつの間にか大人になっていたひな鳥はそこで初めて、

自分はアヒルではなく美しい白鳥であったことに気付く。

 

==殺してもらおうと白鳥の住む水池に行く。==

・・・の、下りの中で

『緑は目の為によいから、アヒルの子に一杯見させてやった』

との、一文が有った。

そんなアンデルセンの童話を思い出し、

眼下に広がる江戸川、東京スカイツリーを眺めた。

 

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しょんべん横丁 (新宿ーその5)

2015年04月24日 | 紀  東京からの便り、トピックニュース

懐かしきかな、しょんべん横丁、今は『思い出横丁』

 

しょんべん横丁・歴史

 人まばら?

狭い路地を通るだけで、若かりし頃の思い出が蘇る。

焼き鳥はこの店、地酒は、定食は・・・、男のドラマはここから始まる。

通勤に新宿西口を利用していた為、事の外 想いが濃い。

高層ビル立ち並ぶ、一角に”昭和のロマン”華やいで在り。

  

デジブック
『しょんべん横丁』

 

 

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西新宿ビル群  (新宿ーその4)

2015年04月22日 | 紀  東京からの便り、トピックニュース

まだまだ沢山の・・・、ニョキニョキと・・・・ノッポビルの数々
身体を苦ねりながら・・・・見上げる

 

・ 見上げれば首筋痛し春の風  (縄)


新宿センタービル


新宿センタービルの植え込み


損保ジャパーン本社ビル


モード学園ビル


東京都庁ビル


東京都庁議会棟

  • 1885年(明治18年): 新宿駅開業
  • 1898年(明治31年): 淀橋浄水場通水
  • 1914年(大正3年): 京王電気軌道(現:京王線)開通
  • 1927年(昭和 2年): 小田急線開通
  • 1965年(昭和40年): 淀橋浄水場が東村山浄水場へ機能を移転、廃止
  • 1966年(昭和41年): 新宿駅西口地下広場竣工
  • 1970年(昭和45年): 住居表示実施により西新宿一 - 六丁目が誕生
  • 1971年(昭和46年): 住居表示実施により西新宿七 - 八丁目が誕生。浄水場跡に京王プラザホテルが
                   開業し、 これを皮切りに1970 - 80年代にかけ、相次いで高層ビルが建設される
  • 1991年(平成 3年): 東京都庁舎が千代田区丸の内三丁目より、西新宿二丁目の
               ビル群へ移転開庁
  • 1996年(平成 8年): 丸ノ内線西新宿駅開業
  • 1997年(平成 9年): 都営12号線(現:大江戸線)光が丘 - 新宿間開業。
                   西新宿五丁目駅都庁前駅が開業
  • 2000年(平成12年): 都営大江戸線全線開業。新宿西口駅開業

                                       (ウイキペティヤ フリー百科辞典資料による)

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異空間の中に  (新宿ーその3)

2015年04月22日 | 紀  東京からの便り、トピックニュース

 水の流れ・・・地下歩道を歩きて、ホット一息

 

新宿駅西口、地下広場から都庁へ繋がる地下通路

柱の多い異空間、四角い通路

陽の光が差し込む水の流れが有った

通路と光がドッキングする

ホット一息、深呼吸

東京…そう言わずと知れた日本の「首都」

経済・政治・文化の中心地として、様々なドラマを今日も紡ぎ続ける

そんな東京、そんな新宿、目まぐるしい

水の流れを  ホット一息 目を凝した。

 

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土曜の夜に集まるホークソングゲリラ (新宿ーその2)

2015年04月21日 | 紀  東京からの便り、トピックニュース

ギターを抱え、期待と夢を抱き、
若者が世直しをしなければ日本は・・・!!(純真な気持ち若者達)
昭和43年(1968)頃 

 

ベトナム戦争中の昭和43年(1968)ごろから

大阪・東京などで自然発生的に始まった学生・市民の反戦集会。

駅前広場などに集まり、反戦的なフォークソングなどを歌った。

そして新宿西口地下広場が埋め尽くされた。


現在の新宿に地口地下広場
 

 


左奥を進むと東京都庁、右横柱の人溜まり新宿西口交番、

↑ 二枚は、現在=2015,4,19、 新宿西口地下広場の風景。

自由に歩む姿に平和が漂う

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

ホークソングゲリラ占拠した西口地下広場
 

 


資料画像
 

↑ 1968年時代(昭和43年)の新宿西口地下広場、
ホークソングを唄いベトナム戦争に反対した 、当時の現場
 集会

 

ベトナム戦争中の昭和43年(1968)ごろから大阪・東京などで 

自然発生的にに始まった学生・市民の反戦集会。 

駅前広場などに集まり、反戦的なフォークソングなどを歌った。 

若者のハートをつかんだホークソングは、この頃から唄われたのであろう。 

集会は、次第に大規模となって、東京新宿駅西口広場での参加者は1万人にもなり、 

現場は収拾が着かない西口地下広場となった。 

警察隊が出動した。

先日のある新聞の社説にに、こんな文章が載っていた。

「いま平和の社会に、遥か、遠い彼方から、微かな軍靴の音が、

  忍び寄ってくるような
気配がしてならない』

 

 

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