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日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

火 鉢

2024年11月22日 | 紀  秩父のあっちこっち

扇風機の風で涼む人(男性)のイラスト – フリーイラスト素材集 ...

   ふるさとの

      話をしよう

           第4話・ 火鉢

 

  「物は大事に使いなさい」田舎のおばあちゃんがいつも言っていた。
使ったものは大事にして置かなければならない。使うとき困るから・・・。

それぞれの道具を使いこなすには、それぞれの”深い道”や決まりがあった。

  妻が先日、夏場にお世話になった扇風機二台をダンボウルに入れて納めた。
それは、買ってきた当時の空箱に発泡スチロール、ビニールがそのままの状態であり、此れを解いて納め物置に入れた。丁寧に埃を払って、買った当時と同じようにしてガムテープで封をした。かれこれ扇風機は、5年ほど前に買い求めたもの、未だに箱や中に発泡スチロールや、ゆるみ止めが有るとは驚いた。

  ”深い道とは”、丁寧に心のこもった使い方をすることだと思った。
心を込めて、夏場有難う~「また来年もよろしく」と呼びかけるように心構えこそが、物を大切に~だと深く心に刻んだ。

 

   火鉢でお餅(^u^) | 囲炉裏・火鉢 | 薪ストーブ 暖炉 | 愛媛 ...
                       画像はwebから転用した。

 

  冬になると日本の家は、部屋の中に大きな石を置いた。
僕が子供の頃には、どこの家にもあった。此のほんのり暖かい石を「火鉢」と言った。

  部屋の中にポツンと大きな火鉢が置いてあるのは、何とも言えない田舎の面影が有った。この周りには自然と子供たちが集まった。

  火鉢のなかには赤い火が灰に掛けられてその周りにゴトクと火箸が置かれていた。正月などの時期は、親戚の子供たちが集まり、ゴトクノ上に金網を載せてせて餅を焼いた。醤油をつけて二度焼きした。

此の香りが部屋一杯に餅の匂いが立ち込めて正月風景を醸し出した。
そばにはコタツがあり、そこでカルタやトランプで遊んだ。

  その火鉢という石造りの置き物は、ストーブと言う便利なものに替わり、何処かに仕舞われて見ることが出来なくなった。

(そうなんです~~、都会では炭の売っているお店何処だやら・・・そこから始まらる。)

 

 

    古火鉢親戚子らや集いけり(縄)

 

 

 

俳句の手帳から

   雨あがり土手の青草白玉の
       零れ落ちんか朝の散歩や (縄)

   栃の木や色鮮やかに黄葉す (縄)

    

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つるべ井戸

2024年11月21日 | 紀  秩父のあっちこっち

ふるさとの
    話をしよう

  第3話  はねつるベ井戸
      その他一連の用具等、昔人の知恵

 

  * アサガオにつるべ取られてもらい水 (加賀千代女)

  昭和時代には、このようなつるべ井戸↓が見られた。ご多分にも
れず、我が家(故郷)
でもつるべ井戸に大変にご厄介になりました。
  お勝手への水がめ、風呂への水汲みは此処からの水を運んだ。そして
子供の仕事としての、これらの場所に水を運ぶのが役目でした。
水を運ぶ道具は、水桶に天秤で肩に担いだ。水がめや風呂に一杯にするには、
5~7回ほど運んだ。子供であるから半分ぐらいで少なく何回もに
分けて運んだ。片道40mほどの距離でかなり疲れた。


0411.JPG
 井戸は石垣積みにて築造。地下水が自然と湧き出る方式。

① つるベは竹製、横棒は杉の丸太、真ん中を太い棒で支え、右端には
  ツルベが軽くなるように錘(石)を着けた。

② 井戸は水を汲み上げるだけでなく、夏場は冷蔵庫として代用した。
  冷やすものを、入れ物に入れて井戸の水面までロープで下げて暑さを凌いだ。
  「三種の神器」が普及しだしたのは、昭和30年代です。

(井戸の外は暑くなろうと井戸の中は暑くならない。どんなに冷え込もうと冷たくならない。
一定の気温を保っていた井戸の水=冷蔵庫替わり、昔人の知恵)

 

  ハネつるべ井戸の原理 
  

 

    水の運搬用具

肥桶 天秤棒 FATUB0012 - 藤浪小道具株式会社
              運 搬の水桶と天秤棒

   
     子供のため半分ぐらいの水量。50m程の距離を4~5回往復した。


               
      水を貯める     風呂を沸かす

水瓶と古さと楽しみ - リサイクルおじさんが 全ての製品の 再生 ...  砺波市の文化を、デジタルで楽しむウェブサイト。TONAMI DIGITAL ...
  台所の水瓶            木製の風呂桶

 

他のつるべ井戸

  「部落・耕地」には、このような滑車のつるべ井戸も有りました。

 つるべ井戸 | 写真 | アールクリエーション 
  滑車式つるべ井戸
         (画像は、webの郷土の民族用具を引用した)

 

           ーーーーーーーーーー。。。。---------

 

     歳重ね懐古に浸かりあれこれと
          心の襞に語り掛けしや (縄)

   ( この短歌は、NHKラジオ深夜便「21日・4時」
▽わたし終いの極意 「今日を生き切る」
     歌手 由紀さおり(78歳) の放送を聴きながら詠んだ歌です)

 
       

 

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秩父のことば

2024年11月18日 | 紀  秩父のあっちこっち

ふるさとの

   話をしよう

     第2話   耕 地  (山の島)

 

    
                  山裾の炭焼き小屋

 
  『広辞苑』により、「盆地」を引いてみると、周囲を山並みに囲まれた平
地と説かれています。秩父はその周囲を山並みに囲まれた点では典型的な平
地の少ない盆地です。平地はあまりにも少なく、平たい”お盆”に見立てるより
も、厚い縁
に仕切られた”深鉢”と言った方が適切であるかもしれない。厚い縁と
は、
周囲を二重三重の山並みによって取り囲まれた秩父山地であることは言うま
でもない。


                         秩父石間部落の耕地
 
 
  秩父の山村の佇まいを類型化してみると、一つは蛇行する一筋の川の周辺に発
達した串差し状に点在する集落です。もう一つは山また山の向こうに急に開けた台地上
の斜面に、いくつもの集落が点在する形の二つの集落です。
 
 押しなべてこれらの集落を、秩父では「耕地(コウチ)という独特な呼び名をしま
す。この呼び名を初めて聞いた人は、何に此れと言う特殊な呼び方に疑問を抱くでしょうが、
此れが自然と親しみやすくなります。つまり、人々は急な斜面を耕して畑を作
り、集落を作ってきました。畑や集落のことを「耕地」と呼んできました。
 
                        
 

               秩父市、石間部落の佇まい  

 

 

 

俳句の手帳から

  栃の実や黄色く熟れて垂れ下がり(縄)

     中川の波間に泳ぐカモ五匹(縄)

 

 

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郷  愁

2024年11月15日 | 紀  秩父のあっちこっち

ふるさとの
    話をしよう

        第1話・秩父というところ

 

日本百名山 両神山 | 小鹿野町
       朝な夕な眺めた日本百名山、両神山

 ある人が秩父を評して「秩父は江戸の文化の吹き溜まり」と言ったことを耳にした。
晴れた日には、東京のビルの屋上から淡いブルーの奥秩父の連山は、夕日に映えてさなが
らの絵画のようである。此の秩父は、都会の喧騒な生活に飽きた人々の限りない郷愁を誘
ってくれる奥庭ともいえるところだ。

 池袋から西部電車に飛び乗に90分、アットいう間に山に囲まれた「秩父」に到着する。
そこには2千メートル級な関東山稜に囲まれた、細々とくらしを守ってきた、素朴な山村
の生活の文化があるからです。

 秩父の山には、日本アルプス急な男性的な景観は見られません。アルプスにはその土地
の生活と切り離れた山独自の美しさがある。秩父の山々にはそのような絢爛な姿や形は望
めないが、山の稜線から谷の隅々まで至る所まで、生活の息遣い、深い人情と深呼吸がみ
なぎっている。秩父の文化は廻りの山々と深い関わり合いが有ります。

 

秩父 山里 生活記3: 2020年5月アーカイブ
        山の氏神様

 日本の山の信仰は、古くから山々に宿る神様や霊験あらたかな霊地に対して、敬意を払
い、信仰を寄せる信仰のひとつです。山々は、古来より日本人にとって神聖な場所であ
り、山岳信仰はその山々に宿る神様や霊を崇める信仰として、広く日本の文化に根付いて
います。

 山岳信仰の代表的な神様には、日本各地に存在する「山の神様」があります。山の神様
は、山や自然を司る神様であり、山岳信仰の中心的な存在となっています。
筆者が、秩父の田舎に居るとき、年開けて初めて山の仕事に就くときは、この山の神祠
に、オサゴ(お米)を持って供し「今日から山に入ります」と言って、山の安全を願っ
た。

  (「ふるさとの話をしよう」のコーナーを新設しました。追々記事を書きます)

 

      ふるさとの山にむかいて問うてみた
          ダンベーことば帰って来たよ(縄)

 

 

 

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日向ぼっこ

2024年02月08日 | 紀  秩父のあっちこっち

日向ぼっこ & 押しくらまんじゅう

あちゃむし、だんべえ(秩父言葉)

 

 

貧しい農家の生活の中で、子供たちは元気に野山を走り回った。

遊びにも、家の手伝いにも一生懸命汗を流して手伝った。

数十年前の生活は戻ってこない!
子供のころ祖母から聞かされた、頓智頓才の小さな物語、方言をチョイと摘まんでみました。

そして「かめあり句会」にて”日向ぼっこ”なる兼題で詠みました。

子供たちは、日向ぼっこと言えば、”押しくらまんじゅう”を
して温まった。

 

日向ぼっこイラスト|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」
お年寄りも縁側にて日向ぼっこ




   秩父地方の「日向ぼっこ」に、押しくらまんじゅう。 

秩父多摩甲斐国立公園にある日本百名山の一つ、両神山 - 甲武信 ...
両神山

武甲山 秩父盆地を見下ろす、奥武蔵の盟主 | 週末は山を目指す
武甲山(石灰岩で宝の山)

学校に行くとき背に両神山、前に武甲山を見ながら登校した。
  朝に夕に眺めた両神山と武甲山(画像蔵出し)

 

あちゃむし、だんべえ~(秩父言葉)

 秩父音頭には、♪そうとも、そうとも、そうだんべ♪ あちゃ、むし、だんべ、につるし柿♪』という
合いの手があります。

秩父の方言は、この「あちゃ」「むし」「だんべ~」だというわけです。

 しかし、最近では、「だんべ」以外は、ほとんど聞くことができなくなりました。

 「むし」といのは、「きょうは、あついむし。」というように、
「きょうは、あついですね。」という意味で使われました。(秩父方言集から)

 

 

【日向ぼっこ】

晴れていても冬の太陽は弱い。

戸外で遊ぶ子供たちにとって、何もせずにいると寒さが身に染みて
「さみい~こった」と言いたくなるものだ。

「ちっとんべいでいいから、ぬくくしてほしい」とお天道様にお願いする。

 さみい~こった = 寒いこと。
ちっとんべえ = ほんの少し

 

【句会にて➡日向ぼっこを詠む】

         ◎ 日向ぼっこウトウトウトと鼻眼鏡 (T) 

          ◎ もて余す長き余生や日向ぼこ (Y)

            ◎ 日向ぼこ老婆輪になり笑う声 (A) 

                 ◎ 日向ぼこ猫の良く知る特等席 (N) 

                              ◎ 日向ぼこ歳時記膝に鼻眼鏡 (O)

 

 

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ふる里・谺・望郷

2022年11月13日 | 紀  秩父のあっちこっち

ふるさと恋秋(詩)

 

 

故郷は、秩父盆地の山に囲まれて育った。

学校に行く時、正面に武甲山~背に両神山を、帰りはこの逆で、東北東の
群馬堺に城峰山を見ながら育った。

秋になると全山が錦織なす衣を纏い、赤や黄色に染まり、遠い峰々は青く霞んで見えた。。

春は新緑・秋は紅葉で、織りなす錦を見ながら学校へ通った。

秋の名残を求めて・日向大谷口から両神山日帰り登山│カラログ ...
  両神山を背負って登校した。

城峰山登山』小鹿野・皆野(埼玉県)の旅行記・ブログ by ゆん ...
  城峰山

埼玉にもある棚田、周辺では風に揺れるコスモスも…深まる秋 ...
  穫り入れの秋、稲のハゼ掛けと武甲山


   秩父ミューズパークの秋

 


  

「谺」三山ろし 

 

  ▼ 山粧う武甲の嶺や両神山 (縄)

 

 

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龍勢祭り(飛び入り)

2022年10月11日 | 紀  秩父のあっちこっち

2022故郷の【秋まつり」天高く上がる!!
故郷は遠きにありて思うもの・・・

 

 

故郷の龍勢祭りが行われました。椋神社大祭です。

以前は、10月3日と定まっていましたが、年々大掛かりに文化財に指定などで次の日曜に変更になりました。

この龍勢祭りは、「ロケット祭り」と言われロケットの発祥地とも言われています。

今まさに宇宙時代、若田さんも宇宙に滞在中です。

 

吉田椋神社 - 出会い旅ふれあいのちちぶ|一般社団法人秩父地域 ...
椋神社本殿

 

2022・秩父吉田龍勢祭り  

 

拡大版・昔の龍勢祭り  

 

 

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秩父地方 「とうかんや」 農事祭り

2021年09月28日 | 紀  秩父のあっちこっち



十日夜(とうかんや)

 

 

 

以前に「秩父は江戸の文化の吹き溜まり」という言葉を使いました。

これは旧10月10日の夜に行われる農事祭で、平和の山村のお祭りです。

十日夜 - YouTube 

悪家庭を回り、終わると子供たちに、段ボールのお土産を
差し出しています。年長者が受け取り皆で分ける。
子供たちの楽しみの一つです。

この頃になると秩父盆地は、すっかり秋の取入れも片付き冬ごもりの準備に入ります。

この日、子供たちは稲わらを束ねて固く縛り、その先端に輪を作り持ち歩けるように、
トウカンヤ(藁鉄砲)をこしらえる。


ある場所に集まって「藁鉄砲」造りをする。先輩や、大人がワラ鉄砲造りを教える。

 

  1. ♪十日夜 十日夜(とをかんや)
    ♪朝そばぎりにひるだんご
    ♪ようめしくったらひっぱたけ
    ♪麦も蚕も どっさりとるように
  2. 1.十日夜十日夜 朝ぼたもちに昼だんご 夕飯くったらぶっとばせ♪
    2.十日夜十日夜 朝ぼたもちに昼だんご よーめしくったらひっぱたけ♪

全国各地に伝わる民謡。
特にお正月の行事にはいろんな言い伝えが残っている。

その中で、「十日夜」という歌がある。
十日夜は、稲の収穫を祝う旧十月十日の祭。
田の神が田から山へ帰って行く祭といはれ、子供たちが束ねた藁の棒を土に叩いて歌う。

 

筆者(縄文人)が、まだ子供のころ、よその家の門口でたたくと」ご苦労さん」と言われ、よくお礼に饅頭屋や小銭を貰ったものでした。

こんな子供たちの行事が終わると秩父路には、年に1度の秩父夜祭が近づく。

 


お餅を搗く家もあります。
子供たちが、十日夜に来るとお餅がお駄賃として配ります。
                              (写真は、ネットから引用しました)

 

 

▲ 十日夜 各家々を 周り往く
             ご褒美貰う 子らの楽しみ (縄)

 

        ( お駄賃は、お菓子、お餅、小銭であったりで、その家により異なる。
              年長者が代表で受け取る。終了時に公平に分配し「十日夜」を終わる。)

 

 

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農家伝承民族散歩

2021年09月24日 | 紀  秩父のあっちこっち

秩父地方の伝承農事暦
少年時代に見聞した農事ことわざ
これが意外と役に立ち、それなりに使われてきた。

 

 

 


秩父石間部落、天空の里、

 

 

「秩父は江戸の文化の吹き溜まり」と言った人がいます。

晴れた日に東京の高いビルの屋上から奥秩父の連山が見る夕日に映えて、さながら
絵画のように見えることがあり東京とは近い。

半面山が深いので部落を耕地と言ったり、秩父地方の独特の文化が生まれる。

そんなことから山村独自の秩父文化が生まれた。

 


秩父吉田フルーツ街道の両サイドはブドウ、イチゴ栽培が盛んです。
奥の山は百名山の、両神山です。



長い間の経験や自然を相手にした農耕生活から。生活上の知恵から天気を予知したり、農家のことばというか

伝承の農事暦のような風習も自然発生的に生まれた。

迷信としか考えられないようなことから、かなり正当性に誓い、諺があります。
農耕作業は、天候に左右されることが多いから、ことわざの中に天候や気象に係るものが多い。


       〇 蜘蛛の巣に朝露が多い時は晴れてくる。
      〇 雨蛙が鳴くと雨が降る
      〇 猫が顔を洗うと雨が降る。
      〇 欅の芽出しが揃わないときは、晩霜がある。
      〇 ハチの巣が高いところに作るときは、大嵐が来る。
      〇 月が傘をかぶるときは雨が降る。
      〇 入れ風は雨になる、だしかぜになるとはれる

           

 

これらの中には、気圧の関係や、温度・水蒸気の関係から論理的に成立すものが殆どです。

また次のようなことわざもあり農家の人達は大変使用していました。

 

     ◎ 秋の夕焼けを見たら鎌を研げ。・・・・・夕焼けは翌日張れる。
     ◎ 夏土用の畑に鍬を入れるな。・・・・・・夏土用に皮を入れると、土を乾燥させる。
     ◎ 七夕には胡瓜畑を踏むな。 ・・・・・・よわいつるくきをいためないはいりょ
    ◎ 四月の牛蒡は死に牛蒡。・・・・・・・・3月の内に種をまきなさいという教え。

 

                

 

「秋茄子は嫁に食わすな」
秋茄子は嫁に食わすなとは、おいしい秋のなすは、もったいないから嫁には食べさせるなという姑の嫁いびりの言葉。
また、反対に、なすは体を冷やす、あるいは種が少ないので子供ができないといけないから、嫁には食べさせるなという嫁を大切に思う言葉。

 
(秩父民族散歩。 奥秩父・山旅と風土。秩父・峠・村・耕地・家から抜き書き)
画像は一部ネットからお借りしました。

 

 

 

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皆さんのところでも、これにまつわるようなことがありましたら
コメントと一緒にお書きできれば幸いです。

 

 

 

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秩父山間へき地を旅する (その3)終

2021年09月01日 | 紀  秩父のあっちこっち

むつばあさんの一言~「後継者がいないんだがね・・・」
生活の糧(かて)~が得られない・・・紐解く。

 

 

 

むつばあさんの一言~「後継者がいないんだがね・・・」とポツリと言った。

早い話、山村では生活出来ない(おまんまが食べられない)!!

ここ石間の農業は、養蚕業、林業、によって何とか生活が成り立っていました。

ところが産業経済の発展は目覚ましく、山間部にも戦後の高度経済成長の
波が一気に押し寄せてきた。

先ず養蚕業が衰退し、現金収入の根源が断たれた。化学産業(ナイロン、ビニロンの
急速の発達)それに労働力豊富の中国の養蚕業の台頭でした。

桑の葉 - 日々是好日・スローライフ (goo.ne.jp)

次いで林業の衰退は著しいものがあった。筆者が幼少の頃は、薪炭材をトラックに満載し
消費地の東京へ搬出された。

しかし燃料はガスや石油へと移り変わり薪炭材が不要となった。建築材料である、スギ、
ヒノキ、サワラなどの用材は船便で外国から安く入るようになりました。

暮らしのなかの輸入材:1.日本の森・世界の森|私の森.jp 〜森と暮らし

日本経済の発展は目覚ましく農村を取りまく産業が大きく様変わりした。

養蚕は衰退、山から生産される薪炭材は不要、建築材は安い外材の輸入、農村を取り巻く
経済環境が大きく変わった。

むつばあさんの一言(後継者がいない)と言うことは、産業構造の変化により、
ここ山村秩父地方にも大きな変革となって押し寄せた。

 

 

◎ ブロ友のヒキノさんが素晴らしい映像を寄せて下さった。
是非ご覧ください

  

●秋の秩父路・・石間から太田部へ・・山の民の村を行く
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/cd36d4f71746cf3bfe695bd2647031ef


 

 土蔵です、昔は穀物などを保管していた。

 
   どこを見ても石垣と曲がった”さかっと”(坂道)の連続。

 

 
  蚕の餌になった桑の木、今はただ放置され無用に伸びるのみ・・・。
かっては蚕が食べて1ヶ月すると繭になり、出荷され現金化され農協に払い込まれた。
山村地帯の唯一の現金収入。

   
何処に行っても石垣が見られます。


野の草花、名前?です。


  石間川流域の典型的農村風景です。


  石間地区諏訪神社


  沢戸地区中山間地帯です。

 


  石間地区の下方に下り来ました。何となく道路がゆったりしています。


石間川


   昔は薪炭材としての使われましたが、今は価値がない。

 

 

 

  一雨毎に青くふくらむ桑の芽に
            今年も蚕飼うと決めたり (富江)

 

岩走る水音かすか沢近く
              垂るる菖蒲にも蛍がひとつ (富江)

 

 

 

 

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