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日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

日向ぼっこ

2024年02月08日 | 紀  秩父のあっちこっち

日向ぼっこ & 押しくらまんじゅう

あちゃむし、だんべえ(秩父言葉)

 

 

貧しい農家の生活の中で、子供たちは元気に野山を走り回った。

遊びにも、家の手伝いにも一生懸命汗を流して手伝った。

数十年前の生活は戻ってこない!
子供のころ祖母から聞かされた、頓智頓才の小さな物語、方言をチョイと摘まんでみました。

そして「かめあり句会」にて”日向ぼっこ”なる兼題で詠みました。

子供たちは、日向ぼっこと言えば、”押しくらまんじゅう”を
して温まった。

 

日向ぼっこイラスト|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」
お年寄りも縁側にて日向ぼっこ




   秩父地方の「日向ぼっこ」に、押しくらまんじゅう。 

秩父多摩甲斐国立公園にある日本百名山の一つ、両神山 - 甲武信 ...
両神山

武甲山 秩父盆地を見下ろす、奥武蔵の盟主 | 週末は山を目指す
武甲山(石灰岩で宝の山)

学校に行くとき背に両神山、前に武甲山を見ながら登校した。
  朝に夕に眺めた両神山と武甲山(画像蔵出し)

 

あちゃむし、だんべえ~(秩父言葉)

 秩父音頭には、♪そうとも、そうとも、そうだんべ♪ あちゃ、むし、だんべ、につるし柿♪』という
合いの手があります。

秩父の方言は、この「あちゃ」「むし」「だんべ~」だというわけです。

 しかし、最近では、「だんべ」以外は、ほとんど聞くことができなくなりました。

 「むし」といのは、「きょうは、あついむし。」というように、
「きょうは、あついですね。」という意味で使われました。(秩父方言集から)

 

 

【日向ぼっこ】

晴れていても冬の太陽は弱い。

戸外で遊ぶ子供たちにとって、何もせずにいると寒さが身に染みて
「さみい~こった」と言いたくなるものだ。

「ちっとんべいでいいから、ぬくくしてほしい」とお天道様にお願いする。

 さみい~こった = 寒いこと。
ちっとんべえ = ほんの少し

 

【句会にて➡日向ぼっこを詠む】

         ◎ 日向ぼっこウトウトウトと鼻眼鏡 (T) 

          ◎ もて余す長き余生や日向ぼこ (Y)

            ◎ 日向ぼこ老婆輪になり笑う声 (A) 

                 ◎ 日向ぼこ猫の良く知る特等席 (N) 

                              ◎ 日向ぼこ歳時記膝に鼻眼鏡 (O)

 

 

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ふる里・谺・望郷

2022年11月13日 | 紀  秩父のあっちこっち

ふるさと恋秋(詩)

 

 

故郷は、秩父盆地の山に囲まれて育った。

学校に行く時、正面に武甲山~背に両神山を、帰りはこの逆で、東北東の
群馬堺に城峰山を見ながら育った。

秋になると全山が錦織なす衣を纏い、赤や黄色に染まり、遠い峰々は青く霞んで見えた。。

春は新緑・秋は紅葉で、織りなす錦を見ながら学校へ通った。

秋の名残を求めて・日向大谷口から両神山日帰り登山│カラログ ...
  両神山を背負って登校した。

城峰山登山』小鹿野・皆野(埼玉県)の旅行記・ブログ by ゆん ...
  城峰山

埼玉にもある棚田、周辺では風に揺れるコスモスも…深まる秋 ...
  穫り入れの秋、稲のハゼ掛けと武甲山


   秩父ミューズパークの秋

 


  

「谺」三山ろし 

 

  ▼ 山粧う武甲の嶺や両神山 (縄)

 

 

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龍勢祭り(飛び入り)

2022年10月11日 | 紀  秩父のあっちこっち

2022故郷の【秋まつり」天高く上がる!!
故郷は遠きにありて思うもの・・・

 

 

故郷の龍勢祭りが行われました。椋神社大祭です。

以前は、10月3日と定まっていましたが、年々大掛かりに文化財に指定などで次の日曜に変更になりました。

この龍勢祭りは、「ロケット祭り」と言われロケットの発祥地とも言われています。

今まさに宇宙時代、若田さんも宇宙に滞在中です。

 

吉田椋神社 - 出会い旅ふれあいのちちぶ|一般社団法人秩父地域 ...
椋神社本殿

 

2022・秩父吉田龍勢祭り  

 

拡大版・昔の龍勢祭り  

 

 

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秩父地方 「とうかんや」 農事祭り

2021年09月28日 | 紀  秩父のあっちこっち



十日夜(とうかんや)

 

 

 

以前に「秩父は江戸の文化の吹き溜まり」という言葉を使いました。

これは旧10月10日の夜に行われる農事祭で、平和の山村のお祭りです。

十日夜 - YouTube 

悪家庭を回り、終わると子供たちに、段ボールのお土産を
差し出しています。年長者が受け取り皆で分ける。
子供たちの楽しみの一つです。

この頃になると秩父盆地は、すっかり秋の取入れも片付き冬ごもりの準備に入ります。

この日、子供たちは稲わらを束ねて固く縛り、その先端に輪を作り持ち歩けるように、
トウカンヤ(藁鉄砲)をこしらえる。


ある場所に集まって「藁鉄砲」造りをする。先輩や、大人がワラ鉄砲造りを教える。

 

  1. ♪十日夜 十日夜(とをかんや)
    ♪朝そばぎりにひるだんご
    ♪ようめしくったらひっぱたけ
    ♪麦も蚕も どっさりとるように
  2. 1.十日夜十日夜 朝ぼたもちに昼だんご 夕飯くったらぶっとばせ♪
    2.十日夜十日夜 朝ぼたもちに昼だんご よーめしくったらひっぱたけ♪

全国各地に伝わる民謡。
特にお正月の行事にはいろんな言い伝えが残っている。

その中で、「十日夜」という歌がある。
十日夜は、稲の収穫を祝う旧十月十日の祭。
田の神が田から山へ帰って行く祭といはれ、子供たちが束ねた藁の棒を土に叩いて歌う。

 

筆者(縄文人)が、まだ子供のころ、よその家の門口でたたくと」ご苦労さん」と言われ、よくお礼に饅頭屋や小銭を貰ったものでした。

こんな子供たちの行事が終わると秩父路には、年に1度の秩父夜祭が近づく。

 


お餅を搗く家もあります。
子供たちが、十日夜に来るとお餅がお駄賃として配ります。
                              (写真は、ネットから引用しました)

 

 

▲ 十日夜 各家々を 周り往く
             ご褒美貰う 子らの楽しみ (縄)

 

        ( お駄賃は、お菓子、お餅、小銭であったりで、その家により異なる。
              年長者が代表で受け取る。終了時に公平に分配し「十日夜」を終わる。)

 

 

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農家伝承民族散歩

2021年09月24日 | 紀  秩父のあっちこっち

秩父地方の伝承農事暦
少年時代に見聞した農事ことわざ
これが意外と役に立ち、それなりに使われてきた。

 

 

 


秩父石間部落、天空の里、

 

 

「秩父は江戸の文化の吹き溜まり」と言った人がいます。

晴れた日に東京の高いビルの屋上から奥秩父の連山が見る夕日に映えて、さながら
絵画のように見えることがあり東京とは近い。

半面山が深いので部落を耕地と言ったり、秩父地方の独特の文化が生まれる。

そんなことから山村独自の秩父文化が生まれた。

 


秩父吉田フルーツ街道の両サイドはブドウ、イチゴ栽培が盛んです。
奥の山は百名山の、両神山です。



長い間の経験や自然を相手にした農耕生活から。生活上の知恵から天気を予知したり、農家のことばというか

伝承の農事暦のような風習も自然発生的に生まれた。

迷信としか考えられないようなことから、かなり正当性に誓い、諺があります。
農耕作業は、天候に左右されることが多いから、ことわざの中に天候や気象に係るものが多い。


       〇 蜘蛛の巣に朝露が多い時は晴れてくる。
      〇 雨蛙が鳴くと雨が降る
      〇 猫が顔を洗うと雨が降る。
      〇 欅の芽出しが揃わないときは、晩霜がある。
      〇 ハチの巣が高いところに作るときは、大嵐が来る。
      〇 月が傘をかぶるときは雨が降る。
      〇 入れ風は雨になる、だしかぜになるとはれる

           

 

これらの中には、気圧の関係や、温度・水蒸気の関係から論理的に成立すものが殆どです。

また次のようなことわざもあり農家の人達は大変使用していました。

 

     ◎ 秋の夕焼けを見たら鎌を研げ。・・・・・夕焼けは翌日張れる。
     ◎ 夏土用の畑に鍬を入れるな。・・・・・・夏土用に皮を入れると、土を乾燥させる。
     ◎ 七夕には胡瓜畑を踏むな。 ・・・・・・よわいつるくきをいためないはいりょ
    ◎ 四月の牛蒡は死に牛蒡。・・・・・・・・3月の内に種をまきなさいという教え。

 

                

 

「秋茄子は嫁に食わすな」
秋茄子は嫁に食わすなとは、おいしい秋のなすは、もったいないから嫁には食べさせるなという姑の嫁いびりの言葉。
また、反対に、なすは体を冷やす、あるいは種が少ないので子供ができないといけないから、嫁には食べさせるなという嫁を大切に思う言葉。

 
(秩父民族散歩。 奥秩父・山旅と風土。秩父・峠・村・耕地・家から抜き書き)
画像は一部ネットからお借りしました。

 

 

 

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皆さんのところでも、これにまつわるようなことがありましたら
コメントと一緒にお書きできれば幸いです。

 

 

 

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秩父山間へき地を旅する (その3)終

2021年09月01日 | 紀  秩父のあっちこっち

むつばあさんの一言~「後継者がいないんだがね・・・」
生活の糧(かて)~が得られない・・・紐解く。

 

 

 

むつばあさんの一言~「後継者がいないんだがね・・・」とポツリと言った。

早い話、山村では生活出来ない(おまんまが食べられない)!!

ここ石間の農業は、養蚕業、林業、によって何とか生活が成り立っていました。

ところが産業経済の発展は目覚ましく、山間部にも戦後の高度経済成長の
波が一気に押し寄せてきた。

先ず養蚕業が衰退し、現金収入の根源が断たれた。化学産業(ナイロン、ビニロンの
急速の発達)それに労働力豊富の中国の養蚕業の台頭でした。

桑の葉 - 日々是好日・スローライフ (goo.ne.jp)

次いで林業の衰退は著しいものがあった。筆者が幼少の頃は、薪炭材をトラックに満載し
消費地の東京へ搬出された。

しかし燃料はガスや石油へと移り変わり薪炭材が不要となった。建築材料である、スギ、
ヒノキ、サワラなどの用材は船便で外国から安く入るようになりました。

暮らしのなかの輸入材:1.日本の森・世界の森|私の森.jp 〜森と暮らし

日本経済の発展は目覚ましく農村を取りまく産業が大きく様変わりした。

養蚕は衰退、山から生産される薪炭材は不要、建築材は安い外材の輸入、農村を取り巻く
経済環境が大きく変わった。

むつばあさんの一言(後継者がいない)と言うことは、産業構造の変化により、
ここ山村秩父地方にも大きな変革となって押し寄せた。

 

 

◎ ブロ友のヒキノさんが素晴らしい映像を寄せて下さった。
是非ご覧ください

  

●秋の秩父路・・石間から太田部へ・・山の民の村を行く
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/cd36d4f71746cf3bfe695bd2647031ef


 

 土蔵です、昔は穀物などを保管していた。

 
   どこを見ても石垣と曲がった”さかっと”(坂道)の連続。

 

 
  蚕の餌になった桑の木、今はただ放置され無用に伸びるのみ・・・。
かっては蚕が食べて1ヶ月すると繭になり、出荷され現金化され農協に払い込まれた。
山村地帯の唯一の現金収入。

   
何処に行っても石垣が見られます。


野の草花、名前?です。


  石間川流域の典型的農村風景です。


  石間地区諏訪神社


  沢戸地区中山間地帯です。

 


  石間地区の下方に下り来ました。何となく道路がゆったりしています。


石間川


   昔は薪炭材としての使われましたが、今は価値がない。

 

 

 

  一雨毎に青くふくらむ桑の芽に
            今年も蚕飼うと決めたり (富江)

 

岩走る水音かすか沢近く
              垂るる菖蒲にも蛍がひとつ (富江)

 

 

 

 

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秩父・山間へき地を旅する (その2)

2021年08月30日 | 紀  秩父のあっちこっち

山奥にもひっそりとがあった

 

 

埼玉県秩父市吉田『石間郷』とは?

『石間郷』は埼玉県秩父市の北西部に位置し、群馬県との境界に近く、標高1,038mの城峯山
の山裾に点在する5つの集落で構成されています。

山岳地形で平地がほとんど無いこの地では、集落は石間川の渓谷沿いに細長く延びて、
集落の標高差は330mにも及び、最上部では “山肌にへばりつく集落” として、

「第3回美しい日本のむら景観コンテスト」で「全国農業協同組合中央会長賞」
を受賞しています

 

 

 

◎ ブロ友のヒキノさんが素晴らしい映像を寄せて下さった。
是非ご覧ください

  

●秋の秩父路・・・・石間から太田部へ・・・山の民の村を行く
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/cd36d4f71746cf3bfe695bd2647031ef

 

 


  太田部、むつばあさんのふるさとへの道

木材の取引は基本体積で行われる

旧来木材で使われた単位は”石(コク)”で、1石 = 1尺 X 1尺 X 10尺
これをm3(立法メーター)に直すと(30.3 X 30.3 X 303)/1,000,000 = 0.278 m3

単価表記は 石単価 = m3単価 / 3.6 (1/0.278) なので
        72万円/m3 = 20万円/石 

昔は山大尽(お金持ち)なる言葉がありましたが、外国材が
船便で入るようになり、国産材は落ち目です。


  石間の道はこのような道路が多い。
母屋の前が若干の庭そして石垣、ガードレール付き道路、
切り立った石垣、急斜面の畑(逆さ掘り)


   逆さ堀の農作業

急な斜面に立ち、腰の部を上に向けて農作業をする。
常に土が下方に落ちないように気を配りながらの農作業です。 
土が乾いてしまった時は、

鍬に土が乗らず逆に土を落としてしまうほどです。
 そんな時は、板状の平鍬を使うと旨く上がります。


  道路曲がり角の石碑、道筋には、馬頭観音の碑が多い


  母屋の裏側を覗き見た・背負い籠(斜面のため背の運搬が多い)。

   

背負い運搬具の一種。ショイカゴ、カルイカゴ、オイビク、テルなど呼称は多い。
物を入れる籠に負い紐(ひも)を取り付けて仕上げられている。籠の素材は割竹とする

例が広くみられるものの、ほかに粘りのある小枝数本を曲げて骨とし、それにヌイゴ縄
を編み回してつくられたものもある。

籠は大小さまざまで、編み方はざる編みで目の込んだものもあれば、六つ編みで目の粗いものもあり、
変化に富む。形態は円筒形のものばかりではなく、底部が狭い形状のものもある。

 


  母屋の佇まい


野菜畑(ネギ、インゲン)に山に張り付いたように建つ石間

農作物もイノシシの出没で、周りに囲いをしなくては荒らされてしまう、
畑の周りに囲いがしてあるのが分かります。


  山並みを連なる高圧送電線(東京地方へ)


  石間です


  右折、太田部(花のあとさき、今は亡きむつばあさんの故郷)

 

 

『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』

 

 

 

 

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秩父・山間へき地を旅する (その1)

2021年08月29日 | 紀  秩父のあっちこっち

石間(斜面にへばり付く)、奥へ奥へと

 

 

 

石 間 部 落

ここ石間は奥へと進むと、百名山(城峰山)に通じ、その先は群馬県です。

ここは旧吉田町の石間地区。石間は「秩父事件(石間交流学習館」の原点とも言える場所である。

行ってみれば「なるほど」と思う人も多いと思う。山の急斜面にへばりつくように民家がある。

昔に比べれば今は道が良くなって、車がずっと山奥まで入っていけるが、明治の頃は人一人が通るだけの
細い道だけだったはずだ。

耕せる場所は本当に猫のひたいのような場所ばかりで、養蚕がこの地区の人々にとって最も大事な収入源であったろうと
容易に想像できる。その養蚕がやっていけなくなったのだから・・・。

 ここは私の家からだと比較的近い。車なら30分くらいで行ける。なのに私がここに初めて来たのは
25年前くらいが最初だった。

秩父は山々に囲まれていて、あまり人の入らないような山間、沢沿いのが無数にあるのだ。

私のまだ知らないそんな場所がまだあるかも知れない。

 


  県道37号線(皆野両神荒川線)に別れを告げ石間へと入る
「石間交流学習館」の看板あり。


  道路は石間川に平行する1本道


  山間部の道路としては整備されていた唯一の生活道路


  奥の山峡は霧が立ち込める、晴れる証し!?


  階段状に建つ石間


  ”山の神”であろう?大きな石の上に祠


  主要道路から入る自宅への道路


  水車小屋の水路


  観光用であろうか、水車小屋の佇まい

 

 
 丸太を加工した標識がにらみを効かす!

 

中山間地域とは


 平野の外縁部から山間地に至るいわゆる中山間地域は、経営耕地面積、総農家数、農業産出額で全国の

約4割を占めるなど、我が国農業・農村の中で重要な地位を占めています。


 中山間地域は、河川の上流に位置し、傾斜地が多い等の立地特性から、農業生産活動による国土の

保全、水資源かん養等の公益的機能の発揮を通じ、全国民の生活基盤を守る重要な役割(いわばダムある

いは防波堤の役割)を果たしています。 
(言葉バンクから引用)

 

 

 

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炭焼き

2021年08月27日 | 紀  秩父のあっちこっち

1年中暑さにめげず炭を焼く・「心頭滅却」

「1年じゅう炭焼きと言っていた・・・。」
     この夏も炭焼きに明け暮れたことであろう➡思う、想像。

 

 

 

 

4年前の 炭焼き現場を見る - 日々是好日

 

最近は故郷も縁が遠くなりました。帰郷の折に立ち寄った炭焼き現場、

「暑さ寒さ関係ないんだよ…と、」言いながら燃え盛る炭焼き竈の火加減に余念がなかったTさんが頭をよぎった。

 

 


煙は1年中登っている


竈から炭を掻き出した時の様子、白消し炭(高級炭)

 

 

 

炭焼きや飛んで火に居る虫に似て (縄)

「飛んで火に入る夏の虫」は、自ら進んで危険や災難に進んで飛び込んでいく
という意味です。
夏の炭焼きは、特高精神でないと務まらない。

 

 

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牛物語 その3

2021年01月14日 | 紀  秩父のあっちこっち

大地を耕すことは大変な労働でした

牛を使う、戦後の農作業

 

 牛物語・その1 
 牛物語・その2 


牛は大地の耕しに大活躍した。
鼻から太い長いよだれと垂らしながら、大きな息を吐いて働いた。

私も小学校5・6年生から中学生くらいまで、畑や田圃の耕起を手伝った。

戦後から昭和30年ころまで秩父地方では牛馬による耕作でした。
その後に豆トラ耕運機があちこちに見られあっという間に普及しました。

最初に他家から子牛を買い求め、我が家で肥育することとなった。
親から離れ子牛は、親と離れ離れになり三日三晩泣いていた。

今思うと目に涙を垂らし、声が枯れるまで・・・・。
それが4日~1週間すると餌をたくさん食べるようになりわが家になつた。

大きくなりの農耕牛として畑で働くようになった。
家族の一員で藁と草を刻んで餌を与えて、日一日と大きく肥育して農耕に役立った。

 

下の画像は、ネット画像からお借りし構成しました。

 
   水田、畑の耕起道具・鋤  

   
田畑の耕起をする

  
                       

 
牛の鼻とりと代掻き
人間が水先案内人として、牛の進路を決める、すると代掻きが
全体的にまんべんなくできるように牛の案内役をした。
兄が後ろの万能を操り私が鼻取りをした。


 畑の耕起、大地の耕し
牛の先頭をの人を「鼻取り」と言い、中学生の頃よくやりました。

 

参   考

馬力とは

  時代は18世紀にイギリスにさかのぼります。エンジニアの
ジェームス・ワット氏が蒸気機関を改良、高効率な仕事をできるものにブラッシュアップさせました。

これはイギリスの産業革命に大いに寄与したといわれています。
  
ワット氏は、同時にこうしたエンジン個体の性能を数値で表せる単位が必要と考えました。
そこで、馬に荷物を引かせ、33,000ポンド(約15t)の荷物を1分間に1フィート(約30cm)

引ける能力を根拠とし、「1秒間につき550ポンド(lbf)を1フィート(ft)動かすときの仕事率(550 lbf·ft/s)」
として、1馬力と定めたとされています。

ちなみに550ポンドは、キロ換算249,476kgとなります。

 


農作業の革命機ミニ耕運機




 昭和30年頃から、ミニ耕運機が瞬く間に普及し、何処の農家に
「一家に1台耕運機」が畑にお目見えした。耕す、畝立てをする、除草等が出来る。

 

 

 

コメントは締めてます。
お越し有難うございます。

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