しばられ地蔵=物語
東水元の南蔵院
東水元のお地蔵さんが、荒縄でぐるぐる巻かれしばられているのは、どうしてか知っていますか。
それはまだ、東京が江戸と呼ばれ、南蔵院が、本所の業平橋に有った時です。
ある夏の昼過ぎ、日本橋の呉服問屋の、手代佐助(テダイサスケ)が、荷車に反物をたくさん積んで、
汗をだらだら流しながら、南蔵院の前を通りかかりました。
大きな銀杏の木があって、その木がとても涼しそうだったので、佐助は荷車を止め、門前のお地蔵様に、
「お地蔵様、少し休ませていただきます」
と言って、となりの石の上に腰をおろしました。
涼しい風が吹いて来て、とてもいい気持になってしまいました。
そのうち、うとうとと眠ってしまいました。
目が覚めると、さぁ…・大変、荷車が有りません。
「お店の大事な反物が、盗まれました」
佐助は、青くなって番署にかけこみました。
そこで、南町奉行の名奉行大岡越前守忠助が、佐助に尋ねました。
「此れ、佐助、反物を見て盗まれたものと、他のものとの見分けがつくか」
「ハイ、お奉行様、分かります」
「お前が地蔵のとなりで休んでいる間、誰もいなかったか?」
「だれも、おっりませんでした」
「ウム、反物が盗まれるのを、黙って見ているとは、地蔵も同罪じゃ。地蔵をとらえて、逃げっれないように、
縄をっかけて、つれてっ参れ」
と役人に言いつけられた。
役人たちは、お地蔵さまを縄でぐるぐる巻きにして、荷車に乗せ、ガラガラとひっぱって行きました。
それを見た町の人たたちは、ビックリ。
「おい、地蔵を縄でふんじばって、いってぇどうしたんだい!?」
「ああ。なんでも地蔵さんが、盗みをはたらいたんだそうだ」
「やいやい、ばかなことを言うな」
と、江戸のまちは、大変なさわぎになりました。
やがてお奉行様が、お地蔵さまを取り調べという立て札が、江戸の町のあちこちに、立て札が立てられた。
さて、その日が、いよいよやって来ました。
町の人達は、いったいどんな取り調べが始まるのだろうと、奉行所の中へ押しかけた。
お白州(シラス)には、お地蔵さまが、ぐるぐる巻きにされ、立たされて、おりました。
お奉行様は、お出ましになり、門を閉めさせました。
そして、集まった町の人達をぐるりと見回して、
「黙って、さばきの場に入るとは、けしからん。罰として反物1反ずつ持って参れ」
と、言いつけた。
その日のうちに、奉行所には、反物が山と積まれました。
あつまった反物を、佐助に調べさせると、その中から盗まれた反物が出てきました。
その反物が、きっかけとなって江戸の町を荒らしまわった、大泥棒一味が見つかり、一人残らず捕えられました。
この裁きによって、名奉行大岡越前守と“しばられ地蔵”の名は、江戸の町にとどろき知れ渡りました。
それからというものは、お地蔵さまを荒縄で縛ると、盗まれたものが出てくるようになり、頭のてっぺんから
つま先まで、荒縄で縛られた気の毒な姿になったということです。
願い事が有ると、町民たちはお地蔵さんを縄でしばったと言うお話です。
しばられ地蔵 2011年10月に訪れたとき
物語は、関東大震災にさかのぼり・・・・・・・・
しばられ縁起の大筋が記されています。
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葛飾区・南蔵院縁起