日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

明けましておめでとう御座います

2013年12月29日 | 総  日々是好日&出来事

よき年になりますよう

 


甲武信岳から

昨年は色々お世話になりました。
本年もよろしくお願いします。

話、・・・・・
午年よ、
スローライフで羽ばたこう。
日々是好日


 

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アッチこっち、ソッチこっち

2013年12月28日 | 総  そ の 他

静寂・廃墟・てっぺん

あちこち整理したら、こんな画像がでてきた。
Y夫が、ソッチこっちに出歩き撮影したもので、はじめてのupです。

 


華道展への出品


軍艦島え行った時、船から


山歩きへの参加、富士山が・・・・

 

今年の更新は、これで終わりです。
1年間つたないblogを見ていただき有難う御座いました。
よき年をお迎えください。

コメ蘭は、閉めております。
色々の雑用があり、早めの更新を終えたこと、お許しください。

お詫び
次回は≪湖底に沈んだ故郷≫を検証してみたい。
と、予告しましたが、
資料の関係から更新できませんでした。
鋭意編集中です。

 

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奥多摩むかし道  後編

2013年12月27日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

むかし道を完歩して・・・奥多摩湖へ

 


むかしは馬が重要な交通、輸送手段だったため、馬を一休みさせてやる場所も作られていました。
そしてそこに有った水飲み用の石の桶は今でも残っています。
また、近くには茶屋も有ったらしく、人間の方はこちらで一服していたようです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

奥多摩湖・故郷は湖底に・・・・。

1957年(昭和32年)多摩川を小河内ダムによって堰き止めて造られた。
竣工当時、水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池であった。
現在も水道専用 貯水池としては日本最大級を誇る。

「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」
との再三にわたる説得に、
小河内村はやむを得ずこれを了承する.

800世帯、3,000名余にのぼる人々の故郷が湖底に沈んだ。

 



湖底の故郷

1 夕陽は赤し 身は悲し 涙は熱く 頬濡らす さらば湖底の わが村よ 幼き夢の ゆりかごよ.
2 当てなき道を 辿りゆく 流離(ながれ)の旅は 涙さえ 枯れてはかなき おもい出よ あゝ うらぶれの 身はいずこ.
3 別れは辛し 胸傷(いた)し 何処(いずこ)に求む ふるさとよ 今ぞ ・・・・。

山の中腹に見える家は、きっと湖底に沈み
この地へ移転したので有ろう。

 


奥多摩湖畔から奥多摩の山々を望む


奥多摩水とみどりのふれあい館

 

 

デジブック
『天空の里へ続く道』

  次回は≪湖底に沈んだ故郷≫を検証してみたい。

 

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奥多摩むかし道  番外編

2013年12月26日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

むかし道を自転車で駆け抜ける

昔道には色々な人、色々な物がもの珍しく、目を見張るものばかりです。
都会人には、懐かしくもありアレット!?


沢水を関止めて掛井で民家へ、水を導く。山の簡易水道。
清水が貯水槽からほとばしる・・・・。

 


急斜面の断崖に、たくさんの柱を建て物置を作る。

 


道端に何気なく置かれた鹿の角

 


廃材を勢よいよく燃やす、作業員。勢いよく燃え上がる炎を忘れていた・・・・・・・。

 


自転車でむかし道に挑戦、5段ギヤ
バス停・中山付近にて、63歳と聴き驚く、ガンバル!?

 

 

 

 

 

 

 

  


 



奥多摩街道中山トンネル&中山バス停付近 

 

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奥多摩むかし道  中編

2013年12月24日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

むかし道 いま生活道路

              白く一面覆われて≪霜の花≫

この道は、奥地小菅村から大菩薩峠を越えて、甲府へいたる甲州街道で、
峠を超えるために近道であった。

昭和13年、氷川~西久保間に資材運搬用の専用軌道が作られ
軌道跡があちこちに見られます。

 


サクラに咲いた≪霜の花≫

 

 
石垣に施された≪縄文流古式石垣活け花≫

 


チョイト待って下さい!?いま太陽が顔を出しますから・・・・・・ね。

 

 
             連なる石段、石垣を積み重ねて より平らに                  日向と日影を対比



 

 
岩を砕いてできた道、いわれが分かります。
左は断崖の渓谷 右は連なる岩、岩、岩

   
               不動滝付近に有る≪すじ状の滝≫                    中沢橋の下 渓谷

行く人々の目の保養の滝として親しまれる 

       

 
          多摩湖のダム建設資材運搬の軌道跡         &          現在使用中の民家荷物揚げの軌道

 

                91歳で山歩き、かくしゃくとしたKさん. ご夫婦あわせて178歳 何時もご夫婦一緒  

                                 弁慶の腕抜き岩
                      腕が入る程の岩の穴。弁慶が抜いたと親しまれている。 


 

太陽の恵み・有難さ!!

日影の人は日向の人と比べて倍働かないと生活が成り立たない!! 
歩いてそう思った。
先ず暖房費、それに畑作の収穫が歴然と違う。
人々は、選んで陽の当たる場所へと、家を建てる。
ウンダウンダ 

                                                        次に続く

 

                                                                        

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奥多摩むかし道  前編

2013年12月23日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

2013年、納メの山歩き

             山また山に霜が一面

 


甲州裏街道とも呼ばれた青梅街道は、江戸時代には重要な生活道路でした。
その中の氷川と小河内を結ぶ道は、現在「奥多摩むかし道」としてハイキングコースになっています。

今も随所に昔そのままの姿が残っており、昔をしのぶ道として貴重な存在です。

山道もありますがそれ程険しい道ではありません。

多摩川沿いの緩やかな道を歩いていると、秋の紅葉の素晴らしさが想われます。

日陰は霜が一面で、坂道は滑りやすく難儀した。

約9KM・・4時間のコース

始点・奥多摩町 奥多摩駅
    終点・奥多摩町 奥多摩湖バス停
                     (中山付近でバスを呼ぶ、その後多摩湖へ移動)

 

                      奥多摩むかし道案内概略図 ↑  

                        

   

                    奥多摩駅

       奥多摩駅(おくたまえき)は、東京都西多摩郡奥多摩町氷川にある、
      JR東日本の青梅線の駅である
      青梅線の終着駅で、東京都内でもっとも西に所在する。
      標高は東京タワー(標高351m)よりも8メートル低い343mで、
       東京都内にあるJRの駅の中でもっとも高い。

      奥多摩の山に入山するハイカーの基地である。
      駅前にてバスを降りました。

 

  

 

 

 

 

                

              


 

  

氷川神社と中永神社とともに「武蔵三氷川」と呼ばれている。
境内の3本杉は樹齢650年で見事に天空にそそり立つ。
先ず1日の無事を祈願して、むかし道へ出発です。

      

          
      ≪奥多摩むかし道案内図≫に目をやるKさん。
      辺りは、霜で真っ白、吐く息が白い。 

 

羽黒坂は霜で真っ白でした。きつい坂でした。
高台に陽が差していましたが、この付近は太陽の恵みは受けていなかった。
オ~ゥ・・・寒い!!

 


朝の寒々しい郷の様子
むかし道から見た、国道青梅街道。
山中に奥地へと延びる。

 

  
              小河内ダム建設の資材運搬のために敷設された工事用軌道跡。

 小河内ダム建設に至るまでの経緯は意外に古く、すでに大正15年よりダム建設候補地の調査は開始されていました。
 候補地の中から、小河内村が最終的に選定されたのです。
 ダム建設計画が発表され、小河内村は絶対反対を表明した。
「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」との再三に渡る説得に、小河内村はやむを得ず了承した。

 

 

 

 

槐木の傍らには、古くから祭られている馬頭観音があります。多くの旅人がこの付近で一服し、次へのかつ力を養った、休み場。
    ⇒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     
                 我が家への荷物揚げ軌道                  天空の里の住まい

画像左上に青と白色の四角い乗り物風の物が見える。これに荷物を載せて軌道を登る。
生活物資は、総てここから揚げられる。

 奥多摩むかし道を歩いて

斜面にへばりつくような場所、
石垣を二重・三重・・・五重にも積み上げ家を作った。
むかし人の知恵に感心した。

住めば都。
荷物を動力軌道で運び揚げる人間力、

先祖伝来綿々と受け継がれた、伝承の知恵なのでしょう

                                                        次に続く

 

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人生峠、

2013年12月20日 | 文学  コラム・エッセイ

 峠⇔山を上り下る


長野県・鳥居峠の最高所にある石碑(芭蕉句碑)

木曽の栃 うき世の人の 土産かな    芭蕉

 

人生峠

峠を登りながら考えた。
分岐道、ごっつい道、手探りのやぶ道、暗い夜道
辛いこともたくさん有った。

 一つ越えれば また一つ

雨の日 風の日 雪の日も


越えねばならない 峠路


無情の谷間を耐えて忍んだ いばらの道


ひと(他人)は知るまい 艱難辛苦


開けぬ夜はない 朝が来る


冬はかならず 春となる


伴侶と互いに励まし合いながら

どり着いたる 灯りのねぐら

辛抱する木に金が成る

七転び八起きと 人は言う

やっと掴んだ人生峠

一休みしようと腰を下ろした  これからこれから

 

気がつけば とてつもない重いリックを背負っていた。
いま峠を下っている 役目を終えた装備を一枚また一つと脱ぎ捨てながら
現世に生ある限り

日々是好日スローライフ のんびり歩いて行こう


  

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今年の漢字から

2013年12月20日 | 文学  コラム・エッセイ

年賀状の文面


  2013年、今年の漢字ー清水寺、日経新聞より

今年を象徴する漢字として、安部総理は≪夢≫をあげました。

アベノミクスで株価は上がり高額商品の売れ行きが伸びているという。


そんななか12月12日、清水寺本堂で、同寺の森清範貫主が≪輪≫を発表された。



≪輪≫と聞いてハタと、ひらめいた

来年の年賀状の文面は、
話、・・・・・
午年よ、大きく羽ばたけ。
スローライフ。

 

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寒い夜

2013年12月19日 | 社  食   物

鍋にしてもらいました

材料は豆腐、水、昆布、野菜、鱈でした。
鍋に昆布を敷き豆腐を入れ、温まったところを引き揚げてつけポン酢で食べる。


鍋料理

今日は休みで部屋に篭りがち。
寒い名ァ~・・・・・、あったかいものにしてと、頼んだ。

☆ 湯豆腐と 野菜と鱈で 力水

 

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頂上

2013年12月19日 | 文学  コラム・エッセイ

 ボチボチ行こう
    楽しみながら

 


大菩薩峠にて
あの山超えねば、家に帰れない

 

スローライフ

、高きあり、低きもあり

、登るものあり、下山するものあり

頂き、極めた者あり、里山を歩く者あり

ゆったり行こうスロウライフ、頑張り過ぎないように・・・・・ 

頑張ると、ヘタバル

 

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