忍野村の農家の軒先に使われなくなった農具が積まれていた。
昭和45~6年ころまでは盛んに使われた道具であろう・・・。
牛馬の畜力により深耕した犂(すき)。
その歴史をたどってみた。
軒先に無造作に積まれサビ付いた農具
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農具について考えてみた
写真1 江戸時代の鍬(くわ)
写真2・犂(すき)は角度によって深さ、負力が異なる
写真3・犂を改良した、高北新治郎氏の銅像
日本の農具の歴史はあまり明らかにされていない。
それは、農具を工夫し発達させてきた人々が名もなき農民であったからです。
鍬(くわ)=平たい鉄板に長い柄をつけて耕作・地ならしに使う。
犂(すき)=土地を掘り起こすときに使う。牛馬に引かせたものを取り上げた。
1,弥生時代
弥生後期に青銅器が現れる。鉄器の製造も始まり木製の農具から鉄へと移行していく。
2、江戸時代
便利な農具が各地で使われ始めた。何といっても鍬(くわ)写真1、である。鍬は機能によって『打ち鍬』と『引き鍬』、その中間の『打ち引き鍬』に分けられる。
鍬は田畑の荒お越しや土工、、開墾にも使われたから農具の王座であった。
鍬は各地によって形が異なる。『三里をへだたずして違う』と
言うことわざがあるくらい地方によって形が違った。
3、明治時代=犂〔すき〕
鎖国から抜け出た日本は、にわかに忙しくなる。
明治2~3年に家畜や種子が配布される。明治4年に東京・三田に農具置き場、次いで内藤新宿に西洋式農具の試作が始まる。土を深く耕すのは農民の願望でした。
鍬を使っている限り5寸が限度でした。
さらに深く耕すには、牛馬の蓄力耕を導入することしか方法がなかった。
4、高北式犂(すき)の完成〔写真3〕
高北新次郎は少年のころ、奉公先の店先で農民から犂(すき)が重くて深く耕せないことを知らされる。試行錯誤・創意工夫し〔写真2〕、やっと26歳のとき改良に改良を重ねて農民たちに喜ばれ深く耕せる犂を完成させた。
今まで5寸であった深さが6寸5分と性能は一段と進んだ。
参考文献『農具・飯沼二郎氏、堀尾尚志氏・著』から