日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

(234) 梅の早咲き・遅咲き

2006年02月28日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)

梅の咲くのが1週間遅いと言う
満開と蕾の2本が庭にある。


満開を過ぎてチラホラ




つぼみも固い・・・・
梅実がなり梅酒造りに一役買う

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梅の開花時期と結実

梅はその開花時期により収量が左右される。暖冬の年は開花が促進されるが花芽の充実が悪く不完全花の発生が多くみられる。また開花期が早いと日中の気温の低い日が多く昆虫の飛来も少なく受粉もうまく行われず、
さらに凍害を受けやすく不作となる。
一方開花が遅いと健全花も多く見られ、日中の気温も恵まれ訪花の昆虫も多く良く受精して比較的霜の害に受けにくく豊作が予想されます。

したがって、今年は開花が1週間以上遅いと言われています。
この分だと豊作間違いなさそうです。

参考文献
『果樹栽培新技術』から

 

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(233)            半鐘から防災無線へ

2006年02月27日 | 技術  道具・伝承・歴史

通信手段の乏しい時代に火災発生時に周辺の人に知らせたのが
身近に立っていた火の見櫓や半鐘でした。
騒音も少ない静かな環境の中で、半鐘の音は広い範囲に響き渡り
『ジャン・ジャン・ジャン』を聞き駆けつけた。
今の時代に半鐘で周囲の人たちに知らせることは全くなくなった。

防災無線がその主流をなしてきた。
近代化の波に消え去ろうとしている火の見櫓が殆どだ。
山梨県忍野村を散策していると半鐘、サイレンが目の前に忽然と現れ
懐かしさのあまりシャッターを切った。



我が家の近くの防災無線

半鐘は
我が国は、これまで地震・台風・豪雨・津波など多くの災害に見舞われてきました。阪神・淡路大震災をはじめ、三宅島の噴火、新潟県中越地震の自然災害。
いつ起こるかわからない東海大地震の
発生も懸念され災害列島の悩みです。
災害は、突然襲ってきます。被災地では、情報が錯綜し、人々はパニック状態に陥り身動きできない状態になることが殆どです。

いち早く正確な災害情報を住民などに伝えることが必要です。
救助活動や復旧活動のためには、災害の規模、災害現場の位置や状況などに関する迅速で正確な情報が必要です。
防災無線システムが災害時に威力を発揮する。

現在は半鐘・火のみ櫓の変わるものとして119番により伝達され
直ちに消防自動車が出動する。

 

 

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(232) ・   男爵 じゃがいもを作付けする

2006年02月26日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

早春の午後じゃがいもを植えつける。
晴れ上がった菜園にはどっと皆さんが繰り出して耕すやら、
種まき、苗の植え付けをいそしんでいた。
あちらからも、こちらからも声がはずむと小鳥の
さえずりも、いっそう爽やかに聞えた。


昨年収穫したものが発芽していたので
半分に切り植えつけた。


サツマイモのつるが堆肥にして置きましたが
半熟でした。

         ☆ 男爵や 耕すほどに 春寄りて  (縄)

1週間ほど前に肥料を施し畝を作っておいたので、
今日の植え付けは簡単でした。真冬と違い春先の土壌が艶やかで
ふっくらとしていた。
6月下旬か7月のはじめになれば大きく拳(こぶし)大となって
収穫できるのかと思うと楽しみだ。
残り100株を1週間後に植える。

2回の土寄せに追肥を施せば畑一面に
白い花が咲き
1株に5~6個の丸々とした男爵の収穫。

男爵いも

国内最多栽培種で、じゃがいもの代名詞的存在。
コロッケやサラダに持ってこいのホクホクとした「男爵」は主に東日本で
栽培が多い


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今日のメモ
間に「の」と「い」を入れる

過日、『春の雨』と『春雨』について書きました。間に“の”を入れると内容が違うと言うことでした。
数日前NHKTVを視聴していたら、同じような言語の使い分けをしていた。

ある人が図書館に行き、古新聞を見せてくださいといった。係員が『古い新聞はありますが、古新聞は資源ごみとして出してありません』といったという。笑い話のような本当の話だそうです。
よく分析すると古新聞=古紙で資源ごみ。

こんな例を挙げていた。
黒い幕←→黒幕 〔表立って動きを見せなく陰で操る人 〕
夏の日←→夏日(強烈な太陽。最高気温が25°C以上 )
高い山←→高山〔地名で岐阜地方の町、飛騨の高山で有名〕
冬の日←→冬日〔冬の弱い日差し、最低気温が0°C以下〕
他にもまだまだあるでしょう。
一部を取り上げただけで間に“の”、“い”を入れることによりニアンスが全く違ってくる,心したい。
このような語彙がまだあると思います、考えてみたら面白い。

 

 

 

 

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(231)    囲炉裏から生活と人間関係を視る

2006年02月25日 | 技術  道具・伝承・歴史


『 室内の、床を四角に切り抜いて、炉を設けた、火を焚くための場所 』
と辞書を引いたら出ました。
食物の煮炊きや、暖房、魚や作物などの乾燥、そして照明などに用いられますが、
家族の団欒をもたらすことも大きな役目でしたた。
大昔は土間の地面に掘られた「地炉=ジロ」でしたが、
やがて床が出来ると土間と板の間の境に作られるようになりました。

囲炉裏が観光用に受けてるとは温故知新です。


座敷が続く

 
富士山北麓の農家囲炉裏

富士山北麓で最古と言われた農家

絆、統制

囲炉裏で食事をとり、暖をとり、炎が明かりとなるので、
家族は囲炉裏の周囲に集まざるを得ません。
そのため一家団欒や家族の絆は自然と保たれたと思われます。
豊かさも、貧しさも囲炉裏の鍋を分かち合うことで家族全員に伝わり、カカザ(下図参照)に座る主婦がシャモジ一つで食事を取り分ける時、その順序や分量など絶妙のさじ加減で家族の絆、和を保ったと思います。

家族での上下関係も明確で囲炉裏に座る位置も決められていました。
例えば、主人の席であるヨコザ(下図参照)には、主人かお坊様しか座れないなど、外部の客人との関係も明確だった。
縄文人はキジリに座り薪の補給や、火加減を下。

囲炉裏のある生活
            

囲炉裏の周りには莚(むしろ)が敷いてある。莚の上にござが敷いてある。
冬季は此処で暖を取り、鉄瓶で湯を沸かしオツケ(味噌汁)も煮る。
灰の上に脚のついた網を置き、餅やサツマイモを焼いて食べた。
鉄瓶や、鍋をかける自在鍵が2本設置してある。

囲炉裏の枠はマッコと言う。マッコは固い木で作られキセル(炎冠)でたたいても
へこまない。囲炉裏の上には、オカマサマが祀られている。
天井から板の棚が下げられていて太い注連縄が張られていた。
囲炉裏は火を一番に扱うところで火の神様を祀った。

囲炉裏の座名


囲炉裏から家族の絆、躾、昔話、伝承を学んだ

参考文献
『今に伝える農家のもの、人の生活館』  大館勝治、宮元八重子著
『農民・人と暮らし』  奈良本辰也著
白川郷博物館より

 

 

 

 

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(230)   荒川静香・金メタル・銀盤の女王

2006年02月24日 |  紀  イベント・催行

宿願  ・  金メタル
おめでとう、荒川静香選手
日本中元気になりました。感涙にむせびました。
日本一の人・静香!!!

 


お疲れさん
良く頑張りました、おめでとう



やり尽くしたと言う涙、金メダルに繋がる涙
村主章枝選手最高の演技でした
お疲れさん

待ちに待ったメダルをとりました。
日本中が待ち望んでいたメダル。

安藤美姫、荒川静香、村主章枝各選手よく頑張りました。
荒川、村主選手は最終グループ滑走の重圧を感じさせずノーミスで演じ終えた。
プレッシャーもさることながら堂々とゆとりを持って
ライバルに立ち向かったことが金メダルをもたらしたのでしょう。

 

 

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(229)       ・昔の農具を農家の軒下から視る

2006年02月23日 | 技術  道具・伝承・歴史

忍野村の農家の軒先に使われなくなった農具が積まれていた。
昭和45~6年ころまでは盛んに使われた道具であろう・・・。
牛馬の畜力により深耕した犂(すき)。
その歴史をたどってみた。


軒先に無造作に積まれサビ付いた農具


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農具について考えてみた


写真1 江戸時代の鍬(くわ)


写真2・犂(すき)は角度によって深さ、負力が異なる


写真3・犂を改良した、高北新治郎氏の銅像

 


日本の農具の歴史はあまり明らかにされていない。
それは、農具を工夫し発達させてきた人々が名もなき農民であったからです。

鍬(くわ)=平たい鉄板に長い柄をつけて耕作・地ならしに使う。
犂(すき)=土地を掘り起こすときに使う。牛馬に引かせたものを取り上げた。

 1,弥生時代
弥生後期に青銅器が現れる。鉄器の製造も始まり木製の農具から鉄へと移行していく。

2、江戸時代
便利な農具が各地で使われ始めた。何といっても鍬(くわ)写真1、である。鍬は機能によって『打ち鍬』と『引き鍬』、その中間の『打ち引き鍬』に分けられる。
鍬は田畑の荒お越しや土工、、開墾にも使われたから農具の王座であった。
鍬は各地によって形が異なる。『三里をへだたずして違う』と
言うことわざがあるくらい地方によって形が違った。

3、明治時代=犂〔すき〕
鎖国から抜け出た日本は、にわかに忙しくなる。
明治2~3年に家畜や種子が配布される。明治4年に東京・三田に農具置き場、次いで内藤新宿に西洋式農具の試作が始まる。土を深く耕すのは農民の願望でした。
鍬を使っている限り5寸が限度でした。
さらに深く耕すには、牛馬の蓄力耕を導入することしか方法がなかった。

4、高北式犂(すき)の完成〔写真3〕
高北新次郎は少年のころ、奉公先の店先で農民から犂(すき)が重くて深く耕せないことを知らされる。試行錯誤・創意工夫し〔写真2〕、やっと26歳のとき改良に改良を重ねて農民たちに喜ばれ深く耕せる犂を完成させた。
今まで5寸であった深さが6寸5分と性能は一段と進んだ。

             参考文献『農具・飯沼二郎氏、堀尾尚志氏・著』から

 

 

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(228)      ・忍野八海  その3

2006年02月22日 | 技術  道具・伝承・歴史

 湧き水を利用した水車。
富士山を背景に水車が回る。
湧水池の透明度10mを覗き込み『コワ~イ』とつぶやく。
水車、雪の富士山、湧水、これが日本の原風景。


池の鯉もそば粉の臭いを嗅ぎ付けてウヨウヨ


役目を終えて今は観光用

そば粉を造り近くの蕎麦屋さんで手打ちして観光客に食べさせている。
そば粉は、やはり石臼で挽かないと本当のそばの味は出ないという。
こだわりの蕎麦屋さんは、自分で畑を耕しそば実を採取し自分で粉を挽くという。

水車小屋でそば粉を作っていたおじさんが
『水車だと時間を掛けて石臼でじっくりしますから最高の粉が・・・・』
と説明していた。



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今日のメモ

女子フィギュアスケートを見る
〔ショートプログラム〕

冬季オリンピックの中継を見たのは今日が初めて。
『メダルが欲しい。いや鍛え抜かれた技を出し尽くせば、いやもう少し頑張らなければ・・・』
さざまな声が、きっびしい。
荒川、安藤、村主各選手。期待の星に“是非メタルを”・・・と思い見入った。
三選手は、磨き抜かれた技を十二分に出し上位に食い込んだ。
次の自由演技の採点が加算されてメタルが決まる。

この日のために集中力を高め、そして本番に望む。
手をついたり、お尻をついたり、ふら付いたりのアクシデントが起きる。
プレッシャーはもとより、メダルトルを取る事が如何に至難の業であるかを見た。

得点に上限のない新採点システムは五輪初。
フリーで挽回、大逆転が可能となる。
選手は、メタル、上位入賞をと、一発をねらう。
そこにはリスクがつきもの。
取りこぼしがない演技してもらいたい。

日本国民が固唾を呑んで応援している。

 

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(227) / 忍野八海 を往く その2

2006年02月21日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

処変われば環境が変わる
環境が違えば対処方法が全く違う。
庭の植木に対する防寒、作物の保存方法・・・・

山梨忍野地方には大きな庭、植木の上、軒下に
知恵や工夫が凝らされていた。


ミニトマトの種採取か?



写真から『 丹精=丹誠 』という言葉を連想した。

 

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今日のメモ

丹誠を込める

他人から品物を頂いたとき、
『丹誠込めた○○をほんとうにありがとうございます・・・・・」
といってお礼を述べる。
頂いたお漬け物は大変美味しかった。作るのにどの位かかりました・・・・・・・。とか、
この植木、ここまでするのに冬の管理をどうしたのですか。
よく枯れずに丹誠込めて手入れをなさいました、
など心から出た率直な言葉、相手の労をねぎらい誠意に対する解きほぐしの
言葉のように思う。
忍野八海地帯は、雪で凍結が厳しい。植木はしっかりと防寒対策を施し一冬を守り通す。
雪折れしないように丹誠を込める。

黄橙色に染まったトウモロコシ、軒下につるして芯まで乾燥させる。
種まきから収穫までの労はいかばかりか。
その食べ方は、地方によって異なるが『粉にして焼きもちにして食べると香ばしくて、ウンメーイなぁ・・・』と仲間が言葉を添えた。

丹誠=丹精とは、物を大切にすることから生まれて来た
心と物の架け橋をする言葉であろう。 

 

 

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(226)   ・  忍野八海を往く

2006年02月20日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

 1ケ月ぶりに山行の靴を履いた。
朝の風はまだ冷たい。
5,50分の集合出発を目前にバスと多くの元気仲間が集まっていた。
心配された雨はなさそうだ。

『 旅支度で“リックを背負い”一路、甲州街道まっしぐら
休んだところが談合坂
着いたところが富士山麓の湧き水地。     
ここを称して、忍野八海と申し候 』




曇天で富士山がボケた。
畑や広がる原野、水車小屋裏あたりに残雪があってもいい時期。
富士山の半部から下に雪がない。
リーダーが温暖化の影響だと説明された。
地球の温かさがこんなところにも現れているのか。
日本海側は豪雪というのに・・・・・。

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今日のメモ

忍野八海の湧水

山はあっても山梨県、と言うのが今までの通例。
海のない県はと言えば、埼玉、長野、山梨県・・・・と答えた。
ところが山梨に8つ海がありました。
忍野八海という小さな海です。

富士山に降り注いだ雨雪は張り巡らされた地下水路を通り
湧き水となって広大な田畑を潤し、観光客を喜ばせ、多くの産業を発達させてきました。

その代表的な湧き水が“忍野八海”であり、絶壁を流れ落ちる“白糸の滝”。
その湧き水が温暖化の現象で徐々に少なくなりつつあるということです。
忍野八海の中心地・湧池の水に勢いがない。

以前は、湧き出る水量がボコボコと地下から盛り上がるような状況見ましたが
素人目からは少ないようでした。
富士山に降り注いだ雨が長き月日を経て湧き出す『千年の水』。



 

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(225)        ・  大挙拳と母子像&細木バトル

2006年02月19日 | 文学  コラム・エッセイ

一昨日、朝の散歩のとき熟年の大挙拳を見た。
身体をユッタリと、しかも足のつま先から頭の天辺まで、ぐう~ト伸ばし

呼気に合わせてけしてあわてない、ノビノビ体操が大挙拳の特徴だろうか。

小公園の片隅からジィート見つめる母子像が印象的でした。


9人中7人が女性


母子像

大挙拳は女性が大半でした。
子育てを終えてほっとした、ゆとりの年齢なのだろうか。
サークル活動、朝の散歩、講演会などに出かけても元気なのが熟年女性です。
この母子像を見ていたら女の力強さを感じた。

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今日のメモ

=ズバリ言うわよ~細木和子=

家庭菜園から帰って来てTVにスイッチを入れた。
SP・細木数子がブッタ斬る・女子高校生&男子高校生&現役教師!
総勢250人、炎の大バトル3時間半

が放送されていた。
細木数子と言えば占いで有名TVであちこちに顔を出す売れっ子のタレント。
縄文人は、どうも占いは性分として好まない。
しかし、なぜか3時間の長時間息も切らず見入ってしまった。
なぜだろう。
細木数子氏の若者に対する説教、現実を直視した道徳観、
適切なコメントにほれ込んでいた。
男女高校生に対しては手厳しい面もありましたが、
いま若者があからさまに表現している弱点〔言葉遣い、服装、作法、髪型など〕
を上手にえぐりだし出して、具体的な事例を挙げて
心に繋がる適切なアドバイス。
あるときは涙、あるときは笑い、グット抱きしめてけして
若者を見捨てているのではないと身体全体で説き伏せる。
数時間の間にすっかり細木数子のフアンになっていた。
まさに母子像から吐き出すような炎のバトルが弱体化した心に、叱咤激励し
輝きの言葉が印象的だった。

 

 

 

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