日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
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・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

メジロ押し

2024年11月16日 | 文学  コラム・エッセイ

散歩で見かけたハトの横並び
   メジロはメジロ押しでは、ハトは何というのでしょう

 

ハトの横並びを何と呼ぶのでしょう!?

(ハト押し)とでも言うのかしら?

(ハトの横一線)・・・・!?

こんなに横に並ぶと、糞の落下が大変です!フフン~~!

 

電線の横一線にハト止まる
         四文字熟語「鳩首凝議」?(縄)

 


 
 早朝散歩のとき見かけた、ハトの押しくらまんじゅう
   「メジロ押し」は、《メジロ樹上に押し合うように並んでとまるところから出た
語源と言うらしい・・・・。
   ではハトは、ハト押し~そんな言葉聞いたことなし!!

 

 鳩が増えることで、一番困るのはフン害(憤慨)です。
乾燥した鳩の糞は風に飛ばされ、人体に各種病気を引き起こす原因となり、
抵抗力の弱い方には甚大な影響が有るそうです、注意が必要です。

鳥のフン被害でお困りならやってみて!電線や電柱に無料で対策し ...
 電線にこんな鳥よけ防止器具
   

 


   人間様のメジロ押し。

《メジロが樹上に押し合うように並んでとまるところから》

多人数が込み合って並ぶこと、また物事が集中してあること。「今年は洋画の話題作が—だ」

 子供の遊びの一。大勢で横に並んで押し合い、列外に出た者がまた端に加わって押し合うもの。

 

 

 

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季節は秋、暑さに降参!!

2024年08月26日 | 文学  コラム・エッセイ

早朝散歩から(エッセイ)

 

 

1週間のはじまり月曜日の朝です。

何時もの通り新鮮な空気を吸い、爽やかな新鮮な空気に浸かりたく、早朝散歩に出かけた。

朝の太陽が高層住宅の建物を照り付けて、直射日光が壁面に輝いていた。

街路樹の脇を抜け行くと、茶色の種を一杯付けた向日葵の果が重そうに
「俺の季節は終わり」と言わんばかりに頭をたれていた。

その横に二株のコスモスがピンクと黄色の花を着けそよいでいた。

暑い暑いと言っていた今年の夏も、季節は進み暦の上では確実に秋が訪れていた。

大型台風が、九州の南に居座り日本列島を伺っている。朝だと言うのに南の空
彼方に入道雲に朝の太陽が照り付けていた。

最近は、熱帯性気候のスコール風の雨、1日に150mmほどのドカ雨が一気に
降り注ぎ当然大きな被害、地域に暮らす人々は堪ったものではない!!

「備えあれば憂いなし」台風10号は日本列島を縦断しようと九州沖に右往左往している。

街路樹数本が葉を染め「此の暑さに降参」と、言わんばかりに枯れていた。

人間をも此の暑さには参った、熱中症で不幸にも亡くなった方が250名余よおられるとか
この暑さ半端ではなかった。はやくす涼しくなってと祈るのみです。

幸いにも百日紅が元気な姿でピンクの花を咲き誇っていた。

 

 


枯れた街路樹

枯れた街路樹 - てこてこペンギン散歩
低木もご覧のあり様



ドウダンツツジも枯れて・・・・。

 

ひまわり | Mamichi's Room
役目を終えた向日葵


百日紅とモミジアオイが咲き誇っていた。
枯れた街路樹をそこはかと見た後の、誇る花は嬉しい限りです。

 

 

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「江戸川コラムの会」聴講生として出席した時(古いノートから)

2024年07月11日 | 文学  コラム・エッセイ

講師が生徒に、次の様に「問いかけ」た・・・!?
   生徒は・・・「わからないと言って」黙りこくった。

 

問いかけ
  
   『ドアーを、バタンと閉めて出て行った』

             綴り方~、これを基にして作文を書きなさい。

 

 

生徒たちの声

A=そんなの分かんない。 B=何を書いてよいかサッパリ分からん。C=そ
んなこと分かるはずが~無いでしょう!  D=言っていることが意味不明。

       生徒たちは一様に、そっけない言葉を講師に返した。

         作文 原稿用紙 小説 宿題 課題 書くイラスト - No: 2142367 ...

 

講師は、生徒たちに向かって諭す様ような言葉で語りかけた。

 

   ヒントとなる言葉
       ① 風が吹いてきてパタンと閉まったかもしれない。
           (天気、外の様子、天気予報等の観察)

       ② 建物が古くて、立て付けが悪かったかもしれない。
           (建物の古さ、修理の様子、壊れていないか等) 

       ③ 出て行った人に、葛藤があったかもしれない。
           (人間観察、出て行った人の様子等)

 

  これらこそが「想像力の翼を拡げるチャンス・・・」ですと、言い含めるように、
わかりやすく語りかけた。噛んで含めるように話した。
①、②、③の、どれでも選んで思考・想像力を働かせれば、原稿用紙1枚くらいはすぐ書
けます。これが書く力であり、観察力➡書く原点です。

 

一点集中・思考と想像力

 「此れはK講師が、作文の時間に中学生に講義した内容です」と、言いながらコラムの
会の先生も、聴講生に対して枝葉末節まで話の話を丁寧に解説された。

     的 (弓道) - Wikipedia

▲ 小学生の作文
    「朝起きて顔を洗った。歯を磨き朝ご飯を食べた。そして学校へ行った」此れが

    ありのままの小学生の作文です。
     寝ぼけまなこで起床し、ドンな気持ちで顔を洗ったか。歯磨きはどこで・・・
    したか。ご飯は何を食べたか、その時家族とどんな話をしたか、此れが想像力で
    あり、創作力です。~~~と講師。

 

▲ 日記を書くように「俳句」『短歌』を作りたい。
     同僚から面白いからと・・・と言われて始めた。夢中になり勧められるままに
    「カリュチャ教室」にも入った。
     するとどうだろう、ものの見方が斜めから、横から、上から挙句の果ては鳥瞰
    的に観察するようになった。読む、思考する、創作の面白さであろう。

        以前とは考え方、ものの見方が
              ガラリと変わった・・・・・・・。     
       此れこそが
        「想像力の翼を拡げよう・・・・」
               と言うものだと思った。

                         【江戸川コラムの会の講師、朝日新聞論説委員・轡田隆史 

        
   

 

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二本の足で歩く

2024年01月28日 | 文学  コラム・エッセイ

歩くということ
それは健康への第1歩、長寿の秘訣!



 

 

 今歩く人が増えている。コロナでその拍車がかかったようである。
歩くことは即外に出ればできること、いとも簡単である。コストも運動靴1足あれば何も要らない。
それでいてご利益満載とかですが・・・・・此れが中々進まない。
「億劫」の二文字が立ち塞ぐ!


 昨年は不幸が続いた。三人の姉が亡くなった。
その中一人、実の姉が87歳の生涯を終えた。
庭に置いてあった、漬物石を移動すべく、持ち上げたその瞬間に腰を痛め、全く歩けなくなり施設に
入り、車椅子の生活となった。それから1年半、移動はすべて車椅子のみの生活となった。
腰を痛めるまでは、病気は無縁で健康でした。
 高齢になると、石に躓いて転んで歩けなくなることが、命取りに成るとよく言われます。
高齢者の歩けなくなることは「命取り」になる。
 
「あすへの話題・歩く」 

 人はとにかく歩かねばならないらしい。理想は日に1万歩。
歩かずにいればいるほど、死期が早まるし、日に4千歩以下の人は寝たきり状態も同様な
のだそうだ。
座っていてはならぬ。歩け歩け!!耳にタコができるほど聞かされてきた。
長く歩く時間がないと言えば、健康になるための時間もないのか、と呆(あき)れられ
る。歩くためだけに歩くのはいやだと言うと、早死にするぞ、と諭される。
 私とて歩きたい時には歩く。・・・以下続く
          (作家・小池真理子 エッセイ・「あすへの話題」日経より)


 実は筆者も高齢となり、用事で外出する以外は歩いていない。これでは如何!
この「あすへの話題」を読み勇気つけられました。努めて
外に出て散歩をすることとしよう。
 よく石に躓いて歩けなくなる、此れは高齢者の命取りと言われます!!
怪我➡歩けなくなる➡身体の諸器官が衰えるからと言われます。
「歩け~歩け」 歩く門には福来る!!

 

歩くこと」はメリットがたくさん! | 日清製粉グループ
    ひたすら歩く


   江戸川河川の土手、柴又付近


新中川放水路の土手


   夕方、散歩コース八剱橋から中川放水路   (いずれも蔵出し)

 

     ▲ 夕方の緑の中で深呼吸
            散歩の人や行き交う小道 (縄)

     老いは誰にも来る、
            健康は努力しないと遠ざかる
                   健康百話 先ず歩く!!   

 

 

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何時もお越しありがとうごっざ居ます。

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紅梅・白梅

2024年01月25日 | 文学  コラム・エッセイ

散歩で見かけた「紅梅・白梅」
小学校での学ぶことの大切さ、いま改めて・・・!

(覚えた散文詩を忘れない~脳裏に蘇った)

 

 

昭和20年前後の小学校の教科書に載っていた下の詩、「サイタサイタ サクラガ サイタ」
が載っていた教科書だった。

梅が咲くころになると不思議に思い出す一文です。

小学校で習ったのは、70年程前の散文詩が、いま脳裏に鮮明に蘇る。

 

子供のころの特別な思い出は何ですか?

友人やある家庭を訪ねたときのことですか。初めて歯が抜けたときのことですか。

あるいは誕生日に贈り物を受け取ったときのことですか。

これらは単純な思い出のように思えるかもしれませんが,幼少期の記憶は
その後の人生の中で鮮明に残っています。

たくさんの人と交流する、外に出て自然と触れ合う、家族以外の人と新しい
関係をもつことが~~いま改めてその重要さを嚙み締めている。

幼少期の大切さ重要さ。

横道に大きくカーブして、道草を食べた。

 

田園「春」

紅梅白梅みな散りはてて、
彼岸すぎれば風温かく、

  木々のつぼみも草の芽も、
  日々に色づき太りだす

続く日和に桜が咲いて、
野山を飾れば桃赤く、

    畑においてレンギョウは、
     垣根を黄色に染めていく。

靑い空にはかすみがこめて、
 ひばりは朝から大うかれ
      ゑんどう・そらまめみな花つけて、
   羽音高くみつばちが飛ぶ。

「教育」を学力という観点で捉えたら、小学生は生涯で最も大事な時期だと思う。

調べてみると昭和25年ごろの小学校国語5年生の教科書に載っていたのだから
かれこれ70年の月日が経って


「人生の基礎を築くは小学校の時期」だと改めて思った瞬間でした。

 

紅梅白梅も見事に咲き初め、水戸偕楽園 も、今が見ごろとTVが伝えていた。

散文詩のような景色、梅の散った後には萌え出る緑が必ずやってくる。

 

       付則

懇意している、ブロガーのドンこさんから投稿があった。

♬「朝はどこから」1/25投稿記事の歌は、
「1946(昭和21)年、コロンビアレコードから発売された、日本のラジオ歌謡、
朝日新聞の懸賞応募曲」だそうです。
わたしが小学3年頃になるでしょうか。

 

 

散歩で見かけた紅梅白梅

 

 

白  梅

 

梅(ウメ)の花言葉|怖い意味もある?紅梅と白梅では意味が違うの ...

 

 

 

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思考・創作

2023年11月25日 | 文学  コラム・エッセイ

コラム
環境を変えてみると、思考考察に変化

 

 何か一つ問題があって、それを解決しなければならないというときに、一人閉じこもっても、
あるいはそのことだけを考え続けて居ても、いい案は浮かばない。
時間だけが過ぎていくという事が多いかと思うう。

執筆・書くシルエット | 無料のAi・PNG白黒シルエットイラスト

 そんな時たまたま窓を開けて外の風に当たった瞬間、名案が浮かぶことが有ります。
またこれと全く違った方法で、頭の中がくしゃくしゃする、思い切って外に出て、
僅かな時間でも辺りの景色を見ながら散歩し、思考を咀嚼する。
こんな時思わぬ名案が浮かび”これだと”思いつき「ひらめき」に
飛びつくことが有ります。
脳の認知システムが切り替わり、”思わぬひらめき”が起こり解決しなければならないことが
瞬時に良い思考方向に傾くことが有ります。
これは前者よ後者にその効果が発揮し思考が倍加されることが有ります。

創作をしているときの不安な気持ちやネガティブな思考を ...

 たとえば思考が、俳句創作中で・兼題「神無月」であったとします。
外に出で思考環境を変え、次の項目に焦点を当て思考を巡らす。
思い掛けないことが次々と浮かび上がり、これらを創作・思考中のものに関連付けていくと
思わぬ展開を来たすことが有ります。

散歩 | みんちりえ | 背景イラストのフリー素材サイト

「時」    = 朝・昼・晩
「人」    = 人の動き。
     「物」    = 物体の構成や光と影  
      「自然、環境」= 万物の景色、気候や天気

 
 自分と「時」「人」「物」「自然、環境」との距離を上手に取りながら
それらとの関係性を書けば、
余情のある景色や動きがを描写できます。
これら心に浮かだこと、映像になって表れます。
蘇った映像を救い上げて「兼題・神流月」と結び付けなさい~~と、
俳句の先生・主宰は言います。

イラストポップ 学校のイラスト | 国語No28カエルが池に飛び込む ...
 
 
 じっくり観察思考することにより、思わぬ創作効果が表れてくるものです。
しかし散歩が嫌な人が無理やり散歩することにより、却って思考能力が鈍ることが居る人もおられるでしょう。
こんな時にはコーヒー一杯飲むとか、煙草を吹かすとかも一案かもしれません。
 
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 
今日の一言

=イスラエル対ハマスの戦争・休戦4日間=

 
毎日TVから溢れるほど放映される戦いの様子、目を覆うこともしばしばです。
休戦協定僅か4日間ではありますが成立、人質解放のニュースが飛び込んできた。「ハマス人質24人解放を確認、赤十字 イスラエル女性やタイ男性ら・・・」
これを契機として、戦いが休戦から終戦に変わること祈るのみである。
 
 
 
 
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コラムの集い・むかしの話

2023年07月24日 | 文学  コラム・エッセイ

自主出版の本を頂いた
あらためて読み直しています

 

「コラムの集い」は轡田隆史氏 ・朝日新聞論説員の指導の下、江戸川区内で
文章を書く方々の集まりでした。

6年ほどお世話に成りましたが、家事の都合で退会しました。

会誌として「せせらぎ・年二回発行」し、研さんに励んだ。その時の冊子が👇の写真です。

会員の中で文章の長けている人が居られて「顧客と人生・理容店からふれあいの中で」
自費出版のなさった方が居て頂いた。

改めて読み直していますが、その触りの部分「洒落話」を紹介します。

 

 


       「江戸川コラムの集い会誌、『せせらぎ』


  自主出版された本

 

 

≪第52話≫
   洒落(シャレ)ばなし

その1 ● お金のはなし

  「まったく参ったよ。ある人に10万円貸したのですが、もう5ヶ月もたつのに、
  全く返してくれないいんだよ・・・」

  「へえ~借用書でも取ってあるのかい」

  「いやそれが~ないんだ」

  「それじゃあ、駄目だ!返してもらえないな!」

  「何も言ってこないんだ・・・」

  「そうか、いい方法がある。それじゃあ5か月前に貸した20万円すぐ返して欲しいという
  手紙を書いて送ったらいい」

  「だけど貸したのは、10万円だよ」

  「だから、その人はびっくりしてすぐに借りたのは10万円だよと返事が来る。それが立派な
  借用証書と督促になるよ」        
                        (おわり)

   正しい借用書の書き方!個人の借金で使える契約書テンプレート ...  

   

その2 ● 教育上のはなし

    来年小学校に上がる男の子に、悪戯があまりにも激しいので母親がすっかり
   手を焼いていかって言った。

   「本当にお前くらいいたずらな子を見たことがないよ。お前はいったい
   誰の子なんだろう・・ほんとうに」

   すると、その男の子はしばらく真剣な顔で母親を見ていたが、べそうかきながら、
   「いやだなあ~、僕が誰の子だかママにも分からないなんて」大人も冗談がきついね。 
                                   (おわり)

 

       
 

             ちょっと「クスットする」お話でした。

 

 

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ある雑誌を読んでいたら・・・・・

2022年06月18日 | 文学  コラム・エッセイ

先入観を捨ててそのままに「聴く」

 

傾聴力を養うポイント。

耳と聴覚の健康診断イラスト画像とPSDフリー素材透過の無料 ...

 

「耳」は「聴くもの」である。聞かねば耳でない。

まともに、ありのまま淡々として私情私意・我情我欲を押しはさまずに、たださながらに聞く。

これが本当の耳である。

聴こえても、そのままに意味に取らなかったり、反対に取ったり、裏を考えたり、ねじけたりひねったりする人の耳は、その耳の穴が歪んでいるのであろう。

歪んでいるから言葉(情報)がねじけて入ってくる。通りが悪い、途中に引っかかる、外情が内達しないのである。

述べたことは、いかがわしい輩がいて、外界の様子をありのままに脳(主)に知らせないのに等しい。

「そのままに聞き、そのままに感じる」ことが大切なのである。

さらに、自分に、とって不都合なことでも「そのまま、ありのままに」耳を傾けて、心で聞くことです。

先ずは、自分の感情や思いを押しはさまずに相手の言葉をそのまま受け止めることです。

これが聴くと言う本筋であろう。(以上)

 

平島小学校-

読み終えて思ったこと(感想)

皆さんはこの「耳」「聞く」「我情我欲」聞き方を読みてどう思いましたか。

我は、聴く態度は確かに模範的で立派な態度ですが、どうしても社会的経験、

私利私欲、思想的な心情等から、心に訴え判断する前に、話していることが可笑しいいや

的外れているのではないだろうか・・・と、心の判断に触れる前に短兵急になってしまう。

やはり、聞くことはしっかり聞き終えてから、心の判断に訴えないと話の問題を浅はかに論じることとなる。

他人様の話を聴くと言うことは難しいものである。

 

 

 

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目的なき彷徨

2022年04月15日 | 文学  コラム・エッセイ

彷徨いに目的意識・・・を

 

 

朝から天気良好、気温もグングン上がり絶好の散歩日和、カメラを持って表に出た。

blog用の写真を・・・と、思って出たが何を撮ろうか迷った。
花、道すがらの光景、空(雲)等の目に映るものを探し求めたが何か気持ちが満たされない。

被写体に向けて心が躍るのなら、撮る気持ちも湧いて来て楽しい・・・が、
そんな気持は毛頭ない!!

いつもならばイメージして、目的意識を持つって撮るという事に対して
真剣になるのだが、何か心が散漫だ・・・。

つまり散歩がてら、目に映るものを手あたり次第、何でも撮る、
何でもイラシャイ、そんな浮かついた気持だった。

写真を撮るのは、一般的に記録に残すことが目的である。
子どもの成長や旅の思い出を記録したり、面白いこととの出会いを
誰かに伝えたりする。

「百聞」を「一見」を補うようにシャッターを切ることです。
今回はブログ用の写真と思いながらも、皆さんの目に晒す写真です。

百聞は一見にしかず | ナラブロ

何でもそうですが、しっかりとした目的意識を持って、あの場所で、
このような被写体で撮ろうという気持ちを固めていることが大切である。

理由は様々かと思いますが、写真を撮る目的は、伝えること記録することこと」であろう。

撮影に出る前にある程度此処とこれ・・と、頭の中で試行錯誤をし、
目的意識を掴んでから出かけることが大切なように思えた。

目標と目的 ロイヤリティ無料ベクタークリップアートイラスト ...

写真だけではない、事に当たっては「目的意識」をしっかり把握すること、
法律の最初の条文に「目的」が記されているのはその為であろう。

 

 

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踏ん切りをつける!!(小さな決め事、大きな決断)

2022年03月04日 | 文学  コラム・エッセイ

   踏ん切る!!

  踏ん張る、前へ進む!!決断力

 

 

踏ん切りがつかない人10の特徴 | ピゴシャチ

 

  自分で自分を甘やかしては駄目で・・・。

そんなことは、自分にはできない。とか

自分が悪いのではない、

自分にはできないのだから、とか、

理屈をつけて、

自分が立ち上がらないという事は、

これは至極残念です、情けないです。

一つ踏ん切りをつけてみましょう!

 

 

新しい道を、希望をもって進むことが大切です。

  これは岐路に立った時の決断力です。
自分には、この決断力がなかった!力不足でした。
誰か決断した後を、ゆったり着いていけば・・・容易だしで浅はかな気持ちしか無かった。
これは、無能人間のやることでした。

  踏ん切りをつけるる場合、誰もが躊躇し尻ごみとなる。

踏ん切りを付けたくても付けられずに、モヤモヤとしてしまう人は多いと思います。


「何で自分はこんなに決断ができないのだろう…」と考えてしまいますが、まずは焦らずに、時間が経過するのを待ったり、考えていることを書き出してみるのも決断する手助けになります。

(自分の過去の経験から・・・・・)

「踏ん切りをつけないとこれからどうなるのか」などまで深く考えてみると、思い切って決断ができるかもしれません。

 

いま八十路の道をゆったりノロノロと歩む、悠々自適、決断とは何ら関係なし。
第一線で頑張っている時とは、全く異なりだからこんなことを言えるのかもしれない。

我が人生行路、反省することしきりであるが、自戒と反省を込めて
「決断力」について思いをめぐらした。


 

 

 

締めていましたが・・・open the door

   ▲ 春めきて 八十路の坂を 下りけり (縄)

 

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