二ヶ領用水(新川)を歩く その3
二ヶ領用水は徳川家康が作らせた農業用かんがい用水です。
二ヶ領用水は市民の憩いの場所として、
その存在はますます重要性を増してきています。
二ヶ領用水の魅力はリクリエイション、
散歩道として絶好の遊び場として親しまれています。
春は桜
で用水全体を覆い、それは見事とのことです。
ほんの少し歩き(通り過ぎ)ましたが、
全体を通してじっくりと歩いて見たい場所でした。
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多摩川の水は,この様に他用に使われています。
二ケ領用水は、黄色線で挟まれた部分です。
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① 二ヶ領用水はなぜ造られた?
そもそも二ヶ領用水は1590(天正18)年に多摩川が大洪水を起こして流路を変えたことから、
新たに農業用水を引き、水田を開発するために造られました。
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② 二ヶ領の「二」の意味は?
川崎領と稲毛領の「二」つの「領」にまたがって流れたことに由来します。
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③ 二ヶ領用水はどこからどこまで?
二ヶ領用水は、多摩川に2カ所の堰を設けて取水しました。
ひとつは上河原堰、もうひとつは宿河原堰です。
この二つの堰で取り入れた用水路は、JR南武線久地駅近くで合流し、
今の川崎市域のほぼ全域に枝分かれして流れました。
幹線水路の全長は約32km
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④二ヶ領用水はいつできた?
関ヶ原の戦いがあった3年前1597年に測量が始められ、その2年後に開削工事にとりかかりました
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⑤ 二ヶ領用水を造ったのはだれ?
二ヶ領用水上河原線にかかる台和橋のレリーフや世田谷区の次太夫堀公園に、
その名を残しているのが小泉次太夫という人です
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⑥ 二ヶ領用水はどのようにして造られた?
今のように機械など全くない江戸時代です。用水堀りは、ひたすら人の力で行われました。
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⑦変わる用水の用途
水田を灌漑し、農民たちの生命の水として使われてきた二ヶ領用水ですが、
時代とともにその用途は変化してきました。
現在では、都市生活に潤いを与える環境用水として、
その位置づけは大きく変わりました。
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⑧ 二ヶ領用水の保存運動
春には水辺の桜並木がたいへん美しい二ヶ領用水ですが、
少し前までは工場廃液や生活排水の流入で汚れきっていました。
何とか、この用水堀に新しい存在価値を見いだして、後世に残していきたい。
そのような市民の願いを実現するために、
「二ヶ領用水の再生を考える市民の会」や「二ヶ領用水・中原桃の会」などが
誕生しました。
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多摩川下流の扇状ちでの水稲生産を
拡大するために、1597年小泉次大夫は、両岸の用水路建設に着手した。
1611年に二ヶ領用水(右岸)と六郷用水(左岸)が完成した。
その他にも、1604年頃より取水をはじめたと推定されている
大丸用水(右岸)や、1654年より取水をはじめた玉川上水(左岸)
等の用水路が相次いで整備された。
多摩川下流の低地・台地に豊富な農業用水をもたらし、
米の生産量が増大、江戸の生活を支えた。
川は、飲料水、農業用水、工業用水等
この他にも多方面に活用されていて、その重要性を知る事が出来ました。
「水を治める者は国を治める」
(資料は、二ケ領せせらぎ館より参考にしました)