50作目の「帰って来た寅さん」
興行師だった父に・・・、興味を抱いた山田監督
作家・早乙女氏の父は興行師であった。
そんなことから山田監督は、その職業に大変興味を抱いていたようでしたが、そのことについて
お役に立てなかったのが残念です。
父は興行師として家を出ると、家庭を顧みない人で自宅に帰らず、仕事内容について
語ってもらえなかった。
寅さんサミット、帝釈天境内にて
こんなにも新しい寅さんが、誕生しています。
寅さんはトランクを下げ全国を渡り歩く香具師(やし)➡露天の商売人を指した職業でした。
もし僕が早乙女さんと出会わなかったら、寅さんの故郷は葛飾柴又ではな
かったであろう。いやひょっとすると、寅さんそのものが誕生していなかったか
もしれない。 (山田監督談 図書新聞・1994、5、14)
寅さんの仕事場風景
「思えば僕も早乙女さんも若かった。名前も無く貧しかった・・・・・・」
まさか私が案内した、柴又帝釈天が、のちの「男はつらいよ」のメインの故郷になるとは、夢にも思わなかった。
その頃キャラクター作りに私は何度か、赤坂の仕事部屋に出向き、監督と話し合いをしたが、テレビドラマだった、『男はつらいよ』の終わりの頃からか、何か柴又が匂うような感じを受けた。
山田さん香具師あるいはテキヤと呼ばれる寅さんの職業に関心をお持ちで、たまたま大衆演芸の興行師で、殆ど家に寄り付かなかった大酒のみのわが父に大変関心を持たれているようでした。
しかしその父も50代半ばで戦後まもなく亡くなっていたので、その父とは反発して、ほとんど会話も無かった。
そんなことから、このテキヤ香具師に関してはお役に立てなかった。今考えればおやじの興行師に山多監督の匂いを感じた。
その辺の探りを入れて来たのを知らない訳ではなかったが、それだけの知識と知恵がなかった事を覚えている。 (東京人より抜粋)
江戸東京博物館にて、芝居小屋
4回にわたり「東京人」掲載の作家・早乙女勝元氏の
「男はつらいよ」誕生秘話物語を完結します。
山田監督&作家・早乙女氏並びに関係者には、葛飾柴又を全国区にして
頂いたこと感謝をしつつendとさせて頂きます。(葛飾・一住民)
葛飾区協働下町川柳入選作品
寅さんと同郷ですと胸を張り
あんた何処「かつしか柴又」住まいです (縄)
旅先のあちこちで 『寅さんの故郷、柴又』 この8文字で
北は北海道、南は沖縄の果てまでも通じます。
すると「寅さんね!」と分かってもらえます。
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