日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

長野県・山行

2008年04月29日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

四阿屋山(1387m)

北アルプス全景とブナ原生林


赤松の林が続く


山頂からの展望
北アルプスの全景が見えるはずでしたが・・・・春霞で


ブナの大木


頂上にて昼食下山開始


登山道の先々にて出会った花


[道の駅・さかきた』から
登って来た四阿屋山を眺め見る

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今日のメモ

軽快な山登りでした。
赤松林の中を松葉を踏みしめながらなるい山道。
頂にブナの原生林を見て引き返す。

思い残すこと北アルプスの全容が見えなくて残念。
4月では霞が掛かって無理なのだろう。

 

 

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東京そぞろ歩き その4

2008年04月28日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

飛ぶように売れる弁当・・・・!!

お江戸日本橋を通り過ぎて
日本銀行横に差し掛かると意外な光景を目にした。


日本銀行


日本銀行反対側歩道に陣取った弁当屋さん


コーヒーとサンドイッチの販売


弁当屋に群がる近くのサラリーマン


どんな弁当かと・・・求めた (除くワンカップ)
コロッケ、味噌汁、春雨、魚フライ、卵半切れ、芝漬け、野菜炒め、かにピラフご飯、


縄文人が弁当を食した常盤橋公園

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今日のメモ

日本銀行裏に差し掛かったのは丁度12時ころだった。
ワイシャツ姿のサラリーマンが行き交っていた。

反対側歩道にに簡易ワゴンを設置して弁当を販売している
異様な光景に出会った。にわか出店その数7軒。

たくさんの弁当をワゴンに満載、その下にも山と積んで売っていた。
見ていると付近のビルから吐き出されたサラリーマンが、
弁当に群がって買い求めて、またビルの中へ。
飛ぶように売れる500円の弁当。

一体どんな弁当・・・?購入(↑写真参照)してみた。

あたりの定食屋を偵察すると、どこのお店も行列・・そしてまた行列・・・、
コンビにでは弁当買い求める人であふれていた。

限られた時間に昼食をとらなければならない。

これでは弁当屋さんが繁盛するはず・・・と直感した。
もしかして、日銀マンも・・・?

昔を振り返った。
確か45分~60分では行列して居たら時間オーバー。


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東京そぞろ歩き  その3

2008年04月26日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

お江戸日本橋

東京オリンピックを契機に
‘日本橋’の上を高速道路が占領した。
昔の日本橋を復活(高速を地下に)・・?の話がありますがどこも財政難。
‘お江戸日本橋’
が復活するのはいつの日か?


高札場跡


↑ 日本橋


欄干と日本橋川の橋脚


↑ 獅子の彫刻?


↑ 下が日本橋川 中が日本橋 上を首都高速道路が被さる


↓ 日本道路元標

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今日のメモ

♪お江戸日本橋七つ立ち、初上がり(はつのぼり)
あぁこりゃこりゃ
行列揃えてあれわいさのさ
こちゃ高輪、夜明けの提灯消す
こちゃえ、こちゃえ

『七つ立ち』とは、明け方の4時ころであったであろう。4時といえば
どんな季節でも暗い、『高輪で提灯消す』が生きてきます。

東海道は日本橋から京都三条大橋まで125里20丁(502km)
昔の人は標準歩行が毎日50km・・の健脚が伺えますが、
14泊15日くらいで歩きとおしたという。
日本橋は道路の基点『日本道路元標』がある。

日本橋は江戸時代もっともにぎやかな地であった。
橋の両側には高札場、罪人のさらし場、近くに日本橋魚市場もあった。

日本橋川には高速の橋脚が林立し暗くよどんでいた。

 

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公害原点を歩く  (番外編)

2008年04月24日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

立て看板と新聞記事

4月23『日経新聞・夕刊』に
     次ぎの記事が掲載された。 


    

足尾の植林  ーーー あすの話題 
                             作家 立松和平

桜が散り新緑が鮮やかになってくると、私は足尾への思いを強くする。

私は子供のころ、閉山前の足尾の叔父の家に遊びに行った。
足尾の山には木がなく累々と茶褐色の岩肌が剥き出しになっていた。
樹木の乱伐や精錬所の有毒ガスによって草木が枯れ、表土が流失した。
足尾鉱毒事件は後で学校で学んだ。

源流域を保全しなければ・・・と明治期に
田中正造が立ち上がった。

氏のやり残した植林を始めたのは約13年前
「NPO法人足尾に緑を育てる会」に多くのボランティヤが植林に参加した。
私もこれに毎年参加した。

私たちが試行錯誤しながら最初に植えた木が、11mにも育ち
秋になると紅葉するほどになった。

東京のソメイヨシノが散って山桜が咲くころ
4月26(土)と27(日)に
今年も植林する。

もちろん私も行く。

                         
(要点のみを抜粋しました)


その「植樹デー」がカメラに収まっていた


13年前に植えた木であろうか・・・


足尾のソメイヨシノが満開でした
閉山後に植えたものでしょう 
(足尾環境学習館前で)

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今日のメモ

作家・立ち松和平氏が
植樹する姿をTVで何回か拝見している。
多くの人々が集まると大きな力となって
徐々にではありますが緑が増えることは嬉しいことです。
毎年ボランティヤの方たちが1500人以上集まるという。

 

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公害の原点を歩く  (Ⅲ)

2008年04月23日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

裸地化された山の芽吹き
        立ち直りつつある・・・・・

リーダー談
『20数年前に来たとき山を眺めて怖った・・・・。荒涼として
地肌をむき出しにした山がそこにあった。
その当時と比較したら山に木が、草が・・・・ホットした』
現地を見ながら説明でこう述べた。


裸地化の山肌が川の流れ出た。
昭和25年足尾ダムが建設された。


ダムの水はやがて鉱毒水となって
下流域の田畑と住民を脅かした。


山は砂防と植栽が見られる足尾の自然ですが・・・
まだまだ地肌をむき出しにした多くの山々が見られます。

 


渡良瀬ダム上流の松木川
ダムはすでに山から押し寄せた土砂で満杯


上に『緑を育てよう』の看板に『緑』のみが・・・


土留めの上段に木が生長しだした


『緑が多くなったので・・・安心した・・・』と述べたリーダー


 


等高線に沿って土留めが施されて植栽

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今日のメモ

 足尾ダム付近に、足尾郷最大の『松木村』という村があったと言う。

足尾銅山の精錬所からの排煙により
周辺の田畑や山の草木は枯れ荒廃裸地化し農作物は育たなくなった。
結果、人々の生活の糧は奪われ村は滅亡した。

現在では、国や県の緑化活動によって
徐々に回復されてきたようです。
しかし、土壌に植物が根付くのはなかなか難しく、
本来の自然が回復するのには、かなりの時間が要するようである。

一度失った自然の回復は難しい・・・!!

公害の原点を歩く(Ⅱ) もupしました。

 

 

 

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公害の原点を歩く (Ⅱ)

2008年04月23日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

荒れ果てた社宅

 


愛宕下社宅跡
足尾銅山全盛時には181世帯819人の人がこの地区に住んでたという。


愛宕下地蔵尊
生花が手向けられ掃き清められていた。


何のためか、社宅と社宅の間に高いレンガの塀があった。

 
愛宕下から100mほど離れた所にも社宅の廃墟


抗夫の方たちも眠る愛宕下斜面の墓標

 


精錬所への引込み線(廃線)

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今日のメモ

足尾精錬所から吐き出す煙が足尾の山を覆う頃、
坑道、精錬所等で働く多くの人たちがひしめき合った生活の拠点の社宅。

その社宅も廃墟となって家を覆い尽くすほどの
草木が繁茂し、ご案内のように惨めな姿をさらけ出していた。

いま、足尾銅山一連の跡地が世界遺産に向けて
準備段階に入っているとか・・・・?もし、これが
認められた暁には、
廃墟となっている社宅もその価値が俄然クローズアップされることでしょう。

社宅近辺の斜面一面に
多くの墓標が天台宗・龍蔵寺と共に
足尾精錬所を見守るように連座してるのが印象深く残った。

 


 

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公害の原点を歩く (Ⅰ)

2008年04月21日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

足尾精錬所

仕事を休んで、このツアーに参加した。
来て、見てよかった。

公害の原点
この目でシッカリと眼底に焼き付けた。


渡良瀬川右岸にある足尾精錬所


この1本の煙突が足尾の山々をハゲヤマにした。


渡良瀬川右岸崖上の工場の一部


赤錆で無残でもあり、これが日本公害の原点だ!
といわんばかりの工場跡


白い建物に『足尾精錬』・・・とかすかに読み取れる


銅独特の『緑青』が今も岩盤を染める


精錬所跡を見てきて庭に黄色い花・・・・ホット・・一息ついた。

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今日のメモ

公害の原点をこの目で!!

渡良瀬川上流・松木川沿いを歩くと、
まもなく深い谷を隔てて崖にしがみつくSF映画の廃墟のような
赤さびた建物と煙突
が見えてきた。

日本の公害の原点といわれた足尾銅山の足尾精錬所である。

北関東の遠い山肌には萌黄色のかすかな新緑の芽、
山全体が土留めのように麓から頂まで至る所に植栽工事が施してある。

荒涼とした岸の斜面におびただしい数の墓が並んでいた。
苔むしたり、傾いたりした墓石もあった。
『坑夫の墓』と書いた標識があり近くには寺もあった。

足尾銅山が発見されたのは、江戸時代のはじめ慶長15年(1610)年で、
幕府の御用銅山になった・・・と、ものの本に記してあった。

古河市兵衛が、一時衰退していた足尾銅山を再開発したのは
明治10年(1877)年。
新しい技術と近代的設備を導入し日清・日露の銅特需ブームに乗って
足尾は日本の殖産興業として発展した。

精錬所ができたのは明治17年(1844)年だが、
銅鉱石を溶かすときに生じる有害な亜硫酸ガスが山々の草木を枯らし、その鉱毒水が渡良瀬川を汚染し流域の田畑を荒廃させた。
これが代議士・田中正造が決起したいわゆる『足尾銅山鉱毒事件』である。

なぜこの様な公害の原点、廃墟のような建物を無残にも
残してあるのだろう・・・・・そんな疑問を抱いた。
実はこれが、町全体ひいては日本の大きな観光資源・歴史的な財産と
なっていることにハタと気がついた。

渡良瀬遊水池、その1・

        鉱毒の旧谷中村に立つ その2

                          (葛ハイパンフ参考に
                                   現地を見ながら記述)

後日数回に分けて掲載します。

 

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花壇造成中

2008年04月20日 | 自然  環境・自然・四季

細く長くなった庭
(避難通路)

 

試行錯誤


旧宅の庭(東側から見る)


花壇とは名ばかり避難通路
(西側から見る=↑の写真とは反対から見る)


花の苗育成中


アシタバを植えた


スミレ

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今日のメモ

ただ今花壇準備中

この場所は避難通路です。
共同住宅を併設したため2m幅の通路がないと
違法建築になります。

工事に使用した砂利や石の混入あり、花壇として造成するのは至難の業。
掘り起こし振るいに掛けて石を選別する。

現在は玉ひげ、スミレ、芝桜その他数点が植栽されていますが
試行錯誤でどう変わるか解らない。

ポットで種からも草花苗を育成中です。

 

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東京そぞろ歩き その1

2008年04月18日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

東京駅八重洲口ウオッチング

総武線から
        山手線に乗り換え


駅ごとに変わる
山手線内の電車駅案内板


社会見学の帰りか・・・中学生?
東京駅構内にて


緑は目のためによい・・・。
しばらく新幹線にもご無沙汰だ!!


新装成った大丸デパート
東京駅から八重洲通りへ続く


まもなく梅雨・・・
マネキンにも傘が。

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今日のメモ

所用があって日本橋に出かけた。
自宅と駐輪場往復、畑の作業ではあまり代わり映えがしない。

目の保養と買い物で東京駅から八重洲口から日本橋に出た。
日本の表玄関だけあって人の動きが激しい。
高島屋で過ごした後、
日本橋道路原標→日本銀行→神田駅
と街の様子をウオッチングした。

何回かに分けてupします。

↓その2 をupしました。

 

 

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東京そぞろ歩き その2

2008年04月18日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

山村御流・いけばな花展

買い物に日本橋・高島屋に向かう


八重洲の桜もすっかり緑に・・・


『 山村御流 』
デパート入り口の飾りつけ


デパート前歩道の植え込みが奇麗でした。

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今日のメモ

内祝いの買い物と、
家内が出展した「いけ花・山村御流展」が開催中というので
高島屋DSへ足を運んだ。

いけばな展は初日とあってたくさんの人で賑っていた。

出展作品は撮影禁止で
デパート前のポピーを撮影して先へ急いだ。

 

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