柴又七福神巡りで学ぶ葛飾の正月と文化
葛飾区民の参加者 & 案内=葛飾探検団員、コラボ
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企画展(葛飾区郷土と天文博物館)「家内安全、商売繁盛~厄除けと承服の縁起物」にちなんで柴又7福神を巡り江戸時代から続く民間信仰の歴史を学びます。
日時・1月20日、AM9,30~正午
集合/京成高砂駅。解散/新柴又駅。
参加者/葛飾区民参加者20名/葛飾探検団。
◎ 葛飾探検団員の会長を中心として、現場説明の高田氏が各寺で縁起やエピソードを
楽しくユーモアを交えながら語られ説明された。
40余名の大勢の為に交差点での交通事故防止のために交通整理を行い、事故の無いように努めました。
30年12,5号「かつしか]広報掲載された案内
柴又7福神とは
柴又七福神とは、寅さんで有名な東京の葛飾柴又周辺にある7つの寺院を巡るものです。
都内の殆どが七福神巡りがお寺と神社の両方を巡ることが多いのですが、柴又七福神巡りは、
すべてがお寺です。
下町の風景・風情を楽しみながら巡り、散歩感覚で回ることができました。
1、京成 高砂駅集合
博物館・堀学芸員の挨拶に始まり、葛飾探検団会長の寺島氏、現場進行役の中島氏からの諸注意が
あり7福神を目指して出発です。
(葛飾TV/j・comさんが帯同し七福神巡り一部始終を撮影)
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高砂駅
一般参加者&葛飾探検団
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京成高砂駅駅から➡新柴又駅解散
2、寿老人(観蔵寺) 天祖神社境内を抜け
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天祖神社境内を抜けて
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珍しき火の見櫓発見、 昔は火の見櫓に半鐘、現在119番
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懐かしきかな火の見櫓
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天祖神社本殿の造り
寿老人縁起
杖を突き長い顔が寿老人。長寿延命の神様です。
探検団員の説明員、高田さんの古きを交えながら、寿老人について説明された。
高田氏は根っからの葛飾人で、子供のころとは環境が全く変わってしまいましたと
現在の道路事情や住環境を、驚きの声で説明されていた。
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一般参加者Aさんの話(参加の動機)
私は(女性)、鹿児島出身で東京に住んで13年、そのうちの3年葛飾・金町に住んでいます。
葛飾は寅さんで有名、そして大きな川を配して、人情が厚い下町です。
自宅と勤め先の往復だけで、人情のまち葛飾をもうちょいと知りたく、そんな動機で参加しました。
これから先、まだまだ葛飾にお世話に成るのでよろしくお願いします。
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この道路は水道道路です。柴又2丁目付近。
真っ直ぐで全く曲りがないです。金町浄水場から、都心への水道本管が埋設されています。
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柴又八幡神社。
前方後円墳遺跡があります。毎年10月に獅子舞
が行われます
3、布袋尊(良寛寺)
復路を携え笑っている布袋尊、総てを抱擁する、和合の神様。
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良寛寺布袋様
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人の考え方が、世間の浮き沈みを左右するものです。
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京成柴又線、かって柴又参拝の人力車列車
が通っていた。
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都民の水がめ金町浄水場です。
4、 弁財天(真勝院)
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鐘楼と無縁仏
5、題経寺(毘沙門天)
正月20日とあって、帝釈天参道境内は沢山の人出でした。
高田さんの説明によれば、庚申は仕事を終え夕方から提灯を付けて詣でる人が多かったと、
幼少期を思い出すように語っていた
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帝釈天に向かう参加者&探検団員
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帝釈天境内にて高田さんの説明。
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読経寺境内の手水処。
東に江戸川が流れているためにこの地は地下水が高いです。
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門前参道にて
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庚申日に帝釈天に向かう、むかしの姿。
提灯をぶら下げて向かう姿が印象的です。
6、 万福寺(福禄寿)
この寺が7福神の中で最も新しい寺院です。かっては此処は高台(標高差10m程)ありました。その山の天辺を中心として、四国霊場88ヶ所の、石碑が沢山あり、四国まで行かなくてもここでお参りが出来たそうです。当時はそれだけ巡礼が盛んであったようです。
しかしいつの間にか山が平地になり御寺さんが建立されていました。
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万福寺境内
建物の白壁にカメラがあります。
このカメラは唯一葛飾区内のライブカメラ(中継)・≪黄色丸≫だそうです。
(葛飾・万福寺・ライブ検索)
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7、大黒天(宝生院)
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水仙が庭一杯咲き乱れていた。
浅間山噴火川流溺死者供養碑
天明3年(江戸時代)の浅間山の大噴火は関東一円に大きな被害を出しましたが、溺死者が江戸の柴又まで流れてきて供養したことは知りませんでした。歴史の重さを感じました
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浅間山噴火川流溺死者供養碑の説明
8、 恵比寿天(医王寺)
縁起
右手に釣竿を持ち、左手に鯛を抱えている。
猟衣姿の、恵比寿天は古来日本の神様で、航海や魚業の神様です。
現在は商売繁盛も司ります。
医王院山門
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柴又七福神朱印帳
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無事終了の挨拶
一般参加者、区民からの声
① 説明員の方が、昔と現在を対比しながら話されたのが、とても良かったです。
この辺はそんな景色だったのかと風景を思い出しながら聴きました。
② ゆったりと時間を掛けて歩いたので、年寄りにも安心して付いて行くことが出来ました。
有難うございました…と、感謝の言葉を述べていた。
お腹も空いて来た、終点の医王院です。
ゆったり歩いたので所要時間2,30分、約7,000歩の歩程でした。
天気良し、寒くもなく絶好の七福神巡りでした。皆さんお疲れさんでした。 (完)
OPEN
この記事は葛blog&飾探検団機関紙と併用しています。