日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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寅さん映画は、なぜ・・『柴又の街に』、誕生秘話・・・柴又発3

2020年07月13日 | 社  歴史考察

山田監督を、柴又帝釈天に案内する(早乙女勝元氏)

この出会いがなかったら寅さんは
          生まれていなかったかも?知れない!

 

 

 



わが家に訪れた、山田監督を息抜きが必要と、

酒もやらない山田さんを、歩いて10分ばかりの柴又帝釈天へ案内した。



 柴又帝釈天参道


その時の様子を監督は次のように書いている。

参道の土産物屋が並ぶ通りには、古い東京の下町の街並みと、生活が色濃く残っていた。

高木ややという団子屋で、おでんと茶飯をご馳走になった。よもぎの強い香りのする草団子と言うものを初めて食べた。何もかも珍しかった。

もし僕が早乙女さんと出会わなかったら、寅さんの故郷は葛飾柴又ではなかったであろう。

いやひょっとすると、寅さんそのものが誕生していなかったかもしれない

                                                                           (図書新聞・1994,5,14)



早乙女さんと吉田監督の食べた、茶飯とおでんの食事




 高木屋の店構え


 高木屋の団子

 

柴又発・4
興行師だった父(早乙女勝元)
興味を抱いた山田監督

 

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農業と暮らし  その1

2020年02月20日 | 社  歴史考察

昔の農道具
道具には創意と工夫が凝らされていた

 

江戸川区郷土資料館を覗きました。

熟年文化祭に行きました時、至近距離に資料館があったので覗いた。

昭和の農道具の展示がしてありました。

 


 江戸川区郷土資料館の昔の典型的な農家模型


 江戸川区一の江、名主の家(現存)
↑ の模型図に似た家でしたのでUPしました。


↑ 魚捕り等の道具

クリック拡大
貝採りのジョレン


筌(うけ)
筌(うけ)
は、魚などを捕まえる道具の一つです。水路や堀底の魚道に一晩仕掛けて、
ドジョウ、ナマズ、ウグイといった魚を捕まえました。
 ドジョウは、土用になると田圃に溯上して産卵し、土用が過ぎると川に戻ります。

筌口(うけくち)
※筌は細い竹を編んで、筌口(うけくち)を二重にしています。
中に入った魚は外に出られない仕組みです。


穀物類の精製道具

 




sinking TIME

黄色の枠内の道具
此の農具は何に使われたのでしょう。(答え、明日)

 

 

色々な道具を振り返ってみましたら、それぞれの所に細かな工夫が施されていました。

 

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阪神淡路大震災

2020年01月17日 | 社  歴史考察

1,17「刻む」「伝える」
あれから25年

 

25年前の俺(縄文人)は、5,45分ラジオで一報を知った。

NHKラジオ深夜便を引き続き聞いていた。「神戸が燃えています、地震です」一報からでした。

あれから25年が経ち、阪神淡路は復興しました。

住民の皆さんからコンセプトを募集したところ「刻む」「伝える」が決まったそうです。

17日深夜、「NHKラジオ深夜便」 は、関西発で一晩中特集報道していた。


地震対策にはいろいろと、食料・非常持ち出し・安否確認方法等いろいろ有りますが、
「家具の転倒防止・固定」だけはして置きたいものです。


燃え上がる市街地


鎮 魂


 25年後手を合わせる人達


2020コンセプト「きざむ」

報道画像からお借りしました。

お断り。
既に、「八幡神社古墳」をUPしましたが
次回へ回しました

 

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むかしはジャン~ジャン(半鐘)、今は119番

2019年01月28日 | 社  歴史考察

 時代は、常に進化する。

 

 

鐘(半鐘)の下を通り掛かり、ふと考えた。
何の鐘だろう?管理している人は?こんな所に?何のために?半鐘でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
クリック拡大

半鐘から視線を下におろしながら見ると、小さい板塀に黒字で
「第7分団 資材置き場」と看板が出ていた。あぁ・・・そうだったのか・・・と、納得した。

そうなんです。ほとんど見かけなくなった半鐘。櫓から切り離されて
資材置き場の軒先に掛けられていたのです。
屋内には消防ポンプやホースが格納されていた。


目覚しい通信機器の進化・発達で(デジタル社会、119番、110番等)一変した。
   





高砂調で見かけた火の見櫓、半鐘、サイレン。

 


都下、日野市内で見かけたサイレンの櫓

 

 この鐘を是非お聞き下さい半鐘・サイレン 
半世紀前の時代に還れました。

 

↑ 故郷、秩父市上吉田
   県道71号線の正膳寺参道標石から北へ50m、高齢者生産活動センターの西側。
   これは火の見櫓の屋根だろう

 


↑ ふるさと秩父市下吉田
   秩父市消防団吉田分署の敷地内、県道283号線の脇。ここは下吉田村戸長役場跡である。


   

 

 

 

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君が代

2018年04月11日 | 社  歴史考察

さざれ石[葛飾区・立石]

 

 

生選手が、平昌オリンピックで
メタルが取れますようにと、多くの絵馬が熊野神社に奉納された。

その立石・熊野神社に行った時に、手水所の横”さざれ石”を見つけた。
「さざれ石」とは、岐阜県春日村にある天然記念物の石であり、

なんと実在しています。さざれ石といえば・・・・・。
国歌に出てくる苔のむすまでの石のことです。

看板にも、そう書いてある。
ヘエ・・実物って、こういうのだったのか~ぁと、しげしげと眺めた。

「君が代」国歌には、様々な裏話が有ります。

漫画から詠み取った”ささやかな、つつましい”お話です。

 

古今和歌集からの国歌

 

 

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里見公園の草舎

2016年12月14日 | 社  歴史考察

 紅葉と草舎がピッタリはまった
市川国府台の紫烟草舎

 

同じ場所を前回も撮りました。

 があり、秋がなかったので紅葉と紫烟草舎です。


熊本のblogeのドンこさんの中に北原白秋の母校が掲載されています。


リンクさせてもらいました。

 

  

 

華やかに さびしき秋や 千町田の
  ほなみがすゑを 群雀立つ

紫烟草舎とは

  

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小学校の歴史変遷

2016年10月08日 | 社  歴史考察

むかしは尋常小学校から始まった。

 

 用事が有って『葛飾区郷土と天文博物館』を訪れた。
そこには、むかしの卒業証書から見た、小学校の変遷が掲示されていた。

 

     ←クリック拡大
博物館前の球形モニメント

 

卒業証書と小学校の変遷

 

 

 

小学校校令による変遷 

 

・ 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、
                                            高等小学校は国民学高等科となり、高等小学校は消滅。

     ・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、
                                             国民学校高
等科は新制中学校に改組される。

 

縄文人は、国民学校初等科1年生(昭和17年)として入学しました。 

 

 

新制中学になり仮の校舎が増設された。小学6年生の時)

いきなり学制改革がおこなわれ、新制中学校が3年制となり、校舎が不足した。
その様子をまざまざと見ていた。学校の物置が教室に変わった。

中学生になりこんな体験をした。
その物置は、トタン屋根の平屋でしたから、夏は居られないほど暑くなった。窓を開けても汗がにじんで出た。

先生が呼び掛けた。
学校の周りに生えている木の枝を切り取って、屋根を覆いましょう。

この効果も4~5日すると葉が萎れてしまい
教室は、元の暑さに戻っていた。

新制中学校が増設されたのですから、
どこの地方でも校舎不足は深刻であったと思われます。

夏の暑い熱い思い出でした。

 

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ありがとう・築地 5/②

2016年05月04日 | 社  歴史考察

築地市場の歴史考察

 築地市場が豊洲へ移転する。
では、この築地市場の設立経緯、開場は何時か、歴史について振り返ってみました。
思わぬことが分かりました。

 

築地は海軍発祥の地であった。

  明治新政府下で現在の築地五丁目に、海軍の重要機関が次々に建てられることにはじまるようです。敷地内には「賜山(しざん)」という築山がありました。ここに海軍大臣旗が掲揚され、通称「旗山(きざん)と呼ばれます。さらに海軍将校養成のための兵学校、大学校、軍医学校、経理学校などができるなど、築地は海軍発祥の地として名実共に海防の要地となりました。

 

 


   ↑ 最後の3行にこう記してある。
≪・・・・・境内にある『旗山』の碑は、日本海軍発祥の地であり、ゆかりを記した貴重な史跡である。≫

       http://www.tsukiji.or.jp/know/history/  築地市場歴史から
抜粋し、まとめたものです。

 

                                続く 「日本橋から築地へ」  2/④

                                     コメント欄は閉めています。

 

 

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奥の細道

2013年04月20日 | 社  歴史考察

一直線の細い道

およそ500Mの直線、細い路地
通勤・通学・買い物に、通いなれた道。

自宅を出てほんの少しいくと、奥の細道がある。
二人並べば一杯だ。

 

我が家ではこの路地を”奥の細道”と呼ぶ。
誰からとなく自然発生的に生まれた、ニックネームの道。

の暑い時期は、多くの木々が有り、緑陰となり風が吹き抜ける。

路上観察学なる専門分野があるそうですが、これはチョイト脇に置いといて、
人様の庭や、軒先を観察するのに面白い

芭蕉さん、チョイトお借りして便利してます。

 

☆ 細い路地 木陰の下で 汗ぬぐう 

 

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地名の歴史を調べる

2011年08月22日 | 社  歴史考察

 

域の地名に親しみを込めて


飾区に住んで40年、ふと・・・?地域の地名を考察することを思い立った。
色々の書類を見ていて、その地名に出合った時、薀蓄が分かると地域に親しを感じること間違いなし。
『名は体をあらわす』⇒人や物の名前は、その実態を示すものである。

東京国際空港というより、羽田空港と言うと
大田区の羽田沖にあり、
鳥の羽が飛び立つようなイメージで飛行機が空を飛ぶ感じが強い。
地名を調べることにより
地名と地域が結びつけ、その土地に親しみを抱けたらこの上ない。

葛飾区・奥戸

 初見は応永5年(1398)の『御厨文書』。『小田原衆所領役帳』にも見える。
奥津の転じたものといわれ、戸は津で湊、渡船場・交易港。
青戸より下流にあるので奥の意味は判らないが、
青戸側から見て沖、奥の意なのだろうか? 
中川はかつては、利根川であり舟運がとてもさかんだった。
立石と奥戸は向かい合って持ちつ持たれつの関係にあったのだろう。
だから佐倉街道にも通じている奥戸は奥戸橋東詰の湾曲部だ


本奥戸橋


葛飾区の花
本奥戸橋の両サイドの手すり


中川を走り抜ける巡回ボート


奥戸街道


奥戸天祖神社

 東京低地の地名の変化を調べると、
奥戸以外に『戸』のつく地名はこの近くに青戸、亀戸、花戸川、今戸、
の地名があります。これらを検証すると何らかの河川に
関係していることがわかります。

葛飾の地名を調べるに当たっては、
    ▲ かつしかの地名と歴史
              (葛飾区郷土と天文の博物館)
▲ かつしかの歴史
          (入本英太郎著)
            参考に致します。

おまけ 
 
葛飾シンボルマーク

コミニティマークとして使用


のびゆく葛飾(かつしか)のシンボルとして、
カタカナの「カ」と
漢字の「」の両方意味をもつデザイン。

右端に菖蒲の絵があり三本の流れがあります。これは荒川、中川、江戸川をイメージした
いかに葛飾区が川に係わっているかが現れています。

 

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