”一基の” 案内石碑「銘文」から
万葉歌碑を見学して間もなく、多摩川土手通り114 号線に出ました。
水神前交差点の下に石碑を発見した。「六郷用水取り入れ口」。
用水については葛飾区も水の町、葛西用水、水元(東用水、小岩用水)とそれぞれの用水を要し
田畑をうるおしていた。
そんな関係から用水と聞くと、興味を抱きあたりを見回したが、見当たらなかった。
PCの最新利器を活用して調べました。
水神前交差点で見た案内板
看板の中に玉翠園とあるが、これは多摩川の舟遊びなどを行った料亭である。
多摩川土手入口の水神前交差点
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goo航空写真によって六郷用水取水口が特定。
黄色の矢印は、歩いたコースで
以後、これより多摩川の清流を見ながら歩く。
江戸名所図会の『泉龍寺』,(その5)で掲載しました。
右上には六郷用水らしき水流が見られ、また左上には、前に取り上げた
兜塚(その6)も描かれている。
多摩川上流を見る
六郷用水とは
六郷用水開削以前 (多摩川誌より)
千束の池水溜と池上西谷水溜池に頼るだけの,乏しい水利状況であったため、村々の耕地はほとんどが
屋敷畑で、1村7〜8軒から10軒程度という貧しい閑村であった。(「新用水掘定之事」)その間の事情を、「北川家文書」は、「多摩川の清流有りと雖も甚だ水利に乏しく、千束の池水を灌ぎ其他2、3の溜井を導く
のみにして、稲田甚だ僅々なり。故に村民常に稗、粟、蕎麦、野米を作るに止る。故に人家稀疎にして且貧なる。」と伝えている。生活用水は湧水に頼っていたようだ。
非常に興味深い用水です。
機会が有ったら、もっと詳細にあたってみたい。