日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

過去の残像は美化され、彷徨する

2016年07月31日 | 文学  コラム・エッセイ

思い出は、愛おしく 


 

 
乳頭温泉にて


葛ハイ、斑尾高原を水芭蕉見ながら行く

 

 

後刻追加しました。

東京都知事選挙の結果が、PM8時から報道される。
気に掛りながら綴る
(7/31、19,45分)
おそらく結果が、残像としてしっかりと後世に、歴史として刻まれるであろう。

。。。。。。。。。。。。。。。

小池百合子氏(64)女性知事誕生(当選確実NHK,20,01分出口調査から)
(8/1, 6,05分記)

 政党支援がない逆境の中で当選した。
①、よく後出しジャンケンが勝つと言われるが、今回先出ジャンケンで大差をつけた。
「崖から飛び降りた気持ち」の強固な姿勢、しっかりとした政策を持って立候補した。
②、無党派と言う組織のない逆境で、無党派層、組織票の中にもかなり食い込み、大
差で勝利した。他候補は、組織にすがりつき、政策が極めて薄かった。
③、当選後の記者会見を聞いた。一つ一つ丁寧に説明し、ある部門にあっては、具体的
 な、方策を詰めているように感じた。記者の質問に具体的なことを加味しながら
歯切れよく堂々と答えていた。透明で明るい都政、情報公開,刷新政策を
早急に実施して貰いたい。

小池知事の活気あふれる政策を
1日も早く、都政に反映してもらいたい。

 

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千葉県我孫子市、布佐・新木の三大緑地を歩く, ≪番外特別編・成田線カラス部隊≫

2016年07月30日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

  電車で野菜等を運び、
    都内でお得意先で商う、”カラス部隊の元祖”

【 レポートが長文になりました。
昭和史・ニッポンの母ちゃん物語。
時間の許す方は、お読みください 】

 

  職場でJR成田線に乗車し、我孫子周辺をウオークした話をした。
緑がいっぱいで広大な住宅地で、農業も盛んでした。暮らしに伸び伸び感が見えた。
成田線は単線で30分間隔に、一本ぐらいでした。

1、  Uさんが、話に加わった
  Uさんは、成田空港公団に勤務していた関係から我孫子付近は明るく、通勤線で使ったこともあり詳しい。
『成田線は、むかしカラス部隊の元祖と言われた電車です。背中に野菜・コメ・穀類等農家で取れた産物を背負い、手に荷物を下げて電車に乗った。いわゆる”おばちゃん達”が背中にいっぱい背負って、朝早く電車で神田・上野・日暮里などの家々を訪ねて商いをした』
と説明してくれました。

  Uさんは、通勤で成田線や京成線を利用したことから車内のおばさんたちの状況を知っていた。
私も早番勤務の時、JR総武線に乗ると、黒い大きな風呂敷で籠を覆い、手に荷物で運ぶおばちゃん達の姿を見た。この人達何だろう・・・・・・一瞬思った??
確か、昭和35~8年くらいの頃であった。


 2、「故きを温ねて新しきを知る」
  この文言は、私のポリシーです。心の底辺に渦巻いています。
あまりにも懐かしきカラス部隊の語彙に触れ興奮した。
HPをフルに利用してレポートを作成した。  ①~⑥まではHPからお借りしました。

      
       成田線路線図    

 

 3、電車内のカラス部隊 

 早朝から重い荷物を背負い、電車に乗って東京へ向かう人々の群がある。
カラス部隊と言われた行商のおばちゃん達。
大正12年9月の関東大震災のとき、救援物資を搬入するため千葉県の農家の主婦たちが支援活動に乗り出した。
この震災の時に、自家製の野菜や卵を持って見舞いに行ったのが、この行商の始まりと言われている。
 

 


              ①

  安食駅4時58分の一番電車の乗り込み、お得意様に売りさばき、完売になった10時すぎには空になった籠の上下を重ねて、小さくまとめ帰り支度をする。
帰りの電車では通路に新聞紙を敷き、その上に籠を置き、手帳に売上などのメモをした後は眠っていく。12時過ぎに安食駅に着き家路へと急ぐ


            ②
 最初の野菜行商の始まりの頃の社内の様子です。

 


             ③
  
 社内での場所も決まり、東京へ向かう。


             ④ 
竹籠を何段にも積む。帰りは小さく重ねてが少なくなる。

          (出典①②③④・東京ベイ船橋ビビットから抜粋)

4、行商専用列車の廃止

  最も行商が盛んだった1955年(昭和30年)から1960年ごろは、国鉄成田線で 2800人、京成線で 2000人を数え,1日2回の往復し東京の客からは、千葉のおばちゃん(千葉のおばさん)として親しまれる。  だが近年は、高齢化とともに利用者が減少し,1日20人程度になって、2013年(平成25年)3月末で行商専用車両は廃止された.

  当時、常盤、成田両線は普通でさえ通勤や通学の増加で混雑した。それに加えて行商人が乗り込む。そして、それぞれの人が得意先の希望を満たすために、車内で行商人同士の売買や、物々交換がなされた。これが大荷物とともに一般の乗客のひんしゅくを買ったため、改善を求められた。


                 ⑤ 
 湖北駅のホームにさび付いた鋼鉄製の棚が七つ残っている。
縦30センチ、横3メートル。成田線経由で東京方面に行商に出た女性たちが、
重い荷物を下ろした荷物台だ一息つきながら休んだ。


  ⑥ 今のも残っているカラス部隊の休憩所。

               (出典⑤⑥・行商人用荷物台より抜粋) 

             

       これ ↓ を見ればすべてがわかる
                   行商のおばちゃんクリック動画
                                千葉のおばちゃん&当時の毎日ニュース2本立。

 

  5、  現在の成田線周辺、布佐駅


                  布佐駅前


       布佐駅から新木駅方向を見る。鉄道は単線。およそ30分に一本の電車でした。

 


           布佐駅前に立ち並ぶ集合住宅。


          平和台高級住宅地、農地が宅地化されて家が建つ

 

 6、  カラス部隊を最後に見かけたとき
  つい2年ほど前、京成高砂駅車掌区建物横の踏み切を渡った時でした。所用で、駅近辺に出かけたときのこと。
建物の入り口広場で、野菜や切り餅を売っていたおばさんに出会った。
懐かしさのあまりお餅を5つ買い求めた。
カラス部隊の行商は、平成25年に廃止とあり、風呂敷を背負った群れは見られない。
 カラス部隊の名残であったかもしれない。

 7、書き終えて感じた事

  書き終えて感じたことは、戦後の日本を切り開いてきたのは♀・女性である!!と言っても過言ではない。すべての画像に映し出されていたのは、たくましい・生きる姿の女性の顔でした
    ”背中に50kg世の荷物を背負い、両手で運ぶ姿、
     まさにニッポンの母ちゃん
でした。
 
  昭和を振り返るとき、このような底辺にうごめいた多くの女性がいたことを決して忘れてはならない。今こうして物はあふれ、贅沢三昧、平和ボケし怠惰に流れ過ぎている現在の世の中に、どう立ち向かっていけばよいのか迷路にハマったような気がしてならない。
 温故知新、古き時代から、さわやかな緑の芽を見たような思いに駆られ、身を引き締めながら少ない人生を歩んでいきたい。
  お世話になりました関係向きのHPさん、有難うございました。  

 

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秩父連山 & 秩父盆地

2016年07月28日 | 文学  コラム・エッセイ

≪江戸の文化の吹き溜まり≫ 

 
秩父市大滝、秩父連山

 

 

 

 

 

 

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千葉県我孫子市、布佐・新木の三大緑地を歩く  その4(完)

2016年07月26日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

ヤーコン & 家庭菜園を楽しむ方々

 

  道路わきの家庭菜園?楽しんでいる方に出会った(♂1、♀2)

勢いよく伸びる大きな葉っぱ「これ なんだろう? 野菜!? しっかりした茎植物

ですこと・・」立ち止まりながら雑談にふけた。

背の高いがっしりした髭の小父さんが言葉を挟んだ。


「これは、ヤーコンと言って、外国から入ってきた野菜です」と口火を切った。

植えて置けば、たちまち大きくなり、ダリヤのような芋を付けます。

我々に、話しかけて答えてくれた。
私は、数年前作ったので、ヤーコンと直感した。
料理・実用的な価値はあまりなかったと…・記憶がよみがえった。

  
チョイと見ただけですが、相当の広い畑!いろいろな野菜が植えられているようで、
小さな耕運機を使わなくてわ、重労働であろう。


3人が菜園を楽しみながら、野菜を育てている様子。
フジの会36名の隊列を見る笑顔から伺えた。

 

 
縄文人もヤーコンを作りました。蔵出し画像です。
珍しさ半分で栽培しましたが、実用性(利用価値)がなく2年ばかしで止めました。

 

ヤーコン堀りと 栽培方法

http://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/eb6209a504b0597e8c24781e36b290f5

 

コメント欄は閉めています。
いつもお越しくださって有難うございます。

 

 

 

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千葉県我孫子市、布佐・新木の三大緑地を歩く  その3

2016年07月26日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

目を楽しませてもらった、花や植物

 

珍木、名花があると、36人の眼、いや72の瞳が輝く。

”あれ、それ、これ”とお喋りが続き、あれは『カンナの花よ……』と、
遠くを眺めながら雑談は、落ち着く。

そんなこんなをピックアップしました。 

    
     ざくろ 、成田線に覆いかぶさるような大木。  いずれも宮の森公園にて。
アッツ~~実がなっている!花が可愛いのよね…とつぶやく。


布施小学校近くで見かけた、”むべ”の実 


森に囲まれて建つ、農家の佇まい、県道脇のカンナの花。

ここでちょいとストップ、シンキングタイム!!

竹林が枯れた!! 竹に花が咲いたり枯れたりすると不吉な予感(昔人)。
竹は、60年いや100年に一度花が咲いたり枯れたりするという。

人間の一生の内で、あまり見られない。
まり異常気象や人間の干渉などにより、自然界のバランスが大きく崩れるらしいと

言われています。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1384425.html

 


ピーマン、ナス、トマトがいっぱい鈴なりで農家の人の丹精が伺えた。
車や机が運び込まれて、イベントの準備か?


他人の庭をそっと覗き見、
ノウゼンカズラが松と調和して咲いていた。


Yさん、栗羊羹美味しかったです。

 

は ① 計画する楽しみ
        ② 現地で見る楽しみ
                       ③ 帰ってから振り替える(反省と整理)楽しみ
を心がけています。
パソコンに向かって③が進行中です。

 

 

 

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千葉県我孫子市、布佐・新木の三大緑地を歩く  その2

2016年07月25日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

宮の森公園を行く&気象台記念公園で憩う 
            緑がいっぱい 、芝生の広さに圧倒される  

                                                

生が一面に広いなぁ~、遊ぶ人々が伸び伸びしていました。

 


歩くコースそして我孫子市の生い立ちについて説明がありました。
綿密に調べるリーダーです、一つ一つ説明を・・して頂きました。


宮の森公園の中にある沼です。


先頭を行くリーダー& Yさん。
敷き詰めら管理が行き届い建芝生が眩しい。


芝生の中をさっそうと生きフジ会の人々。

 
公園でボールに遊ぶ若者

 

気象台記念公園

びっしりと敷き詰められた芝生が広大に広がっていました。
ゆったりのんびりの、1時間の昼食時間でした。

 

 


家族の語らい


行きつく先は松林の大木


♬、この木何の木,気になる木…です。


自転車の練習中


バットを振っている女の子は、自転車練習中と同少女じです。

 

コメント欄は閉めています。 

 

 

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千葉県我孫子市、布佐・新木の三大緑地を歩く その1

2016年07月24日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

天気良し・緑いっぱい、ウオーキング最高

クリック拡大・詳細は下欄  蜂の巣、名前分かりました。

 

我孫子には、「いろいろ八景歩き」コースがあります。
三大緑地コース①宮の森公園、②布佐南公園、③気象台公園を歩きました。

列の後方で、住むなら郊外ですね!!空気はいいし、緑がいっぱい
…と、ささやく声が聞こえた。

← クリック拡大

出発=布佐駅 →  到着=新木駅
 4,5kmコースゆったり歩きました。

 


布佐駅です。駅前は集合住宅11建てが林立し、商店はほんの数軒。
シャッターが閉まっていたので、そんな気がしたのかな?・・・・。


宮の森公園の桜並木を行く、フジの会一行36名。


宮の森公園の芝生、久しぶりに見る緑いっぱい。

    
   布佐小学校の玄関。御隣さんの女性が、        消防署の訓練塔
   私の主人この学校卒業生!と声をかけて来た。  

   

 

コガタスズメバチ ⇔ 調べました、クリック詳細。


気象台公園にて  セミ取り、 都内ではこんな光景は見られない。


この木何の木、気になる木   CMを思い出し、思わず口づさぶ。
すると隣人が、日立のコマーシャル・・と口を添える。


気象台公園の反対(森の奥)に行ってみました。
眼下は広がる住宅地(新木野住宅地)でした。

 
アメダス送信装置。


アメダスの説明版

 

参考資料
こんな観測計もあるそうです。

 

 

情報は早い方がよい。早速upしました。

 

 

 

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風鈴の音

2016年07月24日 | 文学  五行歌

 葡萄そろそろ食べごろ・・・かな。

 

今年は、ことのほか豊作です。

仕事の合間に、息抜きをしながら皆さん共々、手入れをしています。

 

☆ 風鈴のリンリンリンと風涼し 

 

 

 

 

コメ欄は閉めています。

 

 

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帝釈道・国分道(新宿地蔵尊群~柴又帝釈天まで)

2016年07月23日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

国分道の道筋

水戸街道横断~新宿交通公園前(小岩用水跡を渡る)~柴又憩い館~
                            古録天神社~八幡神社~帝釈天

 柴又帝釈天・事前勉強会
この勉強会が、立石道と、国分道の出発点でした。

 


 黄色い○が13体石仏群           の線が国分道です。


帝釈道道標
 

     
          13体石仏群                       記念碑

 

 金町~新小岩貨物線踏切があります




水戸街道を横断します   亀有警察署前交差点


新宿交通公園の前で、小岩用水とドッキングします。


小岩用水と別れて左に曲がります。


柴又用水跡です。

幻の用水路、別名[タモリ道


柴又憩い交流館前



 古録天神社前

 


八幡神社湧き金町線の踏切

 

京成金町線  踏切を渡ります。

むかしは帝釈天の参拝に使った、おっぺし電車です。

 

   
   柴又帝釈天参道入り口です。               参道を柴又用水が横切っていた。

  

 

柴又帝釈天到着

 

 

 

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陸前浜街道(現・水戸街道)の新宿の宿場町(葛飾)

2016年07月22日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

 古地図から見た昔の新宿宿場町と今の街

甲州街道に新宿(しんじゅく)が有りますが、
葛飾・陸前浜街道(水戸街道)の宿は新宿(にいじゅく)と呼ぶ。

かつしか、いろはカルタ

 

    

江戸時代の新宿(にいじく)は宿場で、浜街道と佐倉の両街道の分岐点。
「枡形」の道の両側に中川屋、藤や、亀屋などの旅籠や茶店が立ち並んでいた。
甲州街道の「内藤新宿」より古い宿場町である

 

 
新宿・渡し・追分碑・地蔵尊付近概略図

                 ☆  成田街道(佐倉道)→市川の渡しを通り成田山へ参拝
     ☆  帝釈道(国分道)→柴又帝釈天へ参拝
は此処からが街道の起点

 

古地図から見た新宿の宿場

 

 

明治38年・南葛飾郡と呼ばれた当時絵図(狩野栄一氏から提供され地図) 
撮影技術が悪く地図の価値が、全くありません。申し訳ない。

 
新宿渡し名所絵図


嘘のようなホントの話

明治30年頃、常磐線の金町駅を設置する話が持ち上がった。
すると大反対する住民が沢山居ました。
反対する住民は、新宿渡しの関係者、宿場町の関係者であったと言う。

この町を人が通らなくなって、街がさびれてしまうと言う
ホントの話です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    

中川橋付近(新宿の渡しが有った場所)の現在の様子


中川橋東詰の様子(上3枚)

 

現在の新宿2丁目(宿場町)付近

「枡形」の道の両側に旅籠や茶店が立ち並んでいた。
街道の裏手には、宝蓮寺、浄心寺があり、
地図の上から見ると、大きな池が有ったことが伺える。

     
真っ直ぐは日枝神社、角から2軒目がお煎餅や                 保育園入り口

  
日枝神社

 


面影を残す金阿弥橋

 

 陸前浜街道(水戸道)と佐倉道の分岐

 

adumaya

正面に「右 なりたちば寺道」「左 水戸街道」とあり、
右側面に「さくらミち」、左側面に「安永六(1777)丁酉年八月吉日 
石橋供養塔」と刻んであります。

約5年の歳月をかけて、この付近に27箇所の石橋を架けたので、その供養のため不動尊と、供養塔を兼ねた道標を建てたのだと言います。葛飾区の指定文化財となっていました。

この付近には、水元からの用水路が流れており橋が無ければ、
行き来することはできない。
27ヶ所の橋はそんな状況から生まれたのであろう。


この場所が、水戸道と佐倉道の分岐点でした。交通量の激しい水戸街道を横切ると、これがと思うほどの狭い佐倉道が、ほぼ南方向へ続きます。  (旧・成田街道を歩くHPから)


残念なことに、ここのお蕎麦屋さんと、石標が取り払われて
空き地になっています。石標は博物館に保管されています)

 

  

地蔵尊付近・陸前浜街道と帝釈道の分岐

 


沢山の石像が有ります。1つ1つのそれぞれ建立の価値が有るのでしょう。
大きな松が有り日影となって、憩いの場所です。


                             帝釈道(国分道)の起点

 

 帝釈道(国分道)の道標を調べに行きましたら、
やはり
「枡形」の道の宿場を見ない訳にはいかなくなりました。

そんなことから、記事の分量が多くなりました。

 

 

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