和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

生きる。

2007-12-03 | Weblog
今年の夏は暑かったですね。本を読めなかったので、詩でもと思って、何げなく拾い読みしたのが伊東静雄の詩集でした。読めてよかった。ということで、読んだ後は、何の気なしに活字に伊東静雄の名があったりすると、気になります。
東京新聞2007年12月2日読書欄の「愛蔵書の理由(わけ)」という連載(?)に渡辺京二さん(1930年生まれ)が書いておりました。題して「生きるため必要な詩」。「伊東静雄詩集ほか」とあります。渡辺京二さんといえば、読んでないのですが、「逝きし世の面影」の著者。その新聞の短文の最後を引用しておきましょう。

「自分に詩才がないことは数年でわかった。戦後詩はついに縁のない世界だった。ただひとり吉本隆明の詩を除いて。それでも生きるには【詩】は必要なので、ひそかに一冊の詩集がいつも心にあった。『伊東静雄詩集』である。岩波文庫版は解説がすごいが、古びた創元選書版を手にすることが多い。この方が活字が大きくてちゃんと読んだ気になる。むろん私だけのことだけれど、日本近代が産んだ最高の詩と信じながら。」


ちょうど、この夏。伊東静雄詩集を読んで、12月にはいったら、それを「むろん私だけのことだけれど、日本近代が産んだ最高の詩と信じながら」という方がおられると知る。これも今年の夏の暑さのおかげかもしれません。
それにしても、「ひそかに一冊の詩集」「最高の詩と信じながら」というのは素晴らしいですね。私は浮気者で、そこまで伊東静雄をいいとは思わないのでした。けれども、それは恐らく私が間違っているのでしょう。また機会をみて伊東静雄を読み直してみたいと思います。そうだなあ。いつか「伊東静雄研究」という古本を買って読んでみたいのでした。いつか(笑)。


(ちなみに、皆さんひそかにこの人の詩集を読んでるらしく、新刊書店では伊東静雄詩集は手に入りません。今は古本でしか買えないようです。袋小路だといわれる現代詩の状況の薄皮をはがすのは、ここいらあたりからでしょうか?  【失礼しました。思潮社の現代詩文庫で買えるようです】)
コメント
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