岩波新書の「沖縄ノート」が気になります。
朝日新聞(2007年11月20日)の大江健三郎連載「定義集」にこんな箇所。
「私に先だって証言された原告赤松秀一氏は、『沖縄ノート』のことを知ったのは曽野氏の著書をつうじてであり、『沖縄ノート』を入手はしたが、飛び飛びにしか読んでいない、と明言されました。もうひとりの原告梅沢裕氏が怒りを覚えられたのも、『沖縄ノート』を直接読まれてというより『ある神話の背景』に導かれてと見るのが妥当に思えます。」
大江健三郎さんは、原告が「沖縄ノート」を読んでなくて、曽野綾子さんの本を読んでいるのが気に入らないようなのです。作家としては、まあ、しかたないですよね。
面白いことに、呉智英さんが「『沖縄ノート』を読んでみた。」と書いておりました。産経新聞2007年12月1日「断」のコラムです。それが注目の指摘なので、長さを厭わず引用してみます。
「第九章にこうある。沖縄住民に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は1970年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは『25年ぶりの者と生き残りの犠牲者の再会』であった。自決強制の有無の検証は私の任ではない。私が驚いたのは虐殺者(大江の見解の)を者になぞらえていることだ。これ、いつから解禁になったのか。虐殺をになぞらえようものなら許すべからざる差別表現として解放同盟と屠場労組の苛烈な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬ者はない。1982年、俳優座のブレヒト原作『場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上演は困難を極めた。これについて解放同盟などは『だれだれの作品だから差別はないと【神格化】したものの考え方を一掃したい』と言明した。また1989年には『沖縄ノート』と同じ岩波新書の『報道写真家』(桑原史成)の中の『戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜のと同じような感覚になる』という記述が問題にされ、回収処分となった。だが『沖縄ノート』は一度も糾弾されずに今も出版され続けている。大江健三郎に限ってなぜ糾弾から免責されるのか。大江健三郎のみ【神格化】される理由は何か。かくも悪質な差別がなぜ放置されているのか。知らなかったと言うのなら、それは許す。だが、今知ったはずだ。岩波書店、解放同盟にはぜひ説明していただきたい。」
大江健三郎さんは読まれていないのだ。解放連盟からも読まれていないことに、岩波書店でも読まれていない。そうなのだ。赤松秀一さんや梅沢裕さんばかりを挙げるべきかどうか、もっと他にも。
もうひとつ、怒鳴った大江さんを紹介しておきましょう。
「WILL」2008年1月号の曽野綾子さんの文の中にでてきます(p61)
「以前に私は大江氏に、『軍側でまとめた【陣中日誌】というものが手に入ったのですが、お送りしましょうか』という電話をかけたことがあります。私にとっては『右でも左でも資料は資料』だったからです。・・・その時のことをよく覚えていますが、【陣中日誌】が要りますか、という私の問いに、大江氏は、私が信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴ったのです。その一言で、私は大江氏は自分に不都合な資料は読まない人だとわかり、以後、大江氏との一切の関係を断ちました。」
ところで、大江健三郎は曽野綾子著「ある神話の背景――沖縄・渡嘉敷島の集団自決」を読まれているでしょうね。怒鳴った大江さんは、読了した大江さんじゃないですか。
裁判での証言のことでしょう(その大江証言全文を読みたいなあ。どなたかご存知ありませんか)。大江氏は朝日新聞の「定義集」(11月20日)に「私は、曽野綾子氏の立論が、テクストの誤読によるものであることを説明しました。」とあります。
うん。テキスト「沖縄ノート」を読まなくちゃ。
この話題についていけないなあ。
インフルエンザの予防接種よろしく、もう曽野さんの名著は読んでおります。
ああ、それから、蛇足なのですが、朝日新聞の定義集(11月20日)に福田美蘭さんの挿絵が描かれているのでした。福田さんの痛ましい描きぶりに、普段の福田さんの絵の自由な雰囲気がまるでないのを悲しみます。まるで悲惨の符合だけを描きこんでいるようなのが痛々しい気分の絵です。福田さんも「沖縄ノート」なんてちゃんと読む暇などなかったのだろうなあと、かってに想像するのでした(間違ったらゴメン)まして、曽野綾子氏の名著を比較することまで、絵かきさんに要求するのは酷でしょう。ごちゃごちゃした絵は、ちょうど途中で放り投げたように岩波新書が絵の真ん中にページをひらいて浮いております。
朝日新聞(2007年11月20日)の大江健三郎連載「定義集」にこんな箇所。
「私に先だって証言された原告赤松秀一氏は、『沖縄ノート』のことを知ったのは曽野氏の著書をつうじてであり、『沖縄ノート』を入手はしたが、飛び飛びにしか読んでいない、と明言されました。もうひとりの原告梅沢裕氏が怒りを覚えられたのも、『沖縄ノート』を直接読まれてというより『ある神話の背景』に導かれてと見るのが妥当に思えます。」
大江健三郎さんは、原告が「沖縄ノート」を読んでなくて、曽野綾子さんの本を読んでいるのが気に入らないようなのです。作家としては、まあ、しかたないですよね。
面白いことに、呉智英さんが「『沖縄ノート』を読んでみた。」と書いておりました。産経新聞2007年12月1日「断」のコラムです。それが注目の指摘なので、長さを厭わず引用してみます。
「第九章にこうある。沖縄住民に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は1970年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは『25年ぶりの者と生き残りの犠牲者の再会』であった。自決強制の有無の検証は私の任ではない。私が驚いたのは虐殺者(大江の見解の)を者になぞらえていることだ。これ、いつから解禁になったのか。虐殺をになぞらえようものなら許すべからざる差別表現として解放同盟と屠場労組の苛烈な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬ者はない。1982年、俳優座のブレヒト原作『場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上演は困難を極めた。これについて解放同盟などは『だれだれの作品だから差別はないと【神格化】したものの考え方を一掃したい』と言明した。また1989年には『沖縄ノート』と同じ岩波新書の『報道写真家』(桑原史成)の中の『戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜のと同じような感覚になる』という記述が問題にされ、回収処分となった。だが『沖縄ノート』は一度も糾弾されずに今も出版され続けている。大江健三郎に限ってなぜ糾弾から免責されるのか。大江健三郎のみ【神格化】される理由は何か。かくも悪質な差別がなぜ放置されているのか。知らなかったと言うのなら、それは許す。だが、今知ったはずだ。岩波書店、解放同盟にはぜひ説明していただきたい。」
大江健三郎さんは読まれていないのだ。解放連盟からも読まれていないことに、岩波書店でも読まれていない。そうなのだ。赤松秀一さんや梅沢裕さんばかりを挙げるべきかどうか、もっと他にも。
もうひとつ、怒鳴った大江さんを紹介しておきましょう。
「WILL」2008年1月号の曽野綾子さんの文の中にでてきます(p61)
「以前に私は大江氏に、『軍側でまとめた【陣中日誌】というものが手に入ったのですが、お送りしましょうか』という電話をかけたことがあります。私にとっては『右でも左でも資料は資料』だったからです。・・・その時のことをよく覚えていますが、【陣中日誌】が要りますか、という私の問いに、大江氏は、私が信じられないような激しさで『要りません!』と怒鳴ったのです。その一言で、私は大江氏は自分に不都合な資料は読まない人だとわかり、以後、大江氏との一切の関係を断ちました。」
ところで、大江健三郎は曽野綾子著「ある神話の背景――沖縄・渡嘉敷島の集団自決」を読まれているでしょうね。怒鳴った大江さんは、読了した大江さんじゃないですか。
裁判での証言のことでしょう(その大江証言全文を読みたいなあ。どなたかご存知ありませんか)。大江氏は朝日新聞の「定義集」(11月20日)に「私は、曽野綾子氏の立論が、テクストの誤読によるものであることを説明しました。」とあります。
うん。テキスト「沖縄ノート」を読まなくちゃ。
この話題についていけないなあ。
インフルエンザの予防接種よろしく、もう曽野さんの名著は読んでおります。
ああ、それから、蛇足なのですが、朝日新聞の定義集(11月20日)に福田美蘭さんの挿絵が描かれているのでした。福田さんの痛ましい描きぶりに、普段の福田さんの絵の自由な雰囲気がまるでないのを悲しみます。まるで悲惨の符合だけを描きこんでいるようなのが痛々しい気分の絵です。福田さんも「沖縄ノート」なんてちゃんと読む暇などなかったのだろうなあと、かってに想像するのでした(間違ったらゴメン)まして、曽野綾子氏の名著を比較することまで、絵かきさんに要求するのは酷でしょう。ごちゃごちゃした絵は、ちょうど途中で放り投げたように岩波新書が絵の真ん中にページをひらいて浮いております。