梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)に、カードに書き込むことで見えてくる世界を語った箇所があります。一読忘れられない言葉でした。「わたしたちにはいつも、無限の世界とのつながりを心のささえにしているようなところがあるらしい。カードは、その幻想をこわしてしまうのである。無限にゆたかであるはずの、わたしたちの知識や思想を、貧弱な物量の形にかえて、われわれの目のまえにつきつけてしまうのである。カードをつかうには、有限性に対する恐怖にうちかつだけの、精神の強度が必要である。」(p61~62)
じつは、谷沢永一著「疲れない生き方」(PHP研究所)を読んでの感想で、この梅棹さんの言葉が思い浮かびました。わたしたちのまわりには「有限性に対する恐怖」や「精神の強度」を忘れさせるような気楽で快い幻想言葉がゴロゴロしております。いざ、それらの言葉を使って自分が喋り始めると、間違いなく陥る落し穴があるのでした。それを谷沢氏は丁寧に教えております。
それをここに並べてみたいと思います。先ず最初にここを引用してから、
「人間の成長過程は、『自分には何ができないか』を探知して、ひとつずつあきらめていく道行きです。あきらめを重ねていくのが年齢を重ねるという意味です。就職時代、あるいは結婚年代に達した時など、ある年齢までに人間は実にたくさんのことをあきらめてきたはずです。そのことを大人たちはみんな忘れがちです。」(p110)
「たくさんの言葉を知るのは結構なことです。決して悪いことではない。けれども、変な言葉に引っかかり、それが固定観念になって頭の中に住み着いてしまうと不幸です。世間で年中いわれている、そういう言葉を鵜呑みにしない用心深さが必要なのです。」(p18)
「世の中ではしばしば『100パーセントの自由と平等』を前提とした心地よい言葉が語られますが、それらは人を騙す言葉です。その手の甘言に、耳を傾け、心を奪われると、完全なわがまま勝手を求める人間になってしまいます。人間にとって100パーセントの自由、100パーセントの平等ということは金輪際あり得ない。実態を冷静に認識し、『人間は100パーセント自由奔放に生きられるという条件のもとに生まれたのではない』という立地条件を忘れてはなりません。」(p128)
「成熟伝説という囁きは、何としても若い時に、自分の意識の中で打破しておくべきだと思います。これは人を怠けさせる悪い作用のほうがはるかに強いからです。いずれ自分は何事も見通しがきくような境地に達する筈であると半ば思い込んで、二十代、三十代を無駄に過ごした人を私はたくさん見てきました。その人たちが五十、六十になって急に内容が充実した例は見たことがありません。そんな脱皮はあり得ないのです。」(p22)
「若い時、できることはその年齢でやってしまうことが大事です。私自身、『まだ未熟だから』と思ってやらずに先送りし、後になって後悔したことがあります。・・『今、それをそのまま書いたら、書き方が幼稚だし、ボキャブラリーが乏しいから、文脈が整然としていないものになるだろう。もうちょっと技術を身につけてから文章にしよう』という気持ちが、自分で計画したわけではないけれども、無意識のうちに生じて行動を控えてしまった。ところが、実行しないでいると、肝心なアイデアの生命力がなくなってしまうし、たとえば二十歳頃に『こうではないか』と思ったことなどは、三十代になった時分には忘れていたりします。とにかく、自分がこうと思った時に、それを何らかの形で人に語り、あるいは物に書くといったように、『外に出す』ということは絶対にためらってはいけません。アイデアそのものが勝手に成熟したり、内容が濃密になったりする醗酵は、人間の精神生活において起こり得ないのです。・・・『成熟伝説』に惑わされてはいけません。たとえアイデアを下手くそにしか表現できなくてもまず『外に出す』べきです。もし、そのアイデアが評価されなかったとしても、それは表現が稚拙だからでなく、初めからその程度の水準だったという場合が多いのです。ただ、自分では素晴らしいと思ったアイデアは、実は誠にお粗末なアイデアだったとしても、それは二度と訪れてくれない賓客(まろうど)でもあります。自惚れを取り去って『今、これが自分のすべてである』という自覚を冷静に見つめ、今やりたいことは今やる。・・」(p30~31)
ついつい引用していると長くなります。今度は、ちょいと意味が通じなくても、もう少し端折って短く引用していきます。
「新聞やテレビが言っている内容はすぐに信用してはなりません。これは若い時に必ず心得ておくべきことです。」(p62)
「新聞があるだけでテレビのない時代に、外交問題の厄介なことを将棋の名人に聞くというバカな習慣はありませんでした。・・・今はテレビに映ることが偉い人の象徴であるという調子になりました。日本史上、芸能人がこれほど大きな顔をして、威張っている時代はいまだかつてなかったと思います。」(p64)
「現代日本は本当のこと、みんなが薄々感じていることを表現してはならないという、厳しい言論統制の時代に入っています。・・あとは、これからの若い人たちがそれを魔に受けないという心の鍛錬をわずかでも経てくれることを、願うばかりです。」(p65)
「自分の好みは癖にしか過ぎないと思っている人が本当の洗練された個性の持ち主です。そうでなく使われる『個性』という言葉は、脅迫言辞、脅かし言葉なのです。」(p72)
「他人が使う場合には妥当であるけれども、自分に対して使う場合は穏当でないという言葉が、日本語にはたくさんあります。その使い分けができている人が世馴れている人です。」(p76)
じつは、谷沢永一著「疲れない生き方」(PHP研究所)を読んでの感想で、この梅棹さんの言葉が思い浮かびました。わたしたちのまわりには「有限性に対する恐怖」や「精神の強度」を忘れさせるような気楽で快い幻想言葉がゴロゴロしております。いざ、それらの言葉を使って自分が喋り始めると、間違いなく陥る落し穴があるのでした。それを谷沢氏は丁寧に教えております。
それをここに並べてみたいと思います。先ず最初にここを引用してから、
「人間の成長過程は、『自分には何ができないか』を探知して、ひとつずつあきらめていく道行きです。あきらめを重ねていくのが年齢を重ねるという意味です。就職時代、あるいは結婚年代に達した時など、ある年齢までに人間は実にたくさんのことをあきらめてきたはずです。そのことを大人たちはみんな忘れがちです。」(p110)
「たくさんの言葉を知るのは結構なことです。決して悪いことではない。けれども、変な言葉に引っかかり、それが固定観念になって頭の中に住み着いてしまうと不幸です。世間で年中いわれている、そういう言葉を鵜呑みにしない用心深さが必要なのです。」(p18)
「世の中ではしばしば『100パーセントの自由と平等』を前提とした心地よい言葉が語られますが、それらは人を騙す言葉です。その手の甘言に、耳を傾け、心を奪われると、完全なわがまま勝手を求める人間になってしまいます。人間にとって100パーセントの自由、100パーセントの平等ということは金輪際あり得ない。実態を冷静に認識し、『人間は100パーセント自由奔放に生きられるという条件のもとに生まれたのではない』という立地条件を忘れてはなりません。」(p128)
「成熟伝説という囁きは、何としても若い時に、自分の意識の中で打破しておくべきだと思います。これは人を怠けさせる悪い作用のほうがはるかに強いからです。いずれ自分は何事も見通しがきくような境地に達する筈であると半ば思い込んで、二十代、三十代を無駄に過ごした人を私はたくさん見てきました。その人たちが五十、六十になって急に内容が充実した例は見たことがありません。そんな脱皮はあり得ないのです。」(p22)
「若い時、できることはその年齢でやってしまうことが大事です。私自身、『まだ未熟だから』と思ってやらずに先送りし、後になって後悔したことがあります。・・『今、それをそのまま書いたら、書き方が幼稚だし、ボキャブラリーが乏しいから、文脈が整然としていないものになるだろう。もうちょっと技術を身につけてから文章にしよう』という気持ちが、自分で計画したわけではないけれども、無意識のうちに生じて行動を控えてしまった。ところが、実行しないでいると、肝心なアイデアの生命力がなくなってしまうし、たとえば二十歳頃に『こうではないか』と思ったことなどは、三十代になった時分には忘れていたりします。とにかく、自分がこうと思った時に、それを何らかの形で人に語り、あるいは物に書くといったように、『外に出す』ということは絶対にためらってはいけません。アイデアそのものが勝手に成熟したり、内容が濃密になったりする醗酵は、人間の精神生活において起こり得ないのです。・・・『成熟伝説』に惑わされてはいけません。たとえアイデアを下手くそにしか表現できなくてもまず『外に出す』べきです。もし、そのアイデアが評価されなかったとしても、それは表現が稚拙だからでなく、初めからその程度の水準だったという場合が多いのです。ただ、自分では素晴らしいと思ったアイデアは、実は誠にお粗末なアイデアだったとしても、それは二度と訪れてくれない賓客(まろうど)でもあります。自惚れを取り去って『今、これが自分のすべてである』という自覚を冷静に見つめ、今やりたいことは今やる。・・」(p30~31)
ついつい引用していると長くなります。今度は、ちょいと意味が通じなくても、もう少し端折って短く引用していきます。
「新聞やテレビが言っている内容はすぐに信用してはなりません。これは若い時に必ず心得ておくべきことです。」(p62)
「新聞があるだけでテレビのない時代に、外交問題の厄介なことを将棋の名人に聞くというバカな習慣はありませんでした。・・・今はテレビに映ることが偉い人の象徴であるという調子になりました。日本史上、芸能人がこれほど大きな顔をして、威張っている時代はいまだかつてなかったと思います。」(p64)
「現代日本は本当のこと、みんなが薄々感じていることを表現してはならないという、厳しい言論統制の時代に入っています。・・あとは、これからの若い人たちがそれを魔に受けないという心の鍛錬をわずかでも経てくれることを、願うばかりです。」(p65)
「自分の好みは癖にしか過ぎないと思っている人が本当の洗練された個性の持ち主です。そうでなく使われる『個性』という言葉は、脅迫言辞、脅かし言葉なのです。」(p72)
「他人が使う場合には妥当であるけれども、自分に対して使う場合は穏当でないという言葉が、日本語にはたくさんあります。その使い分けができている人が世馴れている人です。」(p76)