寺田寅彦著「柿の種」(岩波文庫)を読んでいると、短い文から、あれこれと連想がはたらきます。これは、ひょっとすると俳諧の妙味を短文として書き記しておられるのじゃないか。などと思ったりするのです。まるで、発句を読んで次につなげてゆきたくなるような気分(じっさい、俳句がどんなものか、私は知らない癖してね)になるのでした。
そういえば、縁側というのが出てくる箇所がありました。
「珍しい秋晴れの日に縁側へ出て庭をながめながら物を考えたりするのにぐあいのいいような腰の高い椅子があるといいと思う。」(p254)
縁側を私が思ったのは、久世光彦・齋藤愼爾対談「詩歌の潮流」(「久世光彦の世界 昭和の幻景」柏書房p204~)の言葉でした。
そこでは、久世さんがこう語っております。「そうですねえ。エッセイは違いますが、小説とかテレビドラマはだいたい昭和十年代に限られていると言っていいくらい、非常に偏狭です。・・・やっていると幸福なんです。いまはもうどの家庭でも見られないようなものが何でもなく当たり前みたいにあるという茶の間の絵を撮っていると落ち着くんです。縁側を撮るのが好きなんです。」
対談者の齋藤さんがこの話に答えて、
「縁側じたいが、だんだんなくなってきていますね。僕の知っている俳人は久世さんのテレビの演出を見ると俳句的だと言うんです。いま失われたいろいろなものに関して哀惜の視線が感じられる。ときどき俳句らしきものが出て来ますね。」(p215)
縁側については、何も目新しいことではないようです。
というのは、「『坊ちゃん』の時代」関川夏央・谷口ジロー(双葉文庫)をめくっていたら、そこに関川さんの文がありまして。こうはじまっておりました。
「むかし、日本の都市家屋には縁側というものがあった。もっとも重要な部屋である居間はかならず縁側を持ち、ガラス障子が畳と板の境界をつくっていた。さわやかな風の吹く日には縁側をいっぱいに開け放って風を通し、あたたかい日には家長は縁側で爪を切った。」そのようにはじまり、夏目漱石の明治38年前後を紹介し、最後はというと、こう締めくくっておりました。
「いまわれわれは家屋そのものと精神から縁側というものを完全に失い、同時に西欧文化への反発心をも失い果てている。これからは、なにが日本人の創作衝動をつき動かすのだろうか。あるいはすでに薄暮色のあいまいな自由のなかで、精神の解放の必要すらも見失いつつあるということなのだろうか。日本社会は老い、日本現代文化はその洒脱さ軽快さとは裏腹に、ひたひたと寄せる没落の時期をわれ知らず迎えているのだろうか。」
とりあえず、縁側も庭もないところで、文化としての「縁側」のことを考えるのでした。それが俳句とつながるのだろうなあ、と思いながら。
そういえば、縁側というのが出てくる箇所がありました。
「珍しい秋晴れの日に縁側へ出て庭をながめながら物を考えたりするのにぐあいのいいような腰の高い椅子があるといいと思う。」(p254)
縁側を私が思ったのは、久世光彦・齋藤愼爾対談「詩歌の潮流」(「久世光彦の世界 昭和の幻景」柏書房p204~)の言葉でした。
そこでは、久世さんがこう語っております。「そうですねえ。エッセイは違いますが、小説とかテレビドラマはだいたい昭和十年代に限られていると言っていいくらい、非常に偏狭です。・・・やっていると幸福なんです。いまはもうどの家庭でも見られないようなものが何でもなく当たり前みたいにあるという茶の間の絵を撮っていると落ち着くんです。縁側を撮るのが好きなんです。」
対談者の齋藤さんがこの話に答えて、
「縁側じたいが、だんだんなくなってきていますね。僕の知っている俳人は久世さんのテレビの演出を見ると俳句的だと言うんです。いま失われたいろいろなものに関して哀惜の視線が感じられる。ときどき俳句らしきものが出て来ますね。」(p215)
縁側については、何も目新しいことではないようです。
というのは、「『坊ちゃん』の時代」関川夏央・谷口ジロー(双葉文庫)をめくっていたら、そこに関川さんの文がありまして。こうはじまっておりました。
「むかし、日本の都市家屋には縁側というものがあった。もっとも重要な部屋である居間はかならず縁側を持ち、ガラス障子が畳と板の境界をつくっていた。さわやかな風の吹く日には縁側をいっぱいに開け放って風を通し、あたたかい日には家長は縁側で爪を切った。」そのようにはじまり、夏目漱石の明治38年前後を紹介し、最後はというと、こう締めくくっておりました。
「いまわれわれは家屋そのものと精神から縁側というものを完全に失い、同時に西欧文化への反発心をも失い果てている。これからは、なにが日本人の創作衝動をつき動かすのだろうか。あるいはすでに薄暮色のあいまいな自由のなかで、精神の解放の必要すらも見失いつつあるということなのだろうか。日本社会は老い、日本現代文化はその洒脱さ軽快さとは裏腹に、ひたひたと寄せる没落の時期をわれ知らず迎えているのだろうか。」
とりあえず、縁側も庭もないところで、文化としての「縁側」のことを考えるのでした。それが俳句とつながるのだろうなあ、と思いながら。