寺田寅彦著「柿の種」には、短章その一。その二。と別れております。
私には、その二の方が、ジャーナリズムの言葉に関する指摘が多いような感じをうけました。
いろいろと思い浮かぶのですが、ひとつ引用してみます。
「『陸相官邸にて割腹』という大きな見出しの新聞記事がある。陸相が割腹したのかと思うと、陸相の官邸でだれかが割腹したのである。日本語の不完全を巧みに利用したジャーナリズムのトリックである。」
私に思い浮かぶのは、朝日新聞の社説でした。いつだったか、まあ、いつもかもしれませんが、社説自体が読まれないとボヤキを書いておりました。社説を読む人がいないと書いてあったのか。とにかく、そのようなことでした。さて時々、朝日新聞には戦争の歴史の特集をすることがあります。見開き二ページを活字で埋めつくして歴史の講義をはじめてでもいるようなのです。すこしでも、「ジャーナリズムのトリック」を使う新聞が、歴史を講義してはなりません。参考文献でも列挙してくれればよろしい。たとえば、新書でどれとどれとが重要です。というのならわかる(決定版の歴史教科書を朝日新聞が書いてでもいるのでしょうか。それはどの文献を引用しているのかも示さねば疑われ、笑われます。まさか記者の手で要領よくまとめているとでもいうのでしょうか)。でもね。社説も読まれないと自覚している新聞が、歴史を堂々と講義なさるのはいかがなものでしょう。
「柿の種」その二。に戻りましょう。もう一つ引用してみます。
「三原山の投身者の記事が今日新聞紙上に跡を絶たない。よく聞いてみると、浅間山にもかなり多数の投身者があるそうであるが、このほうは新聞に出ない。ジャーナリズムという現象の一例である。」
あと、「柿の種」には、直接にジャーナリズムという言葉を使わなくても、俳諧的に取り上げている箇所が多く散見されるたのしみがあります。
私には、その二の方が、ジャーナリズムの言葉に関する指摘が多いような感じをうけました。
いろいろと思い浮かぶのですが、ひとつ引用してみます。
「『陸相官邸にて割腹』という大きな見出しの新聞記事がある。陸相が割腹したのかと思うと、陸相の官邸でだれかが割腹したのである。日本語の不完全を巧みに利用したジャーナリズムのトリックである。」
私に思い浮かぶのは、朝日新聞の社説でした。いつだったか、まあ、いつもかもしれませんが、社説自体が読まれないとボヤキを書いておりました。社説を読む人がいないと書いてあったのか。とにかく、そのようなことでした。さて時々、朝日新聞には戦争の歴史の特集をすることがあります。見開き二ページを活字で埋めつくして歴史の講義をはじめてでもいるようなのです。すこしでも、「ジャーナリズムのトリック」を使う新聞が、歴史を講義してはなりません。参考文献でも列挙してくれればよろしい。たとえば、新書でどれとどれとが重要です。というのならわかる(決定版の歴史教科書を朝日新聞が書いてでもいるのでしょうか。それはどの文献を引用しているのかも示さねば疑われ、笑われます。まさか記者の手で要領よくまとめているとでもいうのでしょうか)。でもね。社説も読まれないと自覚している新聞が、歴史を堂々と講義なさるのはいかがなものでしょう。
「柿の種」その二。に戻りましょう。もう一つ引用してみます。
「三原山の投身者の記事が今日新聞紙上に跡を絶たない。よく聞いてみると、浅間山にもかなり多数の投身者があるそうであるが、このほうは新聞に出ない。ジャーナリズムという現象の一例である。」
あと、「柿の種」には、直接にジャーナリズムという言葉を使わなくても、俳諧的に取り上げている箇所が多く散見されるたのしみがあります。