昨日のブログは、「いつか」で終りにしました。
それで思い浮かべた詩があります。黒田三郎の詩「あす」。
あす
うかうかしているうちに
一年たち二年たち
部屋中にうずたかい書物を
片づけようと思っているつちに
一年たった
昔大学生だったころ
ダンテをよもうと思った
それから三十年
ついきのうのことのように
今でもまだそれをあす
よむ気でいる
自分にいまできることが
ほんの少しばかりだとわかっていても
でも そのほんの少しばかりが
少年の夢のように大きく
五十歳をすぎた僕のなかにある
この詩の最後の一行「五十歳をすぎた僕のなかにある」で、
思い浮かぶのは、「洲之内徹 絵のなる一生」(とんぼの本・新潮社)でした。
そこでは「五十代の終り頃から」とありました。
それは、「最初の一歩は画家・佐藤哲三に惹かれて」という箇所に引用してありました。それもここに引用しておきたくなりました。
「五十代の終り頃から六十代にかけての十年余り、私の身の上に起こったことのすべての背景には新潟がある。六十歳になった頃、私はよく青春ということを言ったが、それは私の実感だった。六十歳になって、私はいろいろのものがよく見えるようになり、自分の心の動きが急に自由になったような気がしたのだ。一方、肉体的に衰えはまだ感じない。そして、だからこそかもしれないが、まだまだ無分別な行動に自分を投げ込み、そこから当然起こる面倒を恐れないだけの気力もある。とすれば、これを青春と呼んで差支えないだろう」(p28.とんぼの本)
黒田三郎は「五十歳をすぎた」と詩に書き。
洲之内徹は「五十代の終り頃から」と画家との出会いを書いております。
ああ、そういえば「僕は今、五十代の後半にいる。」と書いたのは村上春樹でした。村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)のp33にあります。そこからも引用しましょう。
「僕は今、五十代の後半にいる。・・・・
若いときの僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは、『死後の世界を具体的に想像してみろ』と言われたのと同じくらい困難なことだった。ミック・ジャガーは若いときに『四十五歳になって【サティスファクション】をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ』と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも【サティスファクション】を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった。僕にミック・ジャガーを笑えるだろうか?笑えない。僕はたまたま、若くて高名なロック・シンガーではなかった。僕が当時どんなに愚かしいことを言ったとしても、誰も覚えていないし、したがって引用されることもない。ただそれだけのことではないか。そして現在、僕はその『想像もつかなかった』世界の中に身を置いて生きている。・・・」
ということで、引用を三つしました。
それで思い浮かべた詩があります。黒田三郎の詩「あす」。
あす
うかうかしているうちに
一年たち二年たち
部屋中にうずたかい書物を
片づけようと思っているつちに
一年たった
昔大学生だったころ
ダンテをよもうと思った
それから三十年
ついきのうのことのように
今でもまだそれをあす
よむ気でいる
自分にいまできることが
ほんの少しばかりだとわかっていても
でも そのほんの少しばかりが
少年の夢のように大きく
五十歳をすぎた僕のなかにある
この詩の最後の一行「五十歳をすぎた僕のなかにある」で、
思い浮かぶのは、「洲之内徹 絵のなる一生」(とんぼの本・新潮社)でした。
そこでは「五十代の終り頃から」とありました。
それは、「最初の一歩は画家・佐藤哲三に惹かれて」という箇所に引用してありました。それもここに引用しておきたくなりました。
「五十代の終り頃から六十代にかけての十年余り、私の身の上に起こったことのすべての背景には新潟がある。六十歳になった頃、私はよく青春ということを言ったが、それは私の実感だった。六十歳になって、私はいろいろのものがよく見えるようになり、自分の心の動きが急に自由になったような気がしたのだ。一方、肉体的に衰えはまだ感じない。そして、だからこそかもしれないが、まだまだ無分別な行動に自分を投げ込み、そこから当然起こる面倒を恐れないだけの気力もある。とすれば、これを青春と呼んで差支えないだろう」(p28.とんぼの本)
黒田三郎は「五十歳をすぎた」と詩に書き。
洲之内徹は「五十代の終り頃から」と画家との出会いを書いております。
ああ、そういえば「僕は今、五十代の後半にいる。」と書いたのは村上春樹でした。村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)のp33にあります。そこからも引用しましょう。
「僕は今、五十代の後半にいる。・・・・
若いときの僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは、『死後の世界を具体的に想像してみろ』と言われたのと同じくらい困難なことだった。ミック・ジャガーは若いときに『四十五歳になって【サティスファクション】をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ』と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも【サティスファクション】を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった。僕にミック・ジャガーを笑えるだろうか?笑えない。僕はたまたま、若くて高名なロック・シンガーではなかった。僕が当時どんなに愚かしいことを言ったとしても、誰も覚えていないし、したがって引用されることもない。ただそれだけのことではないか。そして現在、僕はその『想像もつかなかった』世界の中に身を置いて生きている。・・・」
ということで、引用を三つしました。