和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

即興的漫筆。

2007-12-07 | Weblog
昨日また、柿を貰いました。「もうこれが最後の柿」ということです。
そして今日、残っているのが、柿五つ。
注文しておいた寺田寅彦著「柿の種」(岩波文庫)が今日届きました。
自序にこうあります。「大正九年ごろから、友人松根東洋城(まつねとうようじょう)の主宰する俳句雑誌『渋柿』の巻頭第1ページに、『無題』という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た。・・・」。

これが私にはとても面白かったのです。
ちょうど、ブログでこうして自分が書いているからかもしれません。
書き方のテンポというか、気安さが、とてもネット上の書き方の見本のような味わいがあるのでした。自序をもうすこし引用してみます。

「元来が、ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌のために、きわめて気楽に気ままに書き流したものである。原稿の締め切りに迫った催促のはがきを受け取ってから、全く不用意に机の前へすわって、それから大急ぎで何か書く種を捜すというような場合も多かった。雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や(小宮)豊隆に読ませるつもりで書いたものに過ぎない。・・言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎないのである。」

まったく、この通りの短文が並びます。
岩波文庫には寺田寅彦随筆集全五巻が入っていますが、そのイメージしかもっていなかった私に「柿の種」は驚きでした。ごく身近な書きぶりなのです。
ずいぶんきままな幅広い書きぶりに、ああこれが俳句的なのかもしれない、と思い到る気分が横溢しているような味わいがありました。

そこから、一つだけを引用すると、当然に間違えた印象をあたえるのですが、
まあいいか、一つ引用しましょう。

「無地の鶯茶色のネクタイを捜して歩いたがなかなか見つからない。
東京という所も存外不便な所である。
このごろ石油ランプを探し歩いている。
神田や銀座はもちろん、板橋界隈も捜したが、座敷用のランプは見つからない。
東京という所は存外不便な所である。
東京市民がみんな石油ランプを要求するような時期が、いつかはまためぐって来そうに思われてしかたがない。 (大正12年7月)」

ここにだけ、すぐあとに【注】が書きこまれております。そこも
「(「柿の種」への追記)大正12年7月1日発行の「渋柿」にこれが掲載されてから、ちょうど二か月後に関東大震災が起こって、東京じゅうの電燈が役に立たなくなった。これも不思議な回りあわせであった。」

絵画の話あり、子どもの話あり、もちろん俳句や科学の話もごく自然に出てきます。たのしかった。


ちなみに、ネット上で全文公開されているようです。ちょいとご覧になってはどうですか。私は岩波ワイド文庫を買いました。文庫解説は池内了。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする