長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」(朝日出版社)についての感想。
まずは、雑学から。
「町子姉は、翌昭和21年4月から夕刊フクニチに連載を始めた。愛読していた志賀直哉氏の『赤西蠣太(あかにしかきた)』に登場する御殿女中が、〈小江(さざえ)〉という名前であったことと、私達の住まいが海岸の側にあったことから、姉は主人公の名前を『サザエさん』と決め、家族の名前も、すべて海にちなんだものから選んだ。毎日、海岸に散歩に出ては砂浜に座って、思いつく限りの名をいくつも砂の上に書いたり消したりしていた。後に朝日新聞の全国版で読まれるようになるとは夢にも思わず、ごく気楽に執筆を始めたのだった。」(p62)
つぎは、私の雑念。
本棚を整理するのは、数年に一回あるかないか。そんな私です。
整理しても、だからって読まないしなあ。という気持ちが、ついつい何年も整理をおくらせます。それでも、整理する時は、決して読まないだろう本を、本棚から取り出して、段ボール箱へと収めます。そんな整理の隙間をぬって、毎回本棚に残る本の一冊に、姉妹社の「サザエさん うちあけ話」があるのでした。ちょいと、身近において置きたくなる本。何というか、私にとって本棚の整理のたびに思い出すような本なのであります。
まあ、表紙カバー(そんなのあったけ)はとれ、だいぶ黄ばみも出てきております。
そうするとですね。面白いことに、ここに出てくる登場人物はいまどうしているのだろうか。などと思うような身近さを感じるわけですよ。たとえば、こんな箇所。
「母の病がおこりました。妹の作文を、ひそかにひろい集め、菊地寛先生におめにかけてみてくれと申します。病人には逆らえないから姉が持参しました(姉はケッコンしても、仕事のつごう上、一緒に暮らしていました)。『いま、どこにいってるの?』『ハ。東京女子大でございます』『やめさせなさい、ボクが育ててあげる』妹はすぐ退学届を出して、ご近所の先生宅にかよいだしました。名もない女学生のために、西鶴『諸国はなし』の講義をして下さるのです。・・・」
こういう絵文字を眺めてボンヤリとしている。すると、この妹さんは、いまどうしているのだろうなあ。などと、思うでもなく、浮かぶ雑念としてあるのでした。大学をやめて菊地寛の講義を聞いた人っていうのは、何よりもどんな文章をかかれるのだろう。というのも興味があります。それもこれもピントが合わない写真のようなボンヤリとした、何とも見当がつかない雑念だったってわけです。
なんとも、それが一冊の本として読める。うん。読めたのでした。
ハハハハハ。
ここまで、長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」の内容を書かずに、私の雑念を書いて終わりです。毎度バカバカしい、ブログ書きこみになりました。急いで書き加えておきますが、こうした雑念に焦点が定まり、ピントがあって視界がひらけると、この長谷川洋子氏の本がずっしりとした重みある読後感とともに迫ってくるのでした。
ということで、これからは、私の本棚に「サザエさん うちあけ話」と「サザエさんの東京物語」とが、いっしょに並ぶことになります。
まずは、雑学から。
「町子姉は、翌昭和21年4月から夕刊フクニチに連載を始めた。愛読していた志賀直哉氏の『赤西蠣太(あかにしかきた)』に登場する御殿女中が、〈小江(さざえ)〉という名前であったことと、私達の住まいが海岸の側にあったことから、姉は主人公の名前を『サザエさん』と決め、家族の名前も、すべて海にちなんだものから選んだ。毎日、海岸に散歩に出ては砂浜に座って、思いつく限りの名をいくつも砂の上に書いたり消したりしていた。後に朝日新聞の全国版で読まれるようになるとは夢にも思わず、ごく気楽に執筆を始めたのだった。」(p62)
つぎは、私の雑念。
本棚を整理するのは、数年に一回あるかないか。そんな私です。
整理しても、だからって読まないしなあ。という気持ちが、ついつい何年も整理をおくらせます。それでも、整理する時は、決して読まないだろう本を、本棚から取り出して、段ボール箱へと収めます。そんな整理の隙間をぬって、毎回本棚に残る本の一冊に、姉妹社の「サザエさん うちあけ話」があるのでした。ちょいと、身近において置きたくなる本。何というか、私にとって本棚の整理のたびに思い出すような本なのであります。
まあ、表紙カバー(そんなのあったけ)はとれ、だいぶ黄ばみも出てきております。
そうするとですね。面白いことに、ここに出てくる登場人物はいまどうしているのだろうか。などと思うような身近さを感じるわけですよ。たとえば、こんな箇所。
「母の病がおこりました。妹の作文を、ひそかにひろい集め、菊地寛先生におめにかけてみてくれと申します。病人には逆らえないから姉が持参しました(姉はケッコンしても、仕事のつごう上、一緒に暮らしていました)。『いま、どこにいってるの?』『ハ。東京女子大でございます』『やめさせなさい、ボクが育ててあげる』妹はすぐ退学届を出して、ご近所の先生宅にかよいだしました。名もない女学生のために、西鶴『諸国はなし』の講義をして下さるのです。・・・」
こういう絵文字を眺めてボンヤリとしている。すると、この妹さんは、いまどうしているのだろうなあ。などと、思うでもなく、浮かぶ雑念としてあるのでした。大学をやめて菊地寛の講義を聞いた人っていうのは、何よりもどんな文章をかかれるのだろう。というのも興味があります。それもこれもピントが合わない写真のようなボンヤリとした、何とも見当がつかない雑念だったってわけです。
なんとも、それが一冊の本として読める。うん。読めたのでした。
ハハハハハ。
ここまで、長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」の内容を書かずに、私の雑念を書いて終わりです。毎度バカバカしい、ブログ書きこみになりました。急いで書き加えておきますが、こうした雑念に焦点が定まり、ピントがあって視界がひらけると、この長谷川洋子氏の本がずっしりとした重みある読後感とともに迫ってくるのでした。
ということで、これからは、私の本棚に「サザエさん うちあけ話」と「サザエさんの東京物語」とが、いっしょに並ぶことになります。