和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

銭形!?

2008-07-09 | Weblog
ルパン三世シリーズに登場する、銭形警部は、銭形平次の子孫ということになっております。その銭形平次こと、銭形平次捕物帳の生みの親は、野村胡堂。
捕物帳では、銭形平次が、ここぞというところで銭を投げます。
私などは、子供のころにテレビで見ていたのでした。
主題歌が舟木一夫。
では、その銭は何と言うのでしょうか?

野村胡堂の対談で語っておりました。
「ただ銭をほふることをちょっと考えた。これは案外武器になりはしないかと考えた。『水滸伝』の豪傑に没羽箭張清(ぼつうぜんちょうせい)というのが腰に錦の袋を下げて石を投げる。これが非常に強くて黒旋風李逵(りき)から花和尚魯智深(ろちしん)までやられる、非常な武器なんです。これを石じゃおもしろくないからなんかないかというので寛永通宝の波形銭、四文銭というのです、あれはかなり重い、あれをほふると三間や五間は飛んでいって、眼にあたると大変だが鼻の頭にでも当たれば一寸痛手になる。銭をほふるというので考えついたら銭形という名前になった。」


ちょっと気になるのに、鎌倉の大仏があります。
今日もBSで小津安二郎監督の「麦秋」を何気なく見ていたら、
この映画の主人公の家庭が鎌倉。鎌倉大仏の前のカットもありました。
気になるので、ちょっとした記事でも取っておきます。
朝日新聞2008年6月21日の文化欄に「鎌倉の大仏様『素材は中国銭』」。
はじまりは、じつに明解でした。

「国家事業だった奈良の大仏と違い、民間主導の鎌倉の大仏は建立の過程でわからないことが多い。その中でも大きななぞ。国産銅でまかなえた奈良大仏とは違い、鎌倉時代は銅が不足していたからだ。」

そして、「経筒が語る中世の世界」(思文閣出版)。
別府大(大分県別府市)のグループの研究で明らかになったこととして、
「中国銭は貨幣ではなく、銅製品の原料として輸入されるようになったというのだ」。その背景を語って「銭鋳造はコストが高く、中国は国外持ち出しを禁じてきた。12世紀の半ば、南宋では紙幣の流通が安定したので、銭を持ち出しやすくなったのだろう・・・『日本の交易船は銭ばかりほしがる』との中国の記録を見つけた。中国でも銅は不足し、インゴット(金属の塊)を輸入するのは銭以上に難しいこともわかった」「『銭を鋳造できないほど国産銅が不足していた平安末以降、多量に輸入できる銅としては中国銭のほかに見あたらない。科学分析も一致する。鎌倉大仏は中国銭で造ったとしか考えられない』と平尾(良光)さんと飯沼(賢治)さんは結論づけた。」
以上の興味深い記事がありました。

そういえば、「京の大仏は銅製でしたが、1662年の地震で大仏がわずかに破損し、木造で作り直されることになり、このとき出た銅は寛永通宝に使われています。」というのがネットで調べられました。

鎌倉の大仏が中国銭から出来ていて、
京の大仏から、寛永通宝が出来たらしいのです。

寛永通宝というのは、いろいろな素材で作られたようですが、
さて、銭形平次が使ったのは、大仏の銅でつくった波形銅銭じゃなかったのか?

ちなみに、明治以降も、寛永通宝は使われていたそうですが、
さすがに、銭形警部は、もう使っていなかったですよネ。
コメント
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