和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

明治神宮パンフ。

2008-07-25 | Weblog
ドナルド・キーン著「明治天皇」を古本で上下巻揃えて、机に立てかけてあるのですが、あああ、上巻を拾い読みして、そのままになっております。そのままになりながら、何となく明治天皇というキーワードが目につくのが不思議。
たとえば、渡部昇一著「父の哲学」(幻冬舎)にはこんな箇所がありました。
「こんにち、父親の権威が失墜したと言われているが、そのきっかけとなったのが、教育勅語の廃止である。教育勅語というのは、法律ではなく、明治天皇のお言葉である。・・・信奉するものにとって心の拠り所となる、リーダーの言葉なのである。これは本来なら議会が廃止できる性質のものではない。ところが、進駐軍の方針に従い、議会がさっさと廃止してしまったという経緯がある。当時大学生だった私が近所の床屋に行くと、子どもの頃から散髪してくれていたオジサンが、『いや、この頃は困ったもんだ』と言う。聞けば、『教育勅語がなくなったから、子どもを叱るわけにいかない』のだそうだ。そのように、教育勅語は一般庶民にとって、想像以上に大きな存在だったのである。もともと明治天皇が、この教育勅語を世に広めた背景には、当時の中国の衰退が影響していたようだ。それまで日本の倫理の規範となっていたのは儒教である。ところがその儒教の本場である中国が、アヘン戦争以後、西洋にめったやたらに食い荒らされていたのである。そんなところから、そんな国から来た儒教をお手本にしたままでいいのだろうかという疑問が明治初期のインテリの間に芽生え始めていたのだ。・・・・」(p174 ~175)ここから、佳境に入るのですが、その手前でやめときましょう。ちゃんと教育勅語全文も、引用されております。

さて、これからが語りたかったことです。
ちょうど、身近でですね。明治神宮にお年寄の方々とともに観光してきた人がおりました。その身近人(兄なのですが)は、明治神宮の絵入り案内パンフレットと、それから「教育勅語」と「五箇条の御誓文」と「明治天皇御製・昭憲皇太后御歌の一日一首」とが裏表に書かれている小さな蛇腹折の紙とをもらって来ておりました。しばらくして、欲しくてその二つのパンフレットをもらって、いまこうして手もとにあります。発行・明治神宮社務所とあります。五箇条の御誓文には「我国未曾有の変革を為んとし、朕躬を以て衆に先じ、天地神明に誓い、大に斯国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。」とあります。御製(ぎょせい)御歌(みうた)は一日一首で、これまた魅力です。31日分が、奇数日が御製、偶数日は御歌と交互に並んでおります。

絵入りパンフには「歴史にふれ、自然に憩う神宮の杜。」とあります。
そういえば、私は明治神宮にも行ったこともないのでした。
せめてドナルド・キーンの上下巻は読んでおこう。
という思いで、こうして書き記しておくわけです。


追記。
ちなみに、教育勅語についてですが、
兄の嫁さんのお母さんは、お一人でお住まいです。
何でも、時に教育勅語を写経しているらしいのです。
そして私の嫁さんのお母さん。この明治神宮のパンフレットを見せて
話をしていたら、お母さんの実家の上の兄弟の家には、
教育勅語が額にして、家に置かれているというのでした。


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冥想録(パンセ)。

2008-07-25 | Weblog
こりゃ、あとで読みかえさなきゃ。と思う本があります。たとえば渡部昇一著「パスカル 『冥想録』に学ぶ生き方の研究」(到知出版社)も、そんな一冊でした。けれども、そのまま読まずにいるのが、いつもの私です(笑)。

さて、たまには本棚から取り出して、パラパラと眺め直しております。
興味深いのは、序論に書かれているこの箇所でした。

「私が初めてパスカルの『冥想録』を読み終えたのは1950年(昭和25年)3月5日の12時40分のことであった。これは本の巻末に書き込んであるので間違いない。したがって、実に55年も前に読んだことになる。・・・・・55年前の私は、大学1年生の春休みの寸前にパスカルを読んで非常に感激し、そして新学期からは神学の勉強をしようという覚悟まで述べているのである。・・・フランツ・ボッシュ先生の神学的な講義を受け、さらに岩下壮一神父の『カトリックの信仰』およびその他の著作を一年間熱心に読み、私は洗礼を受けるかどうかを考えるに至った。そのときはまだ躊躇があったのだが、最後には思い切って飛躍して洗礼を受けることにした。その決断の理由となったのが、実は『冥想録(パンセ)』に書かれている『賭の精神』を読んだことであった。パスカルの研究家は無数にいるだろうし、翻訳家もたくさんいる。しかし『冥想録』によってカトリックの洗礼を受けようと決心した人間はそれほど多くはいないはずである。ある意味では、私はパスカルから最も強い影響を受けた一人であるといえるのではないかと思っている。私はその後、三木清の『パスカルに於ける人間の研究』というような名著も読んだが、私から見れば、三木清は本当の意味でパスカルがわかっていないと感じられた。なぜならば、彼はパスカルの『賭の精神』がわからなかった。それゆえにカトリック教徒にならなかったのだと、当時は生意気にも思ったりしたものである。その後の55年間の生活において、私は絶えず宗教問題から離れることなく考え続けてきた。それが私の人生の一つの筋道となっている。」(p17)

これは、あとにp76でも繰り返し語られております。
それに、こんな箇所も印象深い。

「旧約聖書というのは膨大なものであって、また元来はユダヤ人の話であるから、これを読まなかった人も多いだろう。したがって、キリスト教を信じる人たちの中にも、わかりやすい新約聖書だけを読んだ人、あるいは、どちらも読まなかった人もいたはずである。それにもかかわらず、キリストの説いた言葉がすっと入ってくる人がいる。そういう人は内的素質がいいのだ、とパスカルはいう。理屈をあれこれいわずともわかるというのは、その人の気持ちがいいからであるというわけである。私の周囲には非常に素朴な人たちがたくさんいた。その人たちは皆、何が正しくて何が正しくないかを本当によくわかる人たちだった。たとえば私の母はもちろんキリスト教徒ではないけれども、『死んだ先祖からいつも見られている』ということを信じていた。だから自分は苦労しても、先祖から『おまえ、苦労してるな、頑張ってるな』といわれるような慰めを得ているというところがあった。おそらくキリスト教国の場合にしても、『神様が見ているぞ』ということを非常に率直に感じられる人がたくさんいたと思う。宗教によって何が見えるかの違いはあれ、心が清純であれば、自分の良心まで知っているものがあるという自覚を持てるものなのではないかと思うのである。」(p88)


ともかくも、宗教を思う時、まずあらためて再読したい一冊。

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