中村弓子著「わが父草田男」(みすず書房)に、こうはじまる文がありました。
「 毒消し飲むやわが詩多産の夏来る
夏こそは父の季節であった。父は7月24日に生まれ、8月5日に亡くなった。暑い季節がやってくると家族は全員げんなりしている中で、『瀬戸内海の凪(なぎ)の暑さなんてこんなもんじゃありませんよ』などと言いながら、まるで夏の暑さと光をエネルギーにしているかのように、大汗をかきながらも毎日嬉々として句作に出かけていた。その父が亡くなってから5年目の夏が来ようとしている。・・・」(p57)
そういえば、去年の夏は、私はたしか伊東静雄をはじめて読んだのでした。伊東静雄の詩も夏が鮮やかでした。
いろいろと考えさせられる箇所があるのですが、
ちょいと、とりとめなくなりそうなので省略。
でも、この箇所は雑学としても引用しておいてもよいでしょう。
「父親の死後、一家を支えるべき長男であるのに神経衰弱で休学などして愚図々々している父のことを日ごろから徹底的に蔑視していたある親戚が、ある機会に父に向かって『お前は腐った男だ』と思いきり面罵した。父はそのとき『俺はたしかに腐った男かもしれん。だが、そう出ん男なのだぞ』と内心思い、受けた侮辱とそれに対抗する自負心の双方を訓読みと音読みで表わす『草田男』の名を俳号としたのである。これが『草田男』の本当の由来であり、二葉亭四迷の筆名の由来を若干想起させるこのことが起こったのは、句帳の中の『草田男』の俳号の現れる位置から推測した、昭和三年の前半のことであろうと思われる。」(p74)
「 毒消し飲むやわが詩多産の夏来る
夏こそは父の季節であった。父は7月24日に生まれ、8月5日に亡くなった。暑い季節がやってくると家族は全員げんなりしている中で、『瀬戸内海の凪(なぎ)の暑さなんてこんなもんじゃありませんよ』などと言いながら、まるで夏の暑さと光をエネルギーにしているかのように、大汗をかきながらも毎日嬉々として句作に出かけていた。その父が亡くなってから5年目の夏が来ようとしている。・・・」(p57)
そういえば、去年の夏は、私はたしか伊東静雄をはじめて読んだのでした。伊東静雄の詩も夏が鮮やかでした。
いろいろと考えさせられる箇所があるのですが、
ちょいと、とりとめなくなりそうなので省略。
でも、この箇所は雑学としても引用しておいてもよいでしょう。
「父親の死後、一家を支えるべき長男であるのに神経衰弱で休学などして愚図々々している父のことを日ごろから徹底的に蔑視していたある親戚が、ある機会に父に向かって『お前は腐った男だ』と思いきり面罵した。父はそのとき『俺はたしかに腐った男かもしれん。だが、そう出ん男なのだぞ』と内心思い、受けた侮辱とそれに対抗する自負心の双方を訓読みと音読みで表わす『草田男』の名を俳号としたのである。これが『草田男』の本当の由来であり、二葉亭四迷の筆名の由来を若干想起させるこのことが起こったのは、句帳の中の『草田男』の俳号の現れる位置から推測した、昭和三年の前半のことであろうと思われる。」(p74)