和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

言葉は飛び去るけれど。

2008-07-27 | Weblog
ネット上の書き込みは、手紙と比較するのが分かりやすいのじゃないでしょうか。たとえば、手紙でよく語られていたことに
「あとになってから取り消さなければならないような、もしくは後悔するようなことは一行たりとも書いてはいけない。なぜなら、フランスの諺にもいうように、言葉は飛び去るけれども、書いたものは残るからである」。
ネット上で、打ち込んだ言葉は、私など、ややもすると飛び去っていくイメージがある。という点では、ちょっと話し言葉に似ております。そこで、ネット画面活字と手紙との、違いと、類似点とが気になります。ネット上での打ち込みは会話と手紙との中間というイメージが強いのじゃないか。むしろ会話により近い(どうでしょう?)。ところが、これが活字として残る。まあ残るとしても、会話をカセットで録音したようにして残るという方がよいのかもしれないなあ。

まあ、このくらいにして(笑)。
何で、こんなことを思いうかべたかといいますと。
齋藤孝・梅田望夫著「私塾のすすめ」(ちくま新書)を読んでいたからです。
そこでは、齋藤さんはネットの書き込みをしていないタイプ。
その齋藤さんは、こう語っております。
「本というものは、文章にせよ、主題にせよ、ある程度以上の秩序が要求されますよね。編集者というフィルターも入りますし。でも、ネットで僕が直接のメッセージを書いたときに、舌禍事件をおこしてしまいそうということがあります。本ではコントロールしているのですが、なまみの人間としては、そうとう危険な発言が多い。・・・」(p091)


梅田さんはこう語っておりました。

「僕はネットで面白い経験をしたことがあります。ネットで知り合った人とリアルで会う『オフ会』というのがありますが、ブログを始めてしばらく経ったころ、僕のブログの読者を集めて、『オフ会』というか、セミナーみたいなものをやったことがあります。百人くらい集まったのですが、そのなかで、一番前の列ですごく熱心に聞いてくれていて、いい質問をしてくれた人がいた。終わったあとに、名刺交換をしたら、ネットでいつもひどいことを書いている人だったんですよ(笑)。とにかく、ネットでは皆、少し過激になる。僕はネットの世界で相当経験を積んでいるからわかるのですが、アテンション(関心)を引きたくて、実際よりも偽悪的、露悪的な表現をする人が多いというのを感じています。僕はそういう人に対して、絶対、攻撃的なことはしないと先に言いましたが、相手が実際にはいい人である可能性がかなりあるということを学んだからなんです。・・・コメントをしてくる人というのは、まだ何ものにもなれていない一人の人である可能性が高いでしょう。僕がその人に対して、非常に強く戦いを挑んだら、勝つかもしれないけど、相手は本当にダメージを受けてしまうかもしれない。だからそれは絶対にしません。・・・」(p137~138)

この新書では、「ネット上の私塾」ということを語り合っておりました。
私が、この箇所を読んでいて思い浮かべたのは手紙の心得でした。
そう梅田さんはネット上の心得を、ここでは語っておられる。
その心得というので、私はネットと手紙とをつなげたくなりました。

ここでは、最近読んだ河盛好蔵の「現代・手紙日記作法」から引用してみます。
その心得の注意を箇条書きにしてありまして、私が興味を引いたのは三番目でした。
「第三番目の注意は、【もらった手紙にはすぐ返事を出す習慣をつける必要がある。しかし諸君を傷つけたり、不快にしたりした手紙をもらった場合は例外である。そんなときにはしばらく待つことが大切で、すぐに相手に向って報復する態度に出てはいけない。常におだやかに、冷静に行動したという満足を持つべきだ】というのであります。・・・絶交の手紙とか、こちらを非難した手紙を貰ったりすると、すぐ肚を立てて、その場で返事を書いて相手に復讐しようという気持ちになりやすいものでありますが、そんなときには、一応怒りをぐっと押えて、一日か二日して心が平静になった時分に手紙を書くということが必要なのであります。と申しますのは、そういういふうな、相手を非難する手紙を書いた人は、手紙を出して二、三日すると、あんな手紙を書くんじゃなかったと心の中で後悔するのが普通でありますから、そういう後悔をしている時分にこちらから穏やかな手紙が行くと、相手を非常に恐縮させる効果があるのであります。手紙を書くときには、いつも穏やかな気持ちで書くということは大切なことであります。」(河盛好蔵 私の随筆選 第六巻私の人生案内)

う~ん。手紙には宛名がありますから(単純には匿名というのはないでしょうが)、そこがネット上とは異なるところでしょうか。ここで興味深いのは、ネット上を私塾とする発想です。塾ならば先生と生徒。あるいは先輩と後輩という要素が登場します。ネット上の先達として余裕をもって、穏やかな気持ちで相手に書くというのが、ここでは、心得として成り立ちそうです。

さて、最後に新書の方にもどりますが、
「私塾」という発想は、どこから生れたのか。それに近づける発言がありますので、そこもついでに引用しておきます。梅田さんの言葉です。

「僕は、エネルギーが湧く方向への『励まし』をいつも自分のなかに蓄えて、それを生きるための燃料にしているのですが、シリコンバレーから東京に来るたびに思うのは、日本で受動的にメディアから受ける言葉に、どうも気持ちが萎えるような言葉が多いなということなんです。」(p191~192)

受動的にして萎えさせるメディア。と、励ます私塾。

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ネット獄中私塾。

2008-07-27 | Weblog
齋藤孝・梅田望夫対談「私塾のすすめ」(ちくま新書)を読みました。
ちょうど、これを読んだ頃に、私は講義録というのを思っておりました。何げなくも私は「講義録=大学での講義の記録」と思ってしまうところがありまして、別に大学じゃなくてもよい。という、もう一歩の発想へと結びつかないでおりました。それについて、次のステップを照らしているような対談がこれでした。この対談に「ネットは私塾」という箇所があります。
梅田望夫さんでした
「過去をふりかえって、福沢諭吉が慶応義塾を作ったというのは、今から見れば、偉人伝の世界なんだけれど、同時代の人々からどう見られていたかというと、今のような高い評価を受けているわけではなかった。福沢が始めた私塾にすぎないという受けとめられ方がふつうだったでしょう。僕は今、大学の先生にならないかと誘われると必ず断っているのですが、大学の先生になるというのは、これまでの古いしくみのなかに入ることですから、そういうのは僕にとってはありえないのです。そうでなくて、毎日ブログを書いていて、30年たったときに、『あの人はネット上で私塾を開いた初めての人だったんだ』とか言われたいですね。今は誰もそんなふうに言ってくれる人はいないけれど・・・」(p107~108)

この対談の最後は齋藤孝さんでした。
「・・・『私塾的関係性』を大量発生的に生み出せる可能性がインターネットにはあります。直接面識のない人との間に、学び合う関係を築く不思議な事態がすでに起こっている。学校という公的な場ではない、『私塾的』学びの共同体が、自然発生的に増殖していく様は、植物の増殖を思い起こさせます。みなが心のどこかで求め、しかし現実では満たされることの難しかった『気持ちの通い合う私塾がほしいという思い』つまり『私塾願望』がインターネットの空間で満たされる希望を感じます。『私塾』の良さは、いつどこでも、二人ですぐに始められるところです。吉田松陰は、投獄された野山獄で、他の囚人たちに孟子を講義しました。他の囚人の得意分野をお互いに学び合う場を松陰は作ったのです。『獄中私塾』ができるなら、インターネットの世で無数の『ネット私塾』が花開くことは、十分期待できます。」(p196)

うん。「ネット上の私塾」から、対談ならではの飛躍で、最後は「獄中私塾」へとつながったりしております。それにしても、「ネット版獄中私塾」という言葉があるとするなら、こうしてパソコン画面に向かいながら、今日の暑さで、私には何ともリアルなネーミングとして受け取れるのでした。
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