和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

嘘なし地震予言。

2008-07-10 | 地震
地震予言といえば、阪神大震災の後に、オウムの麻原某が、それを予言していたのどうのこうの。というゴタゴタがありました。何でも、それをソビエトとかの外国向け放送で流したとか、どうとか言っていたのだそうでした。まあ、それはそうと。

ちょいと、地震予言でふたつの本が思い浮かびましたので、引用しておきます。
ひとつは、渡部昇一著「パスカル『冥想録』に学ぶ生き方の研究」(到知出版社・平成18年4月)。そこにこうあります。
冥想録の一節を引用したあとに
「予言者は日蝕とか月蝕にしばしば不幸の予兆を見る。しかし、よくよく考えてみれば、悪いことはしばしば起こるものである。ゆえに、彼らの不幸な予言はよく当たる。反対に、幸福の予兆を予言しても、幸福はめったに起こらないからだいたいが嘘になる。したがって、予言者は悪い予言をする。そうすれば当たるからである。たとえば『日本で近いうちに地震が起こりますよ』と予言すれば、まず間違いなく当たるのである。」(p117~118)


次は、日垣隆著「知的ストレッチ入門」(大和書房・平成18年10月)
そこに「疑わしきは罰するマスコミの罠」というのがありました。
「研究者であっても、メディアであっても、『危険だ!』と言っていたほうが、彼らにとってのリスクが少ないのです。例えば、鳥インフルエンザが日本に上陸した折にも、マスコミが一斉に、何百万人規模の死亡者が出るだろう、と警鐘を鳴らしました。こういうのを、私は『狼少年』と呼んでいます。マスコミの人々は、自分たちこそ社会の木鐸であり、世の中に警鐘を鳴らすのは使命だというテーゼで動いていますが、そのテーゼを真面目に実践すると、どんな局面でも『とりあえず危ないと言っておけ』ということになりかねません。しかも、それは、常に絶対的な『善』になれる思考停止なのです。なぜかというと、『地震が起きても大丈夫』と言っておいて、実際には死者が出た場合には、マスコミは完全に責任を問われる立場になります。しかし『どうも危なそうだ』と言っておけば、実際に何も起きなかった場合には『警告の成果だ』と言うことができます。仮に、起きてしまったとしたら、『私どもが言ったとおりでしょう』と言えるわけです。こうして、危険を煽っておけば、どっちに転んでもマスコミは責任を問われることがない。これがマスコミの思考回路の実態です。」(p181~182)

こう引用してくると、麻原某とマスコミの罠と、何だか五十歩百歩ですね。
ところで、6月14日におきた宮城内陸地震についてです。
読売新聞6月15日に「国は、活断層が引き起こす全国の地震の発生確率を順次公表してきた。震源付近は近い将来、大地震が発生する確率は低いとされていた地域だっただけに、このタイプの地震はどこでも起き得ることを改めて示した。」とあり震源域の大地震確率は0.1~3%だったのだそうです。
常に、こうした困難さを地震予測は秘めていて、もう片方には、思考停止のマスコミの回路の存在。
コメント
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