山村修著「もっと、狐の書評」に取り上げられていた、武部利男編訳「白楽天詩集」はというと、平凡社ライブラリーでした。ネットの古本で買うのに、その平凡社ライブラリーはなかったのでした。さてどうしましょうと、検索画面を眺めていると、
白楽天詩集
・武部利男 吉川幸次郎/富士正晴/帯文 富士正晴/装画 光風社書店
・◆状態:普通 函背ヤケ ◆346頁 ◆定評ある武部口語訳による楽天詩を集成。
・昭56
・1
・2,000
・A5 初版 函帯付 六興出版
というのが、あったわけです。
正確には、古本2000円。送料340円。振込み料120円。
以上合計2460円なり。
これを注文しました。
箱と、両方の見返りに富士正晴の装画。
そして帯の言葉も引用しておきしょう。
「・・・・
誰にでもわかる言葉で詩をつづることに努力した。
詩ができあがると、女中のばあやに読んできかせ、
意見をもとめたともいう。この武部訳は、
原詩のそうした方向を有効に生かすべく、
ぜんぶカナガキである。カナガキの日本語というものは、
読みにくいのがふつうなのに、武部君のはふしぎにそうでない。
・・・・」(帯:吉川幸次郎)
帯のもう片方には富士正晴が書いております。
「・・・・・
その表現はあくまで平易で、誰にでもよく理解出来るが、
これまでの訳し方では変に裃(かみしも)をつけたような
もったい臭いものになり勝ちであった。
今度の武部利男の訳は仮名ばかりで子供にでも読める。
白楽天を日本人に贈ったと言えよう。」
本の最後には、
白楽天小伝 武部利男
『白楽天詩集』解説 筧文生
そして1980年8月8日の武部利男「あとがき」が印象に残ります。
訳詩を、ここで引用したいところではありますが、
ここでは、「あとがき」をすこし引用してみます。
何でも白楽天の訳は、途中空白期間があったと書いております。
「第二の時期の翻訳をはじめたきっかけについて書いておこう。
1974年秋、東京の九段にある大学で開かれた学会に出席した時のことである。
休憩時間になって、友人や知人とはぐれてしまったわたしは、いつしかひとり、会場の近くの靖国神社のあたりをさまようていた。もう、むかし、といってもいいだろう。学徒兵として召集されたわたしは、敗戦の前年すなわち1944年の秋、入隊の前日、ここへ詣りにきた。自分たちが花と散って帰ってくるはずの場所を一目見たかったからである。あれからちょうど30年たっていた。戦争で多くの人びとが非業の死をとげ、戦後の食糧難でも多くの人が病気に倒れた。わたしは幸いに、生きのこった。戦争でも死にぞこない、病気にも死にぞこなって、今なお細々ながら生きながらえている。学会から帰ると、急にわたしは何かを求めた。そして白楽天の閑適詩や感傷詩のなかに生死の境をうたったものが多く、自分の気持にぴったりとくるのを発見した。これが翻訳を再会した動機である。」
そしてもうすこし、何げない箇所なのですが、引用しておきたくなります。
「『VIKING』に連載中は、毎月の例会で富士正晴氏はじめ同人や読者のみなさんから、暖い励ましの言葉や適切な批評を得た。時たま未知の方からも愛読しているというはがきを、いただいたこともある。それらのことがどれだけわたしを喜ばしたことか。訳者冥利につきるという思いを重ねつつ、気のむくままに仕事を進めたが、おかげでともかくこれだけの分量の詩を訳すことが出来た。みなさんにここで深くお礼を申しあがる。」
古本で購入したのは、箱の背が黄ばんでおりましたが、
ページはきれい。初版で、箱に印刷された定価は3800円となっておりました。
こうして、山村修氏のおかげで、武部利男訳「白楽天詩集」という贈り物を手にして、読むことが出来ますこと。自分だけでは決して探し当てられない。自分だけでは、到底あり得ない。そんな本との出会いがありまして、有り難いことと思っております。
白楽天詩集
・武部利男 吉川幸次郎/富士正晴/帯文 富士正晴/装画 光風社書店
・◆状態:普通 函背ヤケ ◆346頁 ◆定評ある武部口語訳による楽天詩を集成。
・昭56
・1
・2,000
・A5 初版 函帯付 六興出版
というのが、あったわけです。
正確には、古本2000円。送料340円。振込み料120円。
以上合計2460円なり。
これを注文しました。
箱と、両方の見返りに富士正晴の装画。
そして帯の言葉も引用しておきしょう。
「・・・・
誰にでもわかる言葉で詩をつづることに努力した。
詩ができあがると、女中のばあやに読んできかせ、
意見をもとめたともいう。この武部訳は、
原詩のそうした方向を有効に生かすべく、
ぜんぶカナガキである。カナガキの日本語というものは、
読みにくいのがふつうなのに、武部君のはふしぎにそうでない。
・・・・」(帯:吉川幸次郎)
帯のもう片方には富士正晴が書いております。
「・・・・・
その表現はあくまで平易で、誰にでもよく理解出来るが、
これまでの訳し方では変に裃(かみしも)をつけたような
もったい臭いものになり勝ちであった。
今度の武部利男の訳は仮名ばかりで子供にでも読める。
白楽天を日本人に贈ったと言えよう。」
本の最後には、
白楽天小伝 武部利男
『白楽天詩集』解説 筧文生
そして1980年8月8日の武部利男「あとがき」が印象に残ります。
訳詩を、ここで引用したいところではありますが、
ここでは、「あとがき」をすこし引用してみます。
何でも白楽天の訳は、途中空白期間があったと書いております。
「第二の時期の翻訳をはじめたきっかけについて書いておこう。
1974年秋、東京の九段にある大学で開かれた学会に出席した時のことである。
休憩時間になって、友人や知人とはぐれてしまったわたしは、いつしかひとり、会場の近くの靖国神社のあたりをさまようていた。もう、むかし、といってもいいだろう。学徒兵として召集されたわたしは、敗戦の前年すなわち1944年の秋、入隊の前日、ここへ詣りにきた。自分たちが花と散って帰ってくるはずの場所を一目見たかったからである。あれからちょうど30年たっていた。戦争で多くの人びとが非業の死をとげ、戦後の食糧難でも多くの人が病気に倒れた。わたしは幸いに、生きのこった。戦争でも死にぞこない、病気にも死にぞこなって、今なお細々ながら生きながらえている。学会から帰ると、急にわたしは何かを求めた。そして白楽天の閑適詩や感傷詩のなかに生死の境をうたったものが多く、自分の気持にぴったりとくるのを発見した。これが翻訳を再会した動機である。」
そしてもうすこし、何げない箇所なのですが、引用しておきたくなります。
「『VIKING』に連載中は、毎月の例会で富士正晴氏はじめ同人や読者のみなさんから、暖い励ましの言葉や適切な批評を得た。時たま未知の方からも愛読しているというはがきを、いただいたこともある。それらのことがどれだけわたしを喜ばしたことか。訳者冥利につきるという思いを重ねつつ、気のむくままに仕事を進めたが、おかげでともかくこれだけの分量の詩を訳すことが出来た。みなさんにここで深くお礼を申しあがる。」
古本で購入したのは、箱の背が黄ばんでおりましたが、
ページはきれい。初版で、箱に印刷された定価は3800円となっておりました。
こうして、山村修氏のおかげで、武部利男訳「白楽天詩集」という贈り物を手にして、読むことが出来ますこと。自分だけでは決して探し当てられない。自分だけでは、到底あり得ない。そんな本との出会いがありまして、有り難いことと思っております。