和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ねぎま。

2009-01-12 | Weblog
フジテレビのニュースの司会をしている(今はちがうかな)
黒岩祐治氏が書いた本に「恩師の条件」(リヨン社・2005年)というのがあります。
この本の恩師とは、灘高校の名物教師・橋本武。
本文のはじまりにこうあります。
「私には胸を張って自分の『恩師』と言える先生がいる。中学・高校の六年間にわたって国語を教えていただいた橋本武先生である。」(p11)
その授業内容を紹介している本なのでした。
いろいろあるのですが、たとえばこんな箇所はどうでしょう。
「橋本先生の国語の授業でもうひとつ印象深く残っているのは、とにかくたくさんの文章を書かされたということである。」とあり、先生本人の文が引用されております。
「【百聞は一見に如かず】という。書くことにおいては【百論は一作に如かず】で、文章作法をいくら説いてみても、文章は書けもしないし上手にもならない。書いて書いて書きまくって、書くことの拒絶反応を払拭した上で、はじめて文章作法が自然に身についていく。運動選手が絶えずトレーニングに励み、技能にたずさわるものが、たゆみなくケイコにうちこみワザを磨く。書くことも技術であり習慣である。以上、実践を措いて上達の道はあり得ない。」(p143)

こんな箇所も引用しておきましょう。
「授業で今も忘れられないもののひとつに詩歌の暗誦があった。北原白秋や国木田独歩、室生犀星らの詩歌を暗誦し、みんなの前で披露するというものである。日本語の美しさは音読してこそ味わいのあるものであって、理屈の前にといかく頭から覚え込めというのが先生の流儀だった。百人一首もそうだったが、諳(そらん)じることの重要性をいつも強調していた。『ごちゃごちゃ言わずにとにかく覚え込め』としていた作品と、『徹底的に論理的に考えろ』という作品を先生はしっかりと区別していた。・・・」(p152~153)


ところで、原田種成著「漢文のすすめ」(新潮選書)の「第二章・諸橋『大漢和辞典』編纂秘話」に、その橋本武氏が、ちょい役で登場しておりました。
その箇所を引用

「私たちが近くに住むので諸橋先生から橋本武もいっしょに、と頼まれた。橋本は高等師範の学生で、卒業後、神戸の灘中学に勤めた。灘中は戦後は、大学受験で高名な灘高校となり、橋本は国語の受験指導で定評があり、七十歳で定年になるまで勤め、遠藤周作氏は橋本の教え子だった。昭和51年7月末に橋本が前橋の予備校の夏期講習の講師で来た。久闊を叙し、懐旧談の中で、あの家は諸橋先生が借りて私達を住まわせてくれていたものと思い込んでいたのには驚いた。いや、あれは私達が家賃を払って借りた家だよ、というと逆にビックリしていた。私は伯母に頼んで家事一切をやって貰った。伯母は安くて栄養のあるものと考え、『ねぎま』と『おでん』をよく作ってくれた。『ねぎま』は、葱と鮪のトロの汁で、そのころ、トロは今日のように上等な食べ物ではなく、魚屋の店先の一番前に皿に山盛りにして安く売っていた。・・」
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己と已と巳。

2009-01-12 | Weblog
原田種成著「漢字の常識」(三省堂・1982年。1993年第12刷)の感想。
さっそく話がそれますが、こちらでは山車の引き回しが10月にあります。これがもう青年長になるのが50歳代中頃から60歳にかけて。じつに、青年長というのは名ばかりで高齢なのであります(まあ、地区地区によって、特色があります)。
ということで、私は今年、祭りの会計になるのでした。昨年は臨時会計として祭の寄付の集計。祭当日は山車曳き回す人とは別に、臨時会計として、だいたい60代以上80代までの方を頼んで、寄付をもらって、最後に集計してもらうのでした。その方々が名簿では6~10名。実際は、まあ5~6名。
それでもって、昨年の私の役目は、集計した寄付の集計役。山車曳き回しの最後の方で、集会所に臨時会計さんにあつまってもらって、ご寄付の集計と、のし袋の名前・地区確認というのを5~6名でやっていただく、私は何をするかというと、その際のお茶汲み、食事の世話等であります。
その方々が、60代後半から70代後半ぐらいなわけです。
その方々に、集計を、さらに細かく金額と名前を確認して、その地区の一覧を書き込んでもらっております。
その名前確認の作業中にですね(やっと、本題に近づいた)。
ある方が間違いやすい漢字の書き方を、小学校の先生から習った。というのです。
すると、「いいや、私は習わなかったなあ」というような話になったのでした。
それが、こちとらは、全然身に覚えのない話だったので、かえって新鮮でした。
その具体的例が、この本に載っていたというわけです。

たとえば、(p127)
「瓜(うり)につめあり、爪(つめ)につめなし」
「牛に角あり、午(うま)に角なし」

こんなのもありました。
「巳(み)は上に、已(すで)に已(やむ)已(のみ)中ほどに、己(おのれ)己(つちのと)下につくなり」
また「キ・コの声、おのれつちのと下につき、イ・すでは中、シ・み上につく」

さらに、
祇(左のネは示)と祗。
「この二字も区別がしにくい。・・『主内儀(あるじないぎ)』という言葉を思い出すとよい。すなわち『一』がある祗の字の音は『シ』であり、『一』がない祇の字の音は『ギ』である。・・『宗祇(そうぎ)』が正しい。」

『一チョウ、二キン、ムコウ』は
釣・鈞・鈎(鉤)。
「キンと読むときは勹の中には = のように二つ書く。平均の均もキンだから = を書かねばならぬのに、一 や 、 に誤るものがある。」

そして、作者のこんな意見が載っておりました。
「文部省内国語審議会・・・・国語審議会は、久しい間、ローマ字論者が会長であり、漢字についての専門家が全く除外されていたので、登用の意味が曖昧になっていたのであった。本当に改革するならば、改革すべきものについての十二分の知識のある人が参画していなければ、その成果は期待することはできない。要するに、漢字というものは、横に何本引いて、縦に何本引くというような、機械的な丸暗記で覚えようとするのは、労多くして効果があがらず、ばかげたことである。ここに述べたように、字形の特徴をとれえて、口で言えるようにして覚えるのが、漢字習得の早道であることを強調したい。」(p133)

変った知識としては、こんなのもありました。
「『和尚』という言葉は、禅宗ではオショウといい、天台宗ではカショウ、真言宗ではワショウ、法相宗(ほつそうしゅう)と律宗ではワジョウと濁って読むということである。・・・
『ギョエテとは、おれのことかと、ゲーテいい』という川柳があるように、・・・外来文化を受け入れなければならない、日本文化の宿命ともいえよう。」(p185)

以上、図書館に本を返さなければいけないので、ここまで。
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