1月は、日の出も鮮やかで、夕日もまた、我を忘れて見入るほどにきれいです。
青空の一日。夕方4時45分ごろから、5時にかけて、夕日が、
山並みというか、丘並みにしずむ頃。青空の下、まるで、鏡餅の上の蜜柑のような色がひろがります。
ちょうど、家の前が直線の道で、家を出ると、道路の左側に夕日が落ち始めます。道路の右側から通る車は、フロントガラスが橙色に染まりながら、まぶしそうに運転してゆきます。この時期は、ちょうど道路の正面に日が落ちるので運転はしにくいばかり。車だけでなく家々も橙の色で、二階の窓も、染まっています。
そういえば、中原中也に
やがても蜜柑の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。
という2行がありました。北村太郎著「うたの言葉」(小沢書店)は日経新聞に連載されたコラムの集成です。そのはじまりは「しづか」と題して、元日の夕べをとりあげておりました。
「一年三百六十五日のうちで、世間がいちばん静かなのは、元日、それも夕方から夜にかけての時刻だろう。・・・・折口信夫に、山で迎えた新年の歌がある。
道を来て、しづかなりけり。元日の夕づく日かげ広くさしつつ
正月の山に しづるる雪のおと――。かそかなりけり。ゆふべに聴けば
『しづるる』は、滴り落ちる意で、いまは使われていないが、いい言葉だ。しずか、しずる、しずくのシズ、すべて語源は同根らしいのがおもしろい。沈むのシズも同じである。」
そういえば、平成15年歌会始の題は「町」で、
その時の美智子皇后さまのお歌は、
ひと時の幸(さち)分かつがに人びとの佇むゆふべ町に花降る
「たたずむゆふべ町に花降る」というのは、
そのままに、花が降っているというよりは、
何かしら、橙色が降り染まっている様子じゃないかと思ってみるのでした。
ということを思い出しながら、1月15日に産経新聞に掲載された歌会始の
皇后さまの歌を見ておりました。
生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ
お題は「生」でした。
青空の一日。夕方4時45分ごろから、5時にかけて、夕日が、
山並みというか、丘並みにしずむ頃。青空の下、まるで、鏡餅の上の蜜柑のような色がひろがります。
ちょうど、家の前が直線の道で、家を出ると、道路の左側に夕日が落ち始めます。道路の右側から通る車は、フロントガラスが橙色に染まりながら、まぶしそうに運転してゆきます。この時期は、ちょうど道路の正面に日が落ちるので運転はしにくいばかり。車だけでなく家々も橙の色で、二階の窓も、染まっています。
そういえば、中原中也に
やがても蜜柑の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。
という2行がありました。北村太郎著「うたの言葉」(小沢書店)は日経新聞に連載されたコラムの集成です。そのはじまりは「しづか」と題して、元日の夕べをとりあげておりました。
「一年三百六十五日のうちで、世間がいちばん静かなのは、元日、それも夕方から夜にかけての時刻だろう。・・・・折口信夫に、山で迎えた新年の歌がある。
道を来て、しづかなりけり。元日の夕づく日かげ広くさしつつ
正月の山に しづるる雪のおと――。かそかなりけり。ゆふべに聴けば
『しづるる』は、滴り落ちる意で、いまは使われていないが、いい言葉だ。しずか、しずる、しずくのシズ、すべて語源は同根らしいのがおもしろい。沈むのシズも同じである。」
そういえば、平成15年歌会始の題は「町」で、
その時の美智子皇后さまのお歌は、
ひと時の幸(さち)分かつがに人びとの佇むゆふべ町に花降る
「たたずむゆふべ町に花降る」というのは、
そのままに、花が降っているというよりは、
何かしら、橙色が降り染まっている様子じゃないかと思ってみるのでした。
ということを思い出しながら、1月15日に産経新聞に掲載された歌会始の
皇后さまの歌を見ておりました。
生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ
お題は「生」でした。