和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

布良鼻灯台。

2009-01-31 | 安房
朝日新聞の古新聞をもらってきました。
産経と違って全国紙なので、各県を取り上げるページが時々、興味をそそられます。
ここは、千葉県。1月28日の「第2千葉」ページに灯台の写真がありました。
見出しは「県内の灯台、初撤去へ 館山の2基今年度中にGPSなど普及で」。
「東京湾の玄関口で船舶の航行安全を見守ってきた、館山市の灯台2基が今月で点灯を停止し、今年度中に撤去される。全地球測位システム(GPS)やレーダーなどの普及で目視に頼る度合いが減ったためだ。県内の灯台が姿を消すのは初めて。・・」(福島五夫)と署名記事。
では、記事を追って読んでみましょう。
「廃止されるのは布良鼻、館山港沖ノ島の両灯台。いずれも千葉海上保安部が管理している。布良鼻灯台は1955年12月に開設された。布良海岸から約50キロ沖合の大島に向かって布良瀬と呼ばれる浅瀬が長く張り出しており、同灯台の開設以前は、座礁などの事故が絶えなかった。潮の満ち引きなどにより生じる渦に小さな漁船が巻き込まれることも多く、『鬼が瀬』と恐れられた海域で、夜間は、同灯台だけが難を避けるよりどころだった、という。館山港沖ノ島灯台は市街地に近く、観光や散歩コースとしても親しまれている。・・・」

そういえば、朝日の1月10日には、福島五夫の署名記事で
「岡崎ひでたか著『鬼が瀬物語』 構想20年4部作完結」という記事があったのでした。
その記事も引用しましょう。
「房総半島の南端から沖に大きく張り出した浅瀬は、北上する黒潮の流れを遮り、凪(なぎ)でも波立つ荒瀬。時化(しけ)ともなれば荒れ狂い、漁船の遭難が後を絶たない。安房郡富崎村布良(現在は館山市)の漁師たちは、この浅瀬を『鬼が瀬』と呼んで恐れている。岡崎さんは、この『鬼が瀬』を縦軸、マグロ漁を横軸にして、明治の初めから大正にかけて、布良の浜で生きた1人の船大工を大河ドラマ風に描いた。・・・」

「マグロはえ縄漁の発祥地として知られる南房総の一漁村を舞台にして歴史小説『鬼が瀬物語』4部作(くもん出版)・・著者は児童文学者の岡崎ひでたかさん(79)=東京都練馬区在住。・・・」

この物語の最初の本をもっておりました。
「鬼が瀬物語 魔の海に炎たつ」と題して、第51回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書(中学校の部)という帯がついております。初版が2004年。
そのあとがきに鬼が瀬の説明がありました。

「黒潮が房総半島の南にきたところで、海中に隠れて土手のように立ち塞がった暗礁にぶつかります。それが『鬼が瀬』です。『瀬』とは海や川の浅いところです。
『鬼が瀬』は、地図では『布良瀬』と書かれ、一ノ瀬・二ノ瀬・三ノ瀬と分かれています。一ノ瀬が最大で、陸地から南西へ約14キロつづきます。三瀬あわせた幅は約800mで、陸から600m沖へ出ても深さがほんの1m20cmという浅瀬もあります。
黒潮は、鬼が瀬の上で流れを速めたり、流れの向きを複雑に変えたりして、白波をおどらせています。ここは船の難所で、まさに『魔の海』でした。むかしから岩手、福島など北の地方から船で江戸に産物を送るとき、危険な房総沖をとおらず、銚子から川船に荷を積み替えて、利根川を遡るのが普通であったほどです。
しかし、この魔の海は浅瀬ですから、潮の動きがはげしく日光がよくとどき、海中植物が繁り、魚介類にも条件がよく、海産物の宝庫でもありました。・・・」(p245)
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