養老孟司・渡部昇一対談「WASP精神は地に堕ちた!」というのが、
発売中のVoice2月号に掲載されているのでした。
そこで渡部氏は、こう語っておりました。
「元来アメリカの文化はWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)で、
聖書を厳格に重んじるピューリタンたちです・・・」(p48)
その後に、養老氏が語っている中に、何げなくもこんな箇所がありました。
「たとえば戦後、アメリカ医学を支えた下働きは日本人でした。それ以前はナチから逃げたヨーロッパ系ユダヤ人。いまは中国人です。」(p49)
ふ~ん。養老氏は医者であり、たしか留学経験もおありだったはずです。
ここには、「医学を支えた下働き」という言葉が印象的です。
下働きといえば、緒方洪庵が思い浮かんだのでした。北康利著「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(講談社)に「人生の師・緒方洪庵」という箇所があります。
ちょいと、そこを丁寧に引用してみましょう。
「出自は諭吉とそっくりだ。現在の岡山市から北へ十数キロのところにあった足守藩という小藩の下級武士の家に生まれ、十五の時、父親が大阪区蔵屋敷留守居役を命じられたため、大阪へと出て来た。身体が虚弱だったこともあって医学に興味を持った彼は、父親の猛反対を押し切って大阪の蘭学者・中天游(なかてんゆう)の門人となり、その後上京。江戸で最も有名な蘭方医だった坪井信道に入門。同時に蘭学者・科学者として知られた宇田川榛斎(信道の師)からも教えを受けた。人一倍苦学し、塾の下足番(げそくばん)や按摩(あんま)をやりながら学資を稼いだという。・・・
貧しい者にはしばしば無料で治療を施したことから『生き仏』と呼ばれていたという。『とびきりの親切ものでなければ医者になるべきではない』というのが洪庵の口癖だったが、それは師・信道の後ろ姿を見てきた彼の実感である。・・」(p44~45)
閑話休題。
1月12日の新聞は成人式について考えさせられました。
産経抄は、「土光敏夫経団連名誉会長の夕食風景に世間は驚いた。おかずはメザシ一本と大根葉のお浸し。」という昭和57(1982)年7月、NHKの番組で映し出された場面を取り上げておりました。そのコラムの最後は「今年の新成人を対象にしたあるアンケートで、『世の中悪くなる』と将来を悲観する回答が5割に達したそうだ。・・・今の日本に足りないのは、メザシ一本で世の中を動かした土光のようなリーダーだけだ。」としめくくっておりました。広告では、相変わらずのサントリー「新成人おめでとう。山崎で乾杯。」。
伊集院静の文。何だか、立食パーティーで当り障りのない挨拶をする関係者のような言葉(失礼)が14行。活字で並んでおりました。それでも、せっかくですから、引用しておきます。つまらないと思うのは、鈍感になってしまった私の勘違いかもしれない。では、伊集院さんの言葉より。
「その原因はこころない大人が金を得ることを人生のすべてと考えたからだ。金があれば何でも手に入ると卑しいこころを抱いたのだ。自分だけが裕福ならいいとしたのだ。その大人たちの大半は先進国で最高の学問を修得した人たちだ。なぜこんなことが起きたのか。それは人が生きる上で何が一番大切かを学ばなかったからだ。若い時に裕福に目が向き貧困を見なかったのだ。日本は大国なんかじゃない。ちいさな国の、君はちいさな存在だ。・・・・」
産経では、曽野綾子氏の連載「透明な歳月の光」が316回目。
そこには、こんな箇所。
「長い間の軽薄な教育は、徒弟的苦労に耐えろということをもはや時代遅れ、人権無視だと教えた。その結果、若者たちには、目的のために耐える気風がほとんどなくなった。つまり、素人、場当たりの仕事しかできない人たちが社会に増えたのだ。素人は、時間給で働く。・・すぐに代替え要員の見つかるという仕事だ。・・・」
鮮やかな写真は、成人式で色紙を手にしている斎藤祐樹。早大のエース投手。
記事にはこうあります。
「11日、故郷の群馬県太田市で成人式に臨んだ。両親にプレゼントされたという濃紺のスーツ姿。」
「20歳の誓いとして色紙に記したのは『去華就実(きょかしゅうじつ)』の4文字。『外面的な華やかさを捨て、実に就け(実際に役立つ人間になれ)』という意味で、『(母校)早実の校訓です。今、自分に足りないものは何かと考えた。今の世の中にも必要な言葉では。』・・・」
うん。今年の成人式の記事では、これを読めてよかった。
ところで、1月17日の産経新聞一面左上に、上坂冬子氏が「リハビリパンツに思う」と題して書いておりました。
最後はそれを引用して、この回は終ります。
はじまりは
「後期高齢者に仲間入りしてから2ヵ月余りが経った。入院して抗がん剤の点滴をお願いしている。」とあります。え~。癌。本人はいたって冷静に記述しており、この文ではそれ以降、癌の文字はありません。そのかわりにこんな風に書かれておりました。
「・・・看護婦さんは高卒後修業年限3年で国家試験に合格せねばならない。私のところに来る看護婦さんに片っ端からこの職業に満足しているかと聞いてみたところ、一人残らず満足しているとのことであった。あまりに晴れやかな答えぶりに、かえって驚いたぐらいだが、使い方によっては生涯使える『資格』がありがたいのだろう。東横沿線で花屋をやっていたある看護婦の祖母が、資格のある職業につくよう力説していたのは説得力があったとか。かつて私も女子学生の職業として、美容師、看護婦、幼稚園教諭2種免許に注目したけれど、今、それらの資格は無理なく女性の身を助けている。看護婦さんの場合は、学校や病院を離れて故郷へ帰っても、施設や診療所で職業の選択が十分に安定しているらしい。・・・」
発売中のVoice2月号に掲載されているのでした。
そこで渡部氏は、こう語っておりました。
「元来アメリカの文化はWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)で、
聖書を厳格に重んじるピューリタンたちです・・・」(p48)
その後に、養老氏が語っている中に、何げなくもこんな箇所がありました。
「たとえば戦後、アメリカ医学を支えた下働きは日本人でした。それ以前はナチから逃げたヨーロッパ系ユダヤ人。いまは中国人です。」(p49)
ふ~ん。養老氏は医者であり、たしか留学経験もおありだったはずです。
ここには、「医学を支えた下働き」という言葉が印象的です。
下働きといえば、緒方洪庵が思い浮かんだのでした。北康利著「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(講談社)に「人生の師・緒方洪庵」という箇所があります。
ちょいと、そこを丁寧に引用してみましょう。
「出自は諭吉とそっくりだ。現在の岡山市から北へ十数キロのところにあった足守藩という小藩の下級武士の家に生まれ、十五の時、父親が大阪区蔵屋敷留守居役を命じられたため、大阪へと出て来た。身体が虚弱だったこともあって医学に興味を持った彼は、父親の猛反対を押し切って大阪の蘭学者・中天游(なかてんゆう)の門人となり、その後上京。江戸で最も有名な蘭方医だった坪井信道に入門。同時に蘭学者・科学者として知られた宇田川榛斎(信道の師)からも教えを受けた。人一倍苦学し、塾の下足番(げそくばん)や按摩(あんま)をやりながら学資を稼いだという。・・・
貧しい者にはしばしば無料で治療を施したことから『生き仏』と呼ばれていたという。『とびきりの親切ものでなければ医者になるべきではない』というのが洪庵の口癖だったが、それは師・信道の後ろ姿を見てきた彼の実感である。・・」(p44~45)
閑話休題。
1月12日の新聞は成人式について考えさせられました。
産経抄は、「土光敏夫経団連名誉会長の夕食風景に世間は驚いた。おかずはメザシ一本と大根葉のお浸し。」という昭和57(1982)年7月、NHKの番組で映し出された場面を取り上げておりました。そのコラムの最後は「今年の新成人を対象にしたあるアンケートで、『世の中悪くなる』と将来を悲観する回答が5割に達したそうだ。・・・今の日本に足りないのは、メザシ一本で世の中を動かした土光のようなリーダーだけだ。」としめくくっておりました。広告では、相変わらずのサントリー「新成人おめでとう。山崎で乾杯。」。
伊集院静の文。何だか、立食パーティーで当り障りのない挨拶をする関係者のような言葉(失礼)が14行。活字で並んでおりました。それでも、せっかくですから、引用しておきます。つまらないと思うのは、鈍感になってしまった私の勘違いかもしれない。では、伊集院さんの言葉より。
「その原因はこころない大人が金を得ることを人生のすべてと考えたからだ。金があれば何でも手に入ると卑しいこころを抱いたのだ。自分だけが裕福ならいいとしたのだ。その大人たちの大半は先進国で最高の学問を修得した人たちだ。なぜこんなことが起きたのか。それは人が生きる上で何が一番大切かを学ばなかったからだ。若い時に裕福に目が向き貧困を見なかったのだ。日本は大国なんかじゃない。ちいさな国の、君はちいさな存在だ。・・・・」
産経では、曽野綾子氏の連載「透明な歳月の光」が316回目。
そこには、こんな箇所。
「長い間の軽薄な教育は、徒弟的苦労に耐えろということをもはや時代遅れ、人権無視だと教えた。その結果、若者たちには、目的のために耐える気風がほとんどなくなった。つまり、素人、場当たりの仕事しかできない人たちが社会に増えたのだ。素人は、時間給で働く。・・すぐに代替え要員の見つかるという仕事だ。・・・」
鮮やかな写真は、成人式で色紙を手にしている斎藤祐樹。早大のエース投手。
記事にはこうあります。
「11日、故郷の群馬県太田市で成人式に臨んだ。両親にプレゼントされたという濃紺のスーツ姿。」
「20歳の誓いとして色紙に記したのは『去華就実(きょかしゅうじつ)』の4文字。『外面的な華やかさを捨て、実に就け(実際に役立つ人間になれ)』という意味で、『(母校)早実の校訓です。今、自分に足りないものは何かと考えた。今の世の中にも必要な言葉では。』・・・」
うん。今年の成人式の記事では、これを読めてよかった。
ところで、1月17日の産経新聞一面左上に、上坂冬子氏が「リハビリパンツに思う」と題して書いておりました。
最後はそれを引用して、この回は終ります。
はじまりは
「後期高齢者に仲間入りしてから2ヵ月余りが経った。入院して抗がん剤の点滴をお願いしている。」とあります。え~。癌。本人はいたって冷静に記述しており、この文ではそれ以降、癌の文字はありません。そのかわりにこんな風に書かれておりました。
「・・・看護婦さんは高卒後修業年限3年で国家試験に合格せねばならない。私のところに来る看護婦さんに片っ端からこの職業に満足しているかと聞いてみたところ、一人残らず満足しているとのことであった。あまりに晴れやかな答えぶりに、かえって驚いたぐらいだが、使い方によっては生涯使える『資格』がありがたいのだろう。東横沿線で花屋をやっていたある看護婦の祖母が、資格のある職業につくよう力説していたのは説得力があったとか。かつて私も女子学生の職業として、美容師、看護婦、幼稚園教諭2種免許に注目したけれど、今、それらの資格は無理なく女性の身を助けている。看護婦さんの場合は、学校や病院を離れて故郷へ帰っても、施設や診療所で職業の選択が十分に安定しているらしい。・・・」