渡辺昇一・谷沢永一著「老子の読み方」(PHP)の最初に、
こんな箇所がありました。
「『老子』をお経のように読む派もあったそうです」
こうして、
聖人無常心 せいじんむーじょうしん
以百姓心為心 いーひゃくしょうしんいーしん
善者吾善之 ぜんしゃごぜんし
不善者吾亦善之 ふぜんしゃごえきぜんし
・・・・・・・
と引用したあとに
「読めば確かにお経に聞こえますね。
篤学の士というべき著者の永野氏によると、古代の発音は誰もわからないが、漢音、呉音、唐音、あるいは現代の北京音より、日本語での読み方のほうが韻は合うそうです。意外に日本は漢字の古い音が残っているらしいのです。」(p39・序)
お経といえば、
山折哲雄著「親鸞をよむ」(岩波新書)に
「『和讃』は親鸞がその思想と信仰のエッセンスを当時の人びとの心にとどけようとした民衆詩だったといっていい。かれはその制作のため、最晩年の七十代から八十代を費やしていた。このような連続的な仕事の棹尾を飾るものが『正像末浄土和讃』だったのだ。末法を生きる親鸞の覚悟を示す漢字片カナ混じり文の作品である。」(p34)
「親鸞の考え方は、その晩年においてしだいに深められ、いっそう簡潔な言葉によって語られるようになる。『和讃(わさん)』の世界である。
『教行信証』においてはまだ研究ノート的なトレーニングのなかにいた親鸞は、この『和讃』において自己の思考を自在にはばたかせている。」(p122)
親鸞といえば、
私は、司馬遼太郎を思いうかべました。
ちょうど、今年は牛年。反芻するのには、もってこいの年。
ということで、司馬さんと親鸞とで、思い浮かぶこと。
司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文藝春秋刊)、文庫もあり。
そこに「学生時代の私の読書」という文があります。
「やがて、学業途中で、兵営に入らざるをえませんでした。にわかに死についての覚悟をつくらねばならないため、岩波文庫のなかの『歎異抄』(親鸞・述)を買ってきて、音読しました。ついでながら、日本の古典や中国の古典は、黙読はいけません。音読すると、行間のひびきがつたわってきます。それに、自分の日本語の文章力をきたえる上でも、じつによい方法です。『歎異抄』の行間のひびきに、信とは何かということを、黙示されたような思いがしました。むろん、信には至りませんでしたが、・・・」
この箇所のような言葉は、ほかでも書かれていたような気がしたので、
ちょっと調べたら簡単に見つかりました。
「この国のかたち 六」(文藝春秋)、ちなみに、文庫もありますが、内容の照合未確認。
「むかしは、文章を、声に出して読んだのだということに気づいたのは、兵隊にとられる前、岩波文庫の『歎異抄』を読んだときだった。最初、目で読んだとき、なにか、つまらない内容だと感じた。試みに声に出して読んでみたところ、文字が息づきはじめ、行間のひびきまでつたわってくるような気がして、まったく別の文章の律動のなかに入りこんでしまった経験がある。『歎異抄』は親鸞の口頭による言語を唯円(ゆいえん)が文章にした。唯円は(おそらく当時の習慣によって)声を出しつつ文章を書いたのであろう。それをもう一度、肉声に再現して読むとき、はじめて唯円の文章が、湿度と音律をよみがえらせるのだとおもったりした。」(単行本・p96)
う~ん。今年は親鸞を読みたいなあ。読みたい。
声に出して読んでみるかなあ。
こんな箇所がありました。
「『老子』をお経のように読む派もあったそうです」
こうして、
聖人無常心 せいじんむーじょうしん
以百姓心為心 いーひゃくしょうしんいーしん
善者吾善之 ぜんしゃごぜんし
不善者吾亦善之 ふぜんしゃごえきぜんし
・・・・・・・
と引用したあとに
「読めば確かにお経に聞こえますね。
篤学の士というべき著者の永野氏によると、古代の発音は誰もわからないが、漢音、呉音、唐音、あるいは現代の北京音より、日本語での読み方のほうが韻は合うそうです。意外に日本は漢字の古い音が残っているらしいのです。」(p39・序)
お経といえば、
山折哲雄著「親鸞をよむ」(岩波新書)に
「『和讃』は親鸞がその思想と信仰のエッセンスを当時の人びとの心にとどけようとした民衆詩だったといっていい。かれはその制作のため、最晩年の七十代から八十代を費やしていた。このような連続的な仕事の棹尾を飾るものが『正像末浄土和讃』だったのだ。末法を生きる親鸞の覚悟を示す漢字片カナ混じり文の作品である。」(p34)
「親鸞の考え方は、その晩年においてしだいに深められ、いっそう簡潔な言葉によって語られるようになる。『和讃(わさん)』の世界である。
『教行信証』においてはまだ研究ノート的なトレーニングのなかにいた親鸞は、この『和讃』において自己の思考を自在にはばたかせている。」(p122)
親鸞といえば、
私は、司馬遼太郎を思いうかべました。
ちょうど、今年は牛年。反芻するのには、もってこいの年。
ということで、司馬さんと親鸞とで、思い浮かぶこと。
司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文藝春秋刊)、文庫もあり。
そこに「学生時代の私の読書」という文があります。
「やがて、学業途中で、兵営に入らざるをえませんでした。にわかに死についての覚悟をつくらねばならないため、岩波文庫のなかの『歎異抄』(親鸞・述)を買ってきて、音読しました。ついでながら、日本の古典や中国の古典は、黙読はいけません。音読すると、行間のひびきがつたわってきます。それに、自分の日本語の文章力をきたえる上でも、じつによい方法です。『歎異抄』の行間のひびきに、信とは何かということを、黙示されたような思いがしました。むろん、信には至りませんでしたが、・・・」
この箇所のような言葉は、ほかでも書かれていたような気がしたので、
ちょっと調べたら簡単に見つかりました。
「この国のかたち 六」(文藝春秋)、ちなみに、文庫もありますが、内容の照合未確認。
「むかしは、文章を、声に出して読んだのだということに気づいたのは、兵隊にとられる前、岩波文庫の『歎異抄』を読んだときだった。最初、目で読んだとき、なにか、つまらない内容だと感じた。試みに声に出して読んでみたところ、文字が息づきはじめ、行間のひびきまでつたわってくるような気がして、まったく別の文章の律動のなかに入りこんでしまった経験がある。『歎異抄』は親鸞の口頭による言語を唯円(ゆいえん)が文章にした。唯円は(おそらく当時の習慣によって)声を出しつつ文章を書いたのであろう。それをもう一度、肉声に再現して読むとき、はじめて唯円の文章が、湿度と音律をよみがえらせるのだとおもったりした。」(単行本・p96)
う~ん。今年は親鸞を読みたいなあ。読みたい。
声に出して読んでみるかなあ。