何とも、朝日新聞2009年1月1日の社説は、いやはや。
何だか、回転寿司の機械で握るのあるじゃありませんか。
何やら、その機械で、朝日の社説をこしらえているような。
何だい、味もそっけもない。息づかいが感じられない。
何って、読まない方に愚痴ってもはじまらないので、
何でも、読まない社説を解説してみたくなりました。
何しろ、定番の機械で押してゆくような、ひな形があって、
何回も、それに言葉を埋め合わせているような、つまらなさ。
こういう時は、どうすればよいのか。日下公人氏は書いております。
「著者は、最初こそ張り切ってむずかしいことを書きつらねますが、終わりのほうは疲れてきて、本音をやさしく、わかりやすい言葉で書いてくれることが多いからです。・・・ともかく【むずかしい本は頭から読むな、後ろから読め】ということを再認識したのです。」(p103~105・「逆」読書法)
そういえば、朝日新聞の記事は、記事の後になるほど、読みたい内容を記述してあったりします。最初の見出しや、導入部だけだと、迷ってしまう場合が多い。そんなことに思い当ります。
それじゃ、朝日新聞の元旦社説の無署名カオナシさんの文の最後はどう書いているのか。引用しようとしましたが、う~ん。あまりのおそ松で引用し甲斐なし。回転寿司の機械で作られ運ばれる食べ物に、お味はどうですか、と質問されるような味気なさ。う~ん。機械が握っているとはおもえませんね。とでも答えればよいのか、一瞬迷うような沈黙。という場面です。
そういえば、総選挙という言葉がおわりにありました。同じ日の天声人語にも総選挙という言葉がはいっています。そちらはこうでした「天下分け目の衆院選挙が秋までにやってくる。」
朝日新聞の元旦記事で、これはいけないなあ。と不安を隠しきれなかったのは生活欄。「子どもの声 聞こえてる?」というなんだかネットに書きこまれた小学生の意見を活字にしたような安易な紙面作り。こりゃなんだ。小学校の素人PTA会員だって、少し考えれば、できるような紙面作り。その次にページをひらくとまたしても、子ども声特集で、題して「みんなが主役 育て発想力!公園でまちづくり遊び」。ちなみに、朝日の第2社会面には「日比谷公園 年越し派遣村 130人にぬくもり」という記事。そのギャップ。安易な紙面作りの朝日新聞の意見など安心して、今年も読めそうにありません。そういえば、朝日新聞も赤字経営だとのこと。赤字経営で忙しく、満足な紙面作りに人手をかけられないとしたら、読者には、困りものです。
赤字経営といえば、収入源の広告収入ですが、
そうそう。ひとつ面白いことを見つけました。
朝日新聞の全面広告で、集英社の広告。
読売新聞では集英社広告は、「マンガは、日本の顔」と上に書かれてあり、全面広告は、マンガ雑誌の表紙を細かくぎっしりと埋めております。何でも3メートル離れてみるとその雑誌の表紙のあつまりが、人の顔として浮かびあがるのだそうです。下の説明文には「・・・うずまきナルト。マンガのキャラクターにもかかわらず、海外で『世界が尊敬する日本人100人』に選ばれました。マンガはいまや、日本が世界に誇る文化。その一冊一冊から、時代の顔が生まれています。・・」
これが、朝日新聞だと、どういう広告になっていたか。
集英社の朝日全面広告は姜尚中が文庫本を片手に、もう片方の手は軽く顎にあてて読んでいる。姜氏の横顔のアップ。下には集英社新書・姜尚中著「悩む力」と姜尚中著「在日」(集英社文庫)「在日二世の想いを赤裸々に綴った自伝」と肩書き。
あとは、十数冊他の人の新刊を掲げておりました。朝日新聞と姜尚中氏とを集英社は広告で結びつける。う~ん。商売。読者対象をそこに設定しての全面広告なのかなあ。疑問です。あれこれと想像をかきたてられます。他の新聞とは集英社広告が異なっておりました(毎日新聞は残念未確認)。
話題がかわりますが、「悩む力」といえば、私は「新潮45」2009年1月号の曽野綾子氏の巻頭文を思い浮かべます。そこにこうありました。
「つまり表現というものは、できるだけ簡潔であるべきだった。むずかしいことも、平明に書くべきなのである。ましてや大したことでもないものを、わざとむずかしく書くのは、最低の悪文だ、ということである。」
「難解な文章というのは、端的に文章力がない証拠なのである。その上、創作の態度としても思いあがっている。・・・どんな複雑な内容でも、平明な表現で、しかも楽々と書いているように見えなければならない。この文章を書くために、苦悩し、力を振り絞って書いている、というような苦渋の出た文章も、つまり悪文なのである。」
新書の「悩む力」を私は読みません。それにしても、悩まされる文は、今年もまずは、読まずにパス。だらだらとした、私のブログですが、『できるだけ簡潔』を目標にしてゆきます。
何だか、回転寿司の機械で握るのあるじゃありませんか。
何やら、その機械で、朝日の社説をこしらえているような。
何だい、味もそっけもない。息づかいが感じられない。
何って、読まない方に愚痴ってもはじまらないので、
何でも、読まない社説を解説してみたくなりました。
何しろ、定番の機械で押してゆくような、ひな形があって、
何回も、それに言葉を埋め合わせているような、つまらなさ。
こういう時は、どうすればよいのか。日下公人氏は書いております。
「著者は、最初こそ張り切ってむずかしいことを書きつらねますが、終わりのほうは疲れてきて、本音をやさしく、わかりやすい言葉で書いてくれることが多いからです。・・・ともかく【むずかしい本は頭から読むな、後ろから読め】ということを再認識したのです。」(p103~105・「逆」読書法)
そういえば、朝日新聞の記事は、記事の後になるほど、読みたい内容を記述してあったりします。最初の見出しや、導入部だけだと、迷ってしまう場合が多い。そんなことに思い当ります。
それじゃ、朝日新聞の元旦社説の無署名カオナシさんの文の最後はどう書いているのか。引用しようとしましたが、う~ん。あまりのおそ松で引用し甲斐なし。回転寿司の機械で作られ運ばれる食べ物に、お味はどうですか、と質問されるような味気なさ。う~ん。機械が握っているとはおもえませんね。とでも答えればよいのか、一瞬迷うような沈黙。という場面です。
そういえば、総選挙という言葉がおわりにありました。同じ日の天声人語にも総選挙という言葉がはいっています。そちらはこうでした「天下分け目の衆院選挙が秋までにやってくる。」
朝日新聞の元旦記事で、これはいけないなあ。と不安を隠しきれなかったのは生活欄。「子どもの声 聞こえてる?」というなんだかネットに書きこまれた小学生の意見を活字にしたような安易な紙面作り。こりゃなんだ。小学校の素人PTA会員だって、少し考えれば、できるような紙面作り。その次にページをひらくとまたしても、子ども声特集で、題して「みんなが主役 育て発想力!公園でまちづくり遊び」。ちなみに、朝日の第2社会面には「日比谷公園 年越し派遣村 130人にぬくもり」という記事。そのギャップ。安易な紙面作りの朝日新聞の意見など安心して、今年も読めそうにありません。そういえば、朝日新聞も赤字経営だとのこと。赤字経営で忙しく、満足な紙面作りに人手をかけられないとしたら、読者には、困りものです。
赤字経営といえば、収入源の広告収入ですが、
そうそう。ひとつ面白いことを見つけました。
朝日新聞の全面広告で、集英社の広告。
読売新聞では集英社広告は、「マンガは、日本の顔」と上に書かれてあり、全面広告は、マンガ雑誌の表紙を細かくぎっしりと埋めております。何でも3メートル離れてみるとその雑誌の表紙のあつまりが、人の顔として浮かびあがるのだそうです。下の説明文には「・・・うずまきナルト。マンガのキャラクターにもかかわらず、海外で『世界が尊敬する日本人100人』に選ばれました。マンガはいまや、日本が世界に誇る文化。その一冊一冊から、時代の顔が生まれています。・・」
これが、朝日新聞だと、どういう広告になっていたか。
集英社の朝日全面広告は姜尚中が文庫本を片手に、もう片方の手は軽く顎にあてて読んでいる。姜氏の横顔のアップ。下には集英社新書・姜尚中著「悩む力」と姜尚中著「在日」(集英社文庫)「在日二世の想いを赤裸々に綴った自伝」と肩書き。
あとは、十数冊他の人の新刊を掲げておりました。朝日新聞と姜尚中氏とを集英社は広告で結びつける。う~ん。商売。読者対象をそこに設定しての全面広告なのかなあ。疑問です。あれこれと想像をかきたてられます。他の新聞とは集英社広告が異なっておりました(毎日新聞は残念未確認)。
話題がかわりますが、「悩む力」といえば、私は「新潮45」2009年1月号の曽野綾子氏の巻頭文を思い浮かべます。そこにこうありました。
「つまり表現というものは、できるだけ簡潔であるべきだった。むずかしいことも、平明に書くべきなのである。ましてや大したことでもないものを、わざとむずかしく書くのは、最低の悪文だ、ということである。」
「難解な文章というのは、端的に文章力がない証拠なのである。その上、創作の態度としても思いあがっている。・・・どんな複雑な内容でも、平明な表現で、しかも楽々と書いているように見えなければならない。この文章を書くために、苦悩し、力を振り絞って書いている、というような苦渋の出た文章も、つまり悪文なのである。」
新書の「悩む力」を私は読みません。それにしても、悩まされる文は、今年もまずは、読まずにパス。だらだらとした、私のブログですが、『できるだけ簡潔』を目標にしてゆきます。