和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大きな書物。

2009-01-08 | Weblog
本からはじまる一年。
ということで、元旦新聞の出版社の全面広告。
を、おそまきながらとりあげます。

講談社は創業100周年とあります。
「本が、読みたい。」と大きい文字。
それが縦文字。脇に横文字で小さく続きます。
それをすこし引用。

 ときどき無性に読みたくなるのは、なぜだろう。
 しばらく読まないと不安になるのは、なぜだろう。

 マンガが読みたい。
 絵本が読みたい。
 雑誌が読みたい。
 小説が読みたい。

 むずかしい本が読みたい。
 やさしい本が読みたい。

・ ・・・・・

まだ続くのですが、このくらいにしておきましょう。
麻生首相が「マンガオタク」と語る、マンガも日本で公然たる資格を得たのかもしれませんね。最初に小説よりも「マンガが読みたい。」と来る順番が、ごく当然のように今年はなりました。

そういえば、西原理恵子の新刊「この世でいちばん大事な『カネ』の話」(理論社)を読んでいたら、こんな箇所。

「マンガもそのころから大好きだった。当時流行っていたのは池田理代子先生の『ベルサイユのばら』。ええい、今日は十巻まとめて一気読みだ!マンガはいいよねえ。読んでいると、くよくよしてたことも忘れて、頭の中がからっぽになるもん。」(p20)と自身の子どもの頃のことを語っておりました。
そして本の最後の方にもリフレインのように、ありました。
「わたしも読者から手紙をもらうことがある。
『毎日仕事もしんどくって、まわりの人たちともうまくいかなくって、
夜も眠れなかったときに、西原さんの漫画を読んだら、
あははと笑って、心がすーっとして眠れました』って。
そういう言葉をもらうと、やっぱり、とても嬉しい。
人に役に立つって嬉しいことなんだなって、実感する。」(p198)

ここで、詩でも引用しましょう。
大木惇夫の詩で「少年・少女に寄する歌」というのがありました。
そこに詩「大きな書物」というのがある。

   大きな書物

 自然は 大きな本である、
 字のない生きている本である。

   空のページに雲がある、
   虹が出る、
   ふかいさとしを 僕は知る。

   土のペーヂに麦がある、
   芥子が咲く、
   花は語るよ、僕は聴く。
  
   土のペーヂに蘆(あし)がある、
   風が立つ、
   波に書いてる、僕は読む。
   
自然は 大きな本である、
こころの眼で見る本である。


西原理恵子の、引用した本の最後には、こんな箇所がありました。

「『人』の物語としての『生きざま』を漫画に描こうとしたら、
その真ん中にあったのは、青い海と空と山、そして『カネ』をめぐるすべてのことだった。
この本では、『カネ』のことを真ん中にして話をしてきた。
でも、ずいぶん、話があっちこっちしたよね。
お金のことを話そうとうすると、どうしても一筋縄じゃいかなくなる。」


ということで、最後には1991年1月1日の朝日新聞に掲載された長田弘の詩
「世界は一冊の本」を引用したかったのですが、もうこのくらいでよいでしょう(笑)。

コメント
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