本からはじまる一年。
ということで、元旦新聞の出版社の全面広告。
を、おそまきながらとりあげます。
講談社は創業100周年とあります。
「本が、読みたい。」と大きい文字。
それが縦文字。脇に横文字で小さく続きます。
それをすこし引用。
ときどき無性に読みたくなるのは、なぜだろう。
しばらく読まないと不安になるのは、なぜだろう。
マンガが読みたい。
絵本が読みたい。
雑誌が読みたい。
小説が読みたい。
むずかしい本が読みたい。
やさしい本が読みたい。
・ ・・・・・
まだ続くのですが、このくらいにしておきましょう。
麻生首相が「マンガオタク」と語る、マンガも日本で公然たる資格を得たのかもしれませんね。最初に小説よりも「マンガが読みたい。」と来る順番が、ごく当然のように今年はなりました。
そういえば、西原理恵子の新刊「この世でいちばん大事な『カネ』の話」(理論社)を読んでいたら、こんな箇所。
「マンガもそのころから大好きだった。当時流行っていたのは池田理代子先生の『ベルサイユのばら』。ええい、今日は十巻まとめて一気読みだ!マンガはいいよねえ。読んでいると、くよくよしてたことも忘れて、頭の中がからっぽになるもん。」(p20)と自身の子どもの頃のことを語っておりました。
そして本の最後の方にもリフレインのように、ありました。
「わたしも読者から手紙をもらうことがある。
『毎日仕事もしんどくって、まわりの人たちともうまくいかなくって、
夜も眠れなかったときに、西原さんの漫画を読んだら、
あははと笑って、心がすーっとして眠れました』って。
そういう言葉をもらうと、やっぱり、とても嬉しい。
人に役に立つって嬉しいことなんだなって、実感する。」(p198)
ここで、詩でも引用しましょう。
大木惇夫の詩で「少年・少女に寄する歌」というのがありました。
そこに詩「大きな書物」というのがある。
大きな書物
自然は 大きな本である、
字のない生きている本である。
空のページに雲がある、
虹が出る、
ふかいさとしを 僕は知る。
土のペーヂに麦がある、
芥子が咲く、
花は語るよ、僕は聴く。
土のペーヂに蘆(あし)がある、
風が立つ、
波に書いてる、僕は読む。
自然は 大きな本である、
こころの眼で見る本である。
西原理恵子の、引用した本の最後には、こんな箇所がありました。
「『人』の物語としての『生きざま』を漫画に描こうとしたら、
その真ん中にあったのは、青い海と空と山、そして『カネ』をめぐるすべてのことだった。
この本では、『カネ』のことを真ん中にして話をしてきた。
でも、ずいぶん、話があっちこっちしたよね。
お金のことを話そうとうすると、どうしても一筋縄じゃいかなくなる。」
ということで、最後には1991年1月1日の朝日新聞に掲載された長田弘の詩
「世界は一冊の本」を引用したかったのですが、もうこのくらいでよいでしょう(笑)。
ということで、元旦新聞の出版社の全面広告。
を、おそまきながらとりあげます。
講談社は創業100周年とあります。
「本が、読みたい。」と大きい文字。
それが縦文字。脇に横文字で小さく続きます。
それをすこし引用。
ときどき無性に読みたくなるのは、なぜだろう。
しばらく読まないと不安になるのは、なぜだろう。
マンガが読みたい。
絵本が読みたい。
雑誌が読みたい。
小説が読みたい。
むずかしい本が読みたい。
やさしい本が読みたい。
・ ・・・・・
まだ続くのですが、このくらいにしておきましょう。
麻生首相が「マンガオタク」と語る、マンガも日本で公然たる資格を得たのかもしれませんね。最初に小説よりも「マンガが読みたい。」と来る順番が、ごく当然のように今年はなりました。
そういえば、西原理恵子の新刊「この世でいちばん大事な『カネ』の話」(理論社)を読んでいたら、こんな箇所。
「マンガもそのころから大好きだった。当時流行っていたのは池田理代子先生の『ベルサイユのばら』。ええい、今日は十巻まとめて一気読みだ!マンガはいいよねえ。読んでいると、くよくよしてたことも忘れて、頭の中がからっぽになるもん。」(p20)と自身の子どもの頃のことを語っておりました。
そして本の最後の方にもリフレインのように、ありました。
「わたしも読者から手紙をもらうことがある。
『毎日仕事もしんどくって、まわりの人たちともうまくいかなくって、
夜も眠れなかったときに、西原さんの漫画を読んだら、
あははと笑って、心がすーっとして眠れました』って。
そういう言葉をもらうと、やっぱり、とても嬉しい。
人に役に立つって嬉しいことなんだなって、実感する。」(p198)
ここで、詩でも引用しましょう。
大木惇夫の詩で「少年・少女に寄する歌」というのがありました。
そこに詩「大きな書物」というのがある。
大きな書物
自然は 大きな本である、
字のない生きている本である。
空のページに雲がある、
虹が出る、
ふかいさとしを 僕は知る。
土のペーヂに麦がある、
芥子が咲く、
花は語るよ、僕は聴く。
土のペーヂに蘆(あし)がある、
風が立つ、
波に書いてる、僕は読む。
自然は 大きな本である、
こころの眼で見る本である。
西原理恵子の、引用した本の最後には、こんな箇所がありました。
「『人』の物語としての『生きざま』を漫画に描こうとしたら、
その真ん中にあったのは、青い海と空と山、そして『カネ』をめぐるすべてのことだった。
この本では、『カネ』のことを真ん中にして話をしてきた。
でも、ずいぶん、話があっちこっちしたよね。
お金のことを話そうとうすると、どうしても一筋縄じゃいかなくなる。」
ということで、最後には1991年1月1日の朝日新聞に掲載された長田弘の詩
「世界は一冊の本」を引用したかったのですが、もうこのくらいでよいでしょう(笑)。